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慢性の痛みの語り

体調がよくなるまで孫を預かることにしたが、本人まで預かってしまうと上げ膳据え膳で起き上がれなくなってしまう。自立を促す意味で娘は自宅で過ごさせるようにした

(孫は)やっぱり自分の子じゃありませんので、お尻をたたくわけにもいかないし(笑)。もう、あの、でも、あの、甘やかさないで、あの、大事にかわいく、あの、ちゃんとに育てようっていうのは家族全員のね、協力と、あの、心の一致でしたね。ええ。ですから、あの、何のあの、苦労とかそういうのは感じませんでした。もう、もうそのまんまもうね、あの人、彼女が良くなるまでもう受け入れちゃおうっていう、もう親子もろとも。

ですけど、親(娘のこと)をね、預かっちゃうとますます怠けちゃうっていうか、起き上がれなくなっちゃう。だから、向こうだと、せめて上、2階から――2階で寝てれば下に下りてくる。また上っていく。それだけでも動けるじゃないって。うちへ来ればですね、もうあの、ベッドルームあればそこでもう1日寝てましたから。たまに遊びに来てもですね、もう寝てましたので。もう、あの、「おばちゃんは奥で寝てるの」っていうことだったんですね。ですから、来ても、あの、子どもの世話もできませんしするので、それだったら、もう子どもを預かっちゃおうっていうことで。ええ。

―― あと娘さんのことを思って、あえて、その寝かせっきりにしない。

しない。はい。

―― というようなところで、何とか自分でこれ以上落とさないようにっていうことをすごくあの、考えて接する。

そう。自立を促すということでね。あの、どうして寝たきりになってるのかっていうこともわからないわけですから。本当のところ、あの、周りの方、知らない方は怠けてるだろうとか、親戚の人たちも怠け病だとかいろいろ言われたんですね。だから、理解されないまんまでおりましたので。あの、うーん。1つはね、あの、本人がご飯の支度できないからっていうんで、うーん、タイヘイ(食材配達会社名)じゃなくて何か、あの、材料を運んでくれる、ね。あれも。でも、それももうほとんど作れなかったですね。

ですから、でも自分はおなか空くから、あの、婿さんが。私、私たちが行ってないときは、婿さんが、あの、前の日に買っておいたりしてるのを食べて。自分、だから、それは自分のうちにいればこその話で、うちへ来れば、上げ膳、据え膳になってしまいますので、かえって、あの、彼女のためにはならないんじゃないかと。少しでも、あ、歩いて、筋力は衰える一方だから歩いて。ね。トイレに行かれるんなら、このくらいはできるでしょうっていうね。うん。

慢性の痛みの語り

痛みがあると感情がとげとげしくなるものだが、妻は痛みがあると逆にハイテンションになって明るく振る舞う。娘はそれを見て「お母さん、今痛いんだね」と気づいていた

やっぱり痛み、えー、痛みがあるとこう…、感情とかもですね、刺々しくなるのはわかりますよね。誰でもね、痛みがあったらそうなっちゃうし。それがうまく伝わらないと、やっぱり夫婦仲悪くなっちゃうというのはありますね。あの、会というか、その私とやりとりしている方の中にもありますけど。まあそういう場合は、まあ家族の方がこっちに連絡されるということないので、患者さんとしかやりとりできないので、うまくアドバイスとかはできたことないんですけど。家族で一緒に私らの活動に参加されている方は、いいですよね。幸せですよね。うん。そうですね。家族にわかってもらえないとつらいですね。。

女房すごく痛くなるとこう…、顔に出すんじゃなくて逆を、え、演じるんですね。ハイテンションになって明るく振る舞うので、まあそこら辺、あの、娘はすごいわかってて、ハイテンションのときは痛いんだということをわかってて接してくれるので。まあ私がぽろっと言いますけど、「お母さん、あの、今痛いんだね」って言ってくれるので。まあ今は、――当時、えー、娘、高校生だったかな。多感な時期にそういう状況があって、うー、娘にもつらい思いをさせちゃいましたけど。うん。はい。

