投稿者「taguchi」のアーカイブ

慢性の痛みの語り

毎日ただ「痛くない?」と言っているだけではしょうがないので、違った角度から夫のアンテナに届くようにと、本やテレビから情報を集めている

今回(このインタビューに)応募したのは、あの記事を読んだときに何ていうんですか、痛みで悩んでるっていうよりも、何か誰かにこれを伝えたら、何か誰かがヒントをくれるんじゃないかなと思って。あの、もちろんほかで痛んでる方たちも、あの、たぶん情報をいただけるかもしれないけれども、その、どこの病院の何の先生がいいとか、何のお薬がいいとかじゃなくて、もうちょっと抽象的に、痛みの情報を何か誰かからもらえるんじゃないかなと期待して、あの、メールさせていただきました。

そんなことしているうちに、先週か何かちょっとNHKさんで、「腰の痛みは脳から来るものだ」っていうテレビの特集なんかも見たりとか、そういうのをして。自分は痛くないんですけど、痛くないんですけど、やっぱり何とか痛がる姿を少しでも楽にしてあげたいなとは思うんですが、本当にあの、力不足というか。どういうことをしたらこれが終わるのかなっていうのは、ずっとずっと続いてます。で、今に至ってます。

ただ、あの、本当に痛がるのを目の前にしてますから。私も24時間じゃないですけど、動けてる間はいろいろどうしてもピリピリしてますから。あの、やっぱり、「痛くて痛くて仕方ないんです」っていう人のテレビとかは、片っ端から見てしまえるところがあって。皆さん、すごい痛そうで。あの、痛い人を見ると余計痛くなるかもしれないけど、「こうやって、痛い人もいるんだね」みたいな、そういうことはどうしても言いますね。なんか1人で殻にこもっちゃうし、痛みを訴えなくなっちゃったら、今度はそれはそれでこっちもきついんで。こういうふうにこの人が痛いんだってとかいうふうに、ちょっと声かけの角度は変えてます。そうしないともうなんか、うつ状態っていうんじゃないですけど、痛みによって、ちょっと少し精神的にめげちゃうんじゃないかなと思ったんで、そういうところだけは今はちょっと変えてます。

なんかもう本当に私が本を読んで、テレビを見て、情報を取るのは、その、別にお医者さまにたてつこうとか(笑)いうんじゃなくて、こう、主人と会話の中で声をかけるのに、ただ、ただ毎日、「痛くない? 大丈夫?」って言っててもしょうがないので。そういうふうな、いろんな本を読んだりとかして声をかけると、また違った角度からこう、主人のアンテナに届くんじゃないかなと思って、そういうことをやるんですけど。まあ、これでちょっとでも少しでも痛みが治ってくれれば――治るわけはないと思うんですけどね。もう、ありとあらゆる(手を尽くす)、ですよね。

慢性の痛みの語り

上の娘が見つけてくれたペインクリニックや親戚が教えてくれたカイロプラクティックに通い、知り合いの紹介の漢方医にもかかったが、光が見えることはなかった

あるとき、上の娘が、あるペインクリニックを、見つけまして。あの、痛みには、ペイン――いわゆる麻酔科ですね。麻酔科のペインがいいんじゃないかということで、もう、やみくもにもう申し込んで。あの、調べてくれたもんですから、即。それで、そこで受けて、受け出したのが、うーん、約何年になりますか。うーん、3年間ぐらいでしたかしらね、ペインクリニックに。で、痛みのためには麻酔を打つんですね。そしてトリガーポイントにやっぱり麻酔のブロック注射を、ずーっと続けてたんですが、それでも、1週間に1回、通っておりましたんですけれども。麻酔をして帰ってきて、翌日はもうだめなんですね。

それで、何かないかということで今度は、親戚が教えてくれた接骨院のカイロプラクティックですね。そこにも行きまして、1年。で、その先生は、「もう1年でこれ以上治すことがない」と言われて、そこで放たれまして。そのころもう、薬を、たくさん飲んでるために、あの、何ていうかな。うーん…、胃腸が悪く――悪いっていうか、いわゆる体の、たまったものが出せなくなってきてたんですね。うん。で、尿もしにくい。それから便も出しにくい。

