※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。

インタビュー時年齢:53歳(2020年2月)
障害の内容:視覚障害(光覚あり)
学校と専攻:大学・理学部(1989年度入学)、大学院・自然科学研究科(1993年度入学)

関東地方在住の男性。1歳8か月の時に麻疹により失明。北海道の盲学校に中学部まで在籍した後、東京に出て国立の盲学校高等部に進学した。専攻科で鍼灸師の資格を取得した後、大学に入り数学を専攻して1998年に博士号を取得した。大学教員になったが、非常勤や特任契約での採用ばかりで、現在勤務する大学で初めて常勤職を得たのは50歳のときだった。

語りの内容

――あの海外の研究者の方と交流されたことはありますか?

えーと、そんなに実は、僕、英語が得意ではないので(笑)、交流もできないんですけど、論文を、教科書を送ってもらったことがありますね。偉い先生に、書かれた教科書を送ってくださいって言ったら、数学はテック(TeX)で書きます。テックっていうソフトウェアで、書くんですけど、そのテックのソースファイルを送ってもらえて、「えー、独特な書き方をするな」っていう(笑)、ことはありました。

――そのテックっていうのは、目の見える方も、見えない方も使われるものなんですね。

そうです…。そう。あと数式を書くのは普通には、漢字変換のようにはいかないので、見えている人たちも、そのテックっていうソース、テキストで書かれたものをコンパイルしてですね、それで、あの数式を吐き出すということをするのです。なので、そこで、僕らは、そのテックがなければ数式を書き出すっていうところでもバリアがありましたけど、数式を書き出すっていうところは、あのテックのおかげで書き出せたので、ますます就職させろよなって(笑)、思いましたけど。

書くのは、だからできるんですね。問題は読むほうだったんです。読むほうは先ほど言ったように、学部の頃は先輩の本もしくは必要な場合は自分で点訳を頼んでっていうことで、ボランティアの力を借りてやっていたわけです。それで修士論文…あ、ドクターの頃もそうかな。随分しばらくですね、ドクターを取った後もでしたけど、読みたい論文を手に入れると、えー、手に入れるっていうのは、その頃はWebでできるようになったので…、あのPDFで手に入れるか、もしくは、あのコピーしてもらってですね、図書館の人にコピーをしてもらって、紙で手に入れると。それで、それをしようがないので、点訳ボランティアの方にお願いして、こう点字にして読んでいたということだったわけです。
だから、読むほうは本当に大変だったんですが、2000年の最初の頃です。2002年とかそのぐらいだったと思いますけど、これはいつも読んでいるインフティ・リーダー(Infty Reader)、インフティ・プロジェクト(Infty Project)っていうのが日本で――これは、これは日本の誇るべきことだと思うんですけど――日本で先ほどあのテックを原料に、テックっていうテキストで書かれたものから数式を、コンピューターの中で作るっていうふうに言いましたが、それはその方法の逆ですね。だから元々できた…、出来上がった数式から、元々の最初のテフ(TeX)のソースを吐き出すっていう逆の演算です。演算と言ったら(笑)。逆のことですね。それを、やってくれる方がおられまして。そのインフティ・プロジェクトの力を借りると、まあ、具体的にはPDFの、数式で書かれた文章があれば、それを基に先ほど言ったテフのソースを吐き出す、逆に戻して吐き出すということができるので、それで論文には自動的にアクセスすることができるようになったんです。

ちゃんとグラフにして書いたことがないから分からないけど、私の論文の生成っていうのは恐らく、そこでものすごくギャップがあると思います。あの、それまで点字に直していて書いていたときと、その後、そのインフティ・リーダーといいますけど、そのソフトウエアで、あの数式に情報アクセスがこう、非常に容易になったところから急にこう論文がたくさん書けるようになったというふうになっているはずですけど(笑)。全然違うことになりました。

私は: です。

(アンケート結果の扱いについては個人情報の取り扱いについてをご覧ください。)

認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。

ご支援
ご協力ください

モジュール一覧