慢性の痛みの語り

母が痛いと嘆き悲しむだけだったら巻き込まれていたかもしれないが、痛くても何かしようとする母に助けられていた。距離を取ってくれたのは母の気遣いだったと思う

「この痛みはなくならないんだ」っていうのもあり、自分がどうかしたから、どうにかなるっていうものでもないっていうのがだんだん見えてきたときに、無力感というよりは、それでも何ていうの、あ、母がその痛みがあっても何かしようとしてる姿があったので、それを私、見てたんだと思うんですね。痛みをなくそうとして、あの、自分で何かパンパン叩いたり。まあ叩くという痛みのほうに気が紛れるというのがあったかもしれないですけど。それは本当に見てて、あの、切ないなっていうのがありますが、それでも何かしようとしてる母というほうに目が行ったんだと思うんです。なので、何かしようとしてるほうだったら、何か、あの、力添えはできるかもしれないというか、おかしいんですけども。あの、何かしたいと思うほうだったら、あの、できるような環境をつくっていくというか、条件をつくっていくというか。それだったら少しできるかもって。痛みだけを見てると本当に何もできないですね。

もし母がそれで痛いって嘆き悲しむだけで何もしようとしなかったら、一緒に巻き込まれたのかもしれないです。そういう意味では、痛くても何かしようとする母というのに助けられてるのかもしれないですよね、私がね。

だけど、ああ、そっか。私から距離を取るというより、母のほうから距離を取ったのかな。あの、何もしないでくれみたいな形で、ちょっと突き放しというか。それでも何とかしようと……しなかったのは、もうあの、べったりそばにいられなかったというのもあると思うんですけど。……うーん。…痛みの治療というのは確かにあるけど、ペインクリニックを目指して、まあ神経ブロックもお願いしたけど、一時的に良くてもまた戻っちゃうっていう。それが神経ブロック何種類かやったとき、そういう状況だったんですよね。

…そうですね。無力感、無力感になったかもしれない。それから救ってくれたのが、あまりべったりと私に訴えなかった母の気遣いもあったかもしれないですね。

慢性の痛みの語り

「慢性」という言葉には「だから仕方がない」というニュアンスがある。本人は痛いから忘れるわけないが、家族は忘れたくなって「いつものことでしょ」と受け取ってしまう

あとはもう「慢性」っていう言葉が、「慢性的」って言ってしまうと、痛いのはつらいのは本人だと思うんですけど、ちょっと周りから見ると、「慢性的だから仕方ないじゃない」みたいな、そういう日本語のニュアンスってありますよね。急性だと「ああ、大変、大変」ってなって、「何とかしてあげなきゃ」って思うのに、慢性っていう言葉を聞いてしまうと、「いつものことでしょ」と。こう、自分が楽になるためにそういう受け取り方をしてしまうから、たぶんそういうところが、あの、本人には、あの、やっぱりしちゃいけない態度なんだと思うんですけど、やっぱりいつもいつも一緒にいると、「大したことないよ、気のせいだよ」みたいな言い方はしてしまいますね。

娘が、あの、実はアトピーなので、慢性的なかゆみがあるわけです。そうすると、よくアトピーのすごいひどいときに、「かゆいっていうのは痛いっていうよりもつらいんだよ」みたいな表現をされるんですけど、やっぱりそれも私からすると、いつも「かゆい、かゆい」って言ってるから、だんだん、だんだん、「かゆい」っていう言葉に私が反応しなくなってきちゃうんですね。でも、本人はかゆいわけですよ、もう、人前でも。

でも、そういうのが今回の主人の痛みもその慢性的な痛みだから、こっちが忘れたくなってしまうっていうか。本人は痛いから忘れるわけないんですけど、端からすると、「もうお薬飲んだから大丈夫でしょう」とか、「今は大丈夫でしょう」っていうことはだんだん声かけで出てきてしまう。最初のうちよりは、もしかしたら声かけのかけ方が違ってきちゃってるんじゃないかなっていう、そういうのは出てきますね。