そういうので、あるとき、やっぱり知り合いで、あの、漢方の先生を、やっぱり知っておりまして、その先生のところに行ったんですね。そこで、解毒のための、お小水が出るようになる、それから下剤をかけて便を出す。そういうようなことをやっぱり…、やってくれましたね。それでも、それをずーっと続けながら、ペインクリニックに通い、接骨院に通いっていうことで、もうただ、そういう状態の中で光が見えることがなかったんですね。

慢性の痛みの語り

頚髄損傷の妻が足の痛みを訴えたとき医療者は相手にしてくれなかったが、インターネットで同様の痛みのある人が結構いることを知っていたので妻の訴えを疑うことはなかった

痛みが出始めたのは8月にケガをして、手術をして、リハビリを…やって、結構まあ自宅でも暮らせるのかな、みたいに見通しができて、ある意味こう自宅に戻るのを楽しみにしているような時期に出ましたので、……うーん、とても不安だったですね。まあ頼る人がいないっていうか。

ただ、あの、もう13年前でインターネットとかありますので、調べてみると脊髄とか頸椎をですね、えー、傷めた方で痛みがある方は結構いるというのは、あの、知ることができたので、女房がうそをついているとか、そういう疑いは自分では持たなかったですね。その書いてあることと女房の言っていることがとても重なる部分があるので、とても想像で言っているとか、適当なことを言っているとは思わなかったのは、それは良かったですね。はい。ということは、こういうこと(自分や家族の体験を語ること)をやるっていうのがとてもいいことなのかもしれない。それだけで安心するという具合ですね。自分だけじゃないっていうのは1つ安心になるかな。それがなかったら、もしかしたら女房のことを疑っているかもしれませんね、うそをついているとか、怠けてるとかっていうようになったかもしれません、私自身も。はい。ただ、そういう情報があるのに、なんでお医者さんたちってそういうのを知らないのかなって、まあ不思議にも思いました。

慢性の痛みの語り

認知症になった父は、痛みのために寝ている母をひどく叱責するようになった。母にしてあげられたことで一番よかったのは、父がデイケアに通うきっかけを作ったことだった

あともう1つ、非常に、困った問題がございまして、えっと、父が認知症になりました。で、父の認知症が、はっきりしたのが2008年のことだったと思います。徐々に認知症がひどくなっていって、何が起きたかといいますと、母が痛みのためにこう動きが鈍くなったわけですね。で、よく歩けないので、足を引きずるように歩くようになったと。で、スリッパの音がうるさいという、あの、父は文句を言うようになったんですね。で、父自身が認知症でしたので、要は他者に対する思いやりを全く持つことができなくなった。で、母がこう寝てばかりですので、母を叱責するようになりまして、「医者に行け、医者に行け」と、母を毎日叱責するようになりました。で、母は痛くて、もちろん医者に通っているわけなんですね。治療も受けている。それでも痛みが治まらないから寝ているんですけれど、父はそれを、認知症のために全く理解できなくて、父の叱責がどんどんひどくなるように、なりました。

ですので、私もあの、要は音が鳴らない、スリッパを購入して、まあ少し、まあ本当に小手先のことにはなりますけれど、なるべく父をこう怒らせないように。で、なるべく父と母を、引き離すようなことはしたのですけれど、まあそうは言ってもやはり夫婦ですのでね、あの、限界というものはございまして。

なるべくもう父を遠ざけることしかないということに気がつきまして、それなので、私は、もう父を何としても、あの、デイケアに、お世話に、あの、デイケアに世話していただくしかないということを、まあ思いまして。まあ父がデイケアに通うようになって、本当、心の底からほっとしました。だから、それは、何でしょう。こう、母にしてあげられたことの中で一番良かったことは、父をデイケアに連れていく、きっかけをつくったことではないかというふうにも思っています。

慢性の痛みの語り

娘が痛みで動けず、寝たきりでご飯の支度もできなくなり、子どもの世話もできないだろうということで、孫を預かって3歳になるまで、丸2年は面倒をみていた

で、その間、まあ、あの、孫はですね、ほとんど私どもで預かっておりました。あの、3歳までですね。ですから、約丸2年ぐらいは。あの、発病する1年弱は本人の家にいて、あの、私どもは通って世話をしながら。それで、その後もう動けなくなってしまいましたので、あの、本人はうちで寝たきり。で、そのときに、その夫たる、あの、婿さんですね。何かとお弁当を買ってきてくれたり。もうご飯の支度もできなくなり、これでは孫の世話もできないというんで、まあほとんどうちで、面倒…、育てたようなもんなんですけれども。

