※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。

診断時:56歳
インタビュー時:79歳(2008年12月)

近畿地方在住。1986年に右乳がんの診断で、乳房切除術とリンパ節郭清術を受けた。男が乳がんということでとても驚いたという。2001年以降、右頸部や右肋骨などへ転移・再発があり、さまざまな治療を受けてきた。 当時は母と妻と息子2人の5人暮らしで営業管理職。現在は妻と2人暮らしで無職。

語りの内容

やっぱり、がんっていうのは、完治っていうのはないわけですな。取り残しっていうのは、やっぱし…その場合、やっぱりね、一番初めは、年も若かったんか、2回目の(再発のときに)、その確かに「がんや」言われたときには、ものすごいショックやったですな。「わあー、死ぬんかなー」ほんで、お母さんがおれへんかったら、僕、ほんまに気が変になっとったかわからん。「ここにできた、こっちへできたもん取って。こうできて骨へ移ったら、骨の治療したらいい」と。ものを単純に、ものを考えたら、そういうことですわ。それであかんかったら、死ななしゃないですよ。それは、甘んじて受けんのはどうするかということは…ですな(笑)。それだけやと思う。
何でこうなったんやろうと思うたことね。そんなもん、どう考えてもわかりません。しかも、2万人に1人ぐらいの男性の乳がんになったということ、僕、宝くじみたいなもんやなぁと思って。何でなるんかと思うたら、そりゃストレス起こりまっせ。そやけど、そんなもん、考えたかて、どうしても、結論のつかんもんは…どないしょうもないですな。現実的に、僕、がんになっとんのやから。それを、どないかして治すし、治さん…治らなかったら治らんで、ような生き方をしたいと思います。そやから、笑って死ねたらええなとそれだけです(笑)。

私は: です。

(アンケート結果の扱いについては個人情報の取り扱いについてをご覧ください。)

認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。

ご支援
ご協力ください

モジュール一覧