あの、そのときはですね、うーん。ちょうどね、あの、うち、内孫(長女の子)が半年前に生まれておりまして、半年後に(次女の子が生まれた)。で、あの、2人とも私が、産後の世話をしましてね。で、うちでは、半年の子がいるわけですよね。ですから、あの、娘(次女)の子が来ても、あの、全部揃ってて。で、もうあの、それこそ、生まれてしばらくはね、それでもあの人の家で、1歳前までですかね。あの、ちょうどミルクを飲んでる最中は、夫婦でやってたみたいなんですが、いよいよだめになってからは、うちで。もうね、あの、当然のように、もう双子ちゃんを育てようということを家族で話し合いまして、全員家族の協力で、受け入れようということで。

で、パパはもう仕事で、昼間はいないでしょう。で、あの、(孫がうちに)おりましたんで。もう、ちょっともうとても、あの、本人(孫)が親(娘)と離れて暮らすのを悲しがりましてね、よく泣きましたね。でもね、もう心を鬼にして、もう私は、この子を育てるんだと。だから、自分の子どもだと思って、あの、預かりました。ですから、もう全部、うちにいる内孫と同じ待遇で。もう全てみんなが、もういいも悪いも全部受け入れましてね、ええ、やりました。だから、3歳、満3歳まではうちでほとんど暮らしておりました。

慢性の痛みの語り

床に座っていて立ちあがるとき、息子は父親を抱え上げて起こすが、自分(妻)が介助するときはかなり自分の力で立ってくれるので力が要らない

今はもう、立ち上がるときも、もちろん1人じゃ立てないので。いすから立つことはできるんですけど、こう、ペタッと座っているときは立ち上がるときは手を添えます。それとあとはもちろんその車いす。あの、やっぱり外の空気を吸い、吸わせてあげないと。車いすに乗せて。あとはもう今はお風呂も、1人ではシャワーヘッドを持つっていうことも痛くてできないので、お風呂も一緒にシャワーをきちんとかけて。で、あとはもう手が後ろに回らないので、そういうところはフォローするようにはしてます。ただ、本当に、あの、全てわかってるので、「自分のここからここまでは痛くてできないんだ」っていうふうに伝えてくれるから、それをやってくれっていうのだけはやっています。

で、不思議なのは、こう立ち上がらせるときとかは、すごい体が大きいので重そうに見えるんですけど、実は、こう、じゃあ、あの、こう脇に手を入れて、「じゃあ、お父さん、立とうね」って言うと、かなり自分の力で立つんですよね。だから、私はそんな力が要らないんです。なんかこう手を添えるぐらいで起き上がっちゃうんで。息子なんかだと息子は力があるから、本当にお父さんを抱き抱えて起こしちゃうんですけど。そういうのは、私の場合はなんか自分で起きてくれるので。そうすると痛いのも、ちょっとこう精神的なものもあるのかなとか思うときがありますけど。でも、一応、あの、「立たせてくれ」とか「そこを持っててくれ」とか、そういうときは全部、はい。手は出します。ええ、安心できるなら、ええ。 でも、きっとパーキンソンもありますから。パーキンソンで動けない部分は、もしかしたらですけど、動けないっていうことイコール、今は痛みっていうことかもしれないですね。痛いから動けないって思ってるかもしれない。でも、それもわからない、本人でないと。ええ。

慢性の痛みの語り

母は私が作る料理が薄味だったのが気に入らず、「私のことは私がやる。構わないで」と強い口調で言われた。風呂掃除は私がやるが、洗濯は少量ずつ本人がやっている

その、台所も難しそうだったので、まあ本人にとっては薄味で嫌だったかもしれないけど、料理を作っていたときも、「もう私のことは私がやる。そっちはそっちでやって、構わないで」っていう、非常に強い口調で言われたことが、今でも(笑)、覚えているんですけれど。うん。…その、でも考えてみたらそれもやっぱり、自分はこういうふうに生活したい、こんなふうに生きたいから余計な口出しはしないでというのが強かったんですね。今は、お互いそういうふうな強い口調でのやりとりいうのはないんですけれども。基本は変わってないと思います。はい。

―― その味付けについて強い口調で言われたときって、まあ今はいいかもしれませんけど、その言われた当時は結構嫌だったんじゃありませんか。

嫌というか、「あっ、そう!」みたいな感じですね(笑)。あの、うん、まあ気持ちのどこかでは、もう、あの、思うようならない自分の体というので、すごくイライラしてて、つらいんだろうなと思うんですけど、でもそのときっていうのも感情のぶつけ合いですので(笑)。あの、「あ、わかった。もう私、手出さない」って(笑)いう形ですね。うん。……そうですね。でも、かえってその後のほうが、せいせいしてたみたいですね。自分で、あの、できる範囲のことで自分の面倒を見るというか、そちらのほうがやっぱり良かったのかなと思うんです。無理して、ありがたがって、あの、娘が作ったものを、自分の味とはちょっと合わないようなものをずっと食べるよりは(笑)、良かったのかしらと思うんですけど。

―― ほか、その、お風呂とか、えーと、お洗濯とか、そういった日常のことは全くやらないわけにいかないと思うんですけど、お母さまはどうされていますか。

お風呂はもう完全に私が掃除をしてますので、お風呂掃除は母はしてないんですが、今何とかお風呂には自分で入れるようになってます。で、お洗濯もですね、非常に少量ずつ、あの、ちょこちょこと洗ってるので、たくさんだと干したりするの大変なので、まあできてるんだったらそれでいいかなと思って、やってもらってます。なんか、そうですね。あの、きちん、きちんと、あの、本当にきれいに、本当にこうしなきゃいけないとか、チリもゴミもない、きちっとした家庭でということはあまり私も今考えてませんで(笑)。あの、まあちゃんとそれで普通に生活できればいいかっていうふうに思ってます。

慢性の痛みの語り

母は痛みのため四つん這いになってトイレに行っていたが、それに対して自分が何をしたらいいのかわからず、行く先に障害物がないようにする程度のことしかできなかった

一番…痛みが激しかったときっていうのは、そのトイレに行けなくて叫んだ時だと思うんですが、振り返ってみると、私、何したってわけじゃないんですよね。……びっくりして起きて、そばに行って、で、「動けない」って言ってる。どうする? でも、トイレ行きたいんだよね。うーん。で、「這っていけそうかな」っていうのは、母が言い出したことですね。で、私は這っていくことを提案したわけでもないですね。それが、母が言うのを聞いていただけ。本当に恥ずかしいんですけど、何かをしてあげたということはないし。そして、あの、自分で動けるんだな。トイレから終わって、ちゃんと、終わって帰ってこられるかな。あとは、水は私が流したりというのはしてますけど。…うーん。…本当に何をしてあげたらいいかはわかんないっていうのはそういう状況ですね。なんですけど、何とかベッドに入って寝た。翌日起きたら、夜中の痛みよりはマシになってるから動けるっていうのはあったんですね。

今、今、何できるかな、私が何したらいいかな、何をやったら余計かなっていうことしか考えてなくて。あの、葛藤というか、どうしたらいいのかわからないっていうのはあるんですけれども、どうしたらいいのかわからないんだけど、自分で勝手に考えてもしようがないので、母の動く様子を見て…、行く先にこう、障害物ないようにとか、そんな程度のことしかしてなくて。

最初、全然動けなかったときに、その、えーと、トイレに行くのも結構大変だったんですが、えーと、まあ、ちゃんと歩を刻めないんですよね。で、四つん這いになって。それも四つん這いになって布があるほうが、あの、スムーズなので、あの、フローリングなので、スムーズになので、じゃあ、ということで結構母は、あの、タオルを半分に切って、大きいタオルだと絞れないので、半分に切って結構ためてたんですよね。それをちょっと使って、膝と手の平とに付けて、で、滑らせながら四つん這いでという感じでトイレに行ってたんですね。で、最初は必死の努力だったんですけど、そのうち見てると、うん、「お母さん、トイレに行きながら床掃除してるね」っていう(笑)状況にはなったんですけど。あの、まあそういう冗談も言いながら、痛みとのつき合い方は母なりに工夫して、本当工夫する人だなと思います。痛いって嘆くだけじゃなくて、どうやったら動きやすいかということを考える人だと思いますね。

慢性の痛みの語り

痛みは本人しかわからないが、家族に痛がる姿は見せたほうがいいと思う。痛みを受け入れるために家族のできることは、ただただ笑っていてあげることしかない

で、ほかの人、あの、痛みを持ってる方がどういうふうに生活されてるのかなって、そこまではこう、あんまり詮索はしたくはないんですけど、痛いときってみんなどんなふうに我慢してるのかなとか、あと周りの家族の人もきついだろうなとか、思います。「痛い、痛い」って言ってる人を目の前に放っておくことはたぶんできないし。だからといって痛みを取り除いてあげることもできないし。よくこう、手かざしとか言いますけど、そんなこともできないし。

ただ、本当にあの、さっきから言うように、神頼み、みたいな世界になっちゃうので。追い込まれちゃうって言ったら大げさかもしれないけど、できることは本当に神頼みぐらいしかできないんじゃないかなって、私は思うんです。だから、どういうふうに、皆さん、この克服をするのかなって思ってます。はい。

痛い、痛いのは本当に本人しかわからない。それはもう周りの人はみんなわかってると思います。痛がる姿は見せたほうがいいと思うんですね。それは見るほうはつらいかもしれないけど、さっきも言ったように我慢されるほうがもっとつらいかもしれないので、あの、甘えちゃっていいんじゃないかなと思います。

ただ、甘えられるほうはやっぱり受け入れ態勢がかなり必要です。あの、痛くないのに理解してあげなきゃいけないし、でも理解できない自分は力不足だと思っちゃうし。そういうところが、もうこうなったら、何かこう、何かに頼ろうかなって思ってしまうかもしれないけど、私たちは夫婦2人で、それ以外の人には何を言ってもわからないし、2人だけで受け入れなくちゃいけないなと思ってやってきましたけど。痛みを受け入れるために家族のできることは、ただただ、何ていうんですか、笑っていてあげることしかできないし。よく、あの、笑うと免疫力が増えるって言いますけど、もうその辺りで精神的な支えしかできないと思っています。

慢性の痛みの語り

痛みには共感しても、妻の苦しみを自分の心の中に一定以上入れないようにして、痛がっていても客観視して、自分ではその痛みを想像しないようにしている

で、あと、うーん、痛みに関して接し方で、気をつけていることは、痛みには共感するんですが、共感はするんですが、それ、ある線を越えて自分の中へは入れない。絶対に女房が、あの、痛がっていてもそれを想像、自分では想像しない。想像しないようにして心を閉ざして、ある面では閉ざして無視して客観的に、苦しんでても見るようにしてます。

どういうきっかけがあったかというと、女房、今は、あの、排便も自立していますけれども、退院した当時は、えー、…女房がなかなかうまくいかなくて、まあ便秘状態になってしまうと、自分もなってしまうということに気がつきました。自分が便秘なんかなったことないんです、男だし。女房が出ないと自分までなってしまうんです。変ですね、人間てね。自分もなんか同じ苦しみを味わっちゃうんですね。要は、なんか同化しちゃうと自分の体にも悪影響があるというのをわかるので。えー、もう、だから共感は大事かもしれないけど、何ていうんだ、自分の体の中というか、心の中に、えー、女房の苦しみを一定以上は絶対入れないように、というふうに心がけています。だから、痛がっているのは痛がっているんだけども、それは客観視して。えー、自分ではこう、想像して、「ああ、こんなに痛いんだろうな、こう言っているから」ということは絶対やらないように、その、気をつけています。

それと、なるべく痛みの話は避けるようにしてます。女房も、めったに言いません、痛いというようなことは。態度ではわかることありますけど。「あ、痛いんだね」とか、そういうことはこっちからは言わないし。まあなるべくなら、そうっと、なんかペースが守れるように、えー、まあ支えるようにしなきゃいけないと思いますが。そういうとこが工夫しているところかな。