慢性の痛みの語り

自分はずっと母の痛みと付き合うと思っていたが、「この痛みは一生なくならないのかね」という言葉に、母が痛みがなくなることを期待していたと知ってはっとした

最近はですね、急にちょっと時間が飛んじゃいますけど、痛いのをあきらめてるのかな。なんか1年ぐらい前に、あの、「この痛みは一生なくならないのかね」っていう言い方をしまして、で、私、それ聞いたとき、「はっ」と思った。私のほうとしては、あ、ずっと痛みとのつき合いだなって思ったんですが、母としてはやっぱり痛みなくなることを期待してたんですね。その、「一生この痛み…が消えないのかな」っていう言葉で、ああ、痛みが全くなくなるっていうことは私もたぶん無理だろうなと思ったんですが、それを望んでいたんだっていうのは、そのときにちょっと初めて…、私のほうで意識したっていう気がしました。今はですね。あまり前ほど、「痛い、痛い」言わなくなったんですが……、あきらめたのかな。そこは、はっきり聞いてないんですけれども、あの、痛みのない生活というのをあきらめたのかなっていう気もします。

慢性の痛みの語り

認知症になって脳の神経が麻痺して痛みを感じなくなる方が幸せかと思ってしまうくらい、慢性の痛みはきつい。たぶん本人が一番付き合い切れないと思っていると思う

これで後はもう、たぶん痛すぎて、痛すぎて痛すぎて何かが起きるってことがあるかもしれませんけど、今は、あの、心臓にも水がたまってますから。変な話、あの、もしかしたら、私も介護施設で見てますけど、もしかしたら痴呆症とかアルツハイマーになったら痛みを感じなくなるかもしれない。そういうなんかもう全く違った方面に、期待をしてしまうというか、痛いのがわからなくなるんだったら、そういうのでも本人が楽になるならいいのかなって思うぐらい、この痛みはかなりきついですね。

あの、私たちの施設の、あの、ヘルパーさんが、あの、「痴呆症は、ぼけてしまってわかんなくなるのは、神様からの最後の贈り物だ」っていう言葉があるんですけど、もしかしたら、それは、うちの主人にはそうかもしれない。そうなったときに、もしも脳の神経が少しでもちょっと麻痺してくれて痛みを感じなくなってくれたら、そのほうが幸せなのかなとか、思うぐらい、慢性の痛みっていうものとの、付き合うのは――付き合えないですよね。あの、本当に、よくある、「病いと付き合う」とか言いますけど、これだけ薬飲んでも効かないと、もうね、付き合えないです。たぶん、本人が一番付き合い切れないと思っていると思います。

もう、克服っていう言葉もなんか、はるかかなたの夢の世界みたいな状態なので。そういうことはもしかしたらできるのかなとか、まあ私以上に本人はもっと思ってると思いますけど。ただ、もしも本当にその脳の神経だとか何調べてもわからなくて、そういうのだっていうんだったら、本当にアルツハイマーのとか、痴呆症の方がこう、すっと物事を忘れてしまう、あちらのほうが幸せかなって、思いますね。よく、あの、アルツハイマーの方が徘徊をするとか、あれで悩まれてるご家族の方とか、見てて、「何で、こんな、人って、うまくいかないのかな」と思うんですね。うちは、もう本当に、あの、お話ししてもわかるように、もう、こう、しゃべっても、しっかりしてるぐらい、もちろん、頭の中は全部わかってるし。何やっても、わかってますけど、体が動かない。でも、アルツハイマーの方たちは、痛みも、どこも痛くも、何ともなくって、どこでも歩いていけて、何を見ても――でも、わからないっていう、この、何か、うまくいかないんだなっていうのは、つくづく感じますね。

慢性の痛みの語り

もうちょっとうまく痛みと付き合えばいいんじゃないか、と思うときもあるが、痛いのは本当につらいと思う。痛がる姿より我慢している姿のほうが見ている方はきつい

もうちょっと痛みとうまくつき合えばいいんじゃないかとも思うんですけど、こればっかりは、痛いのは本人持ちなので。周りからはそういうことを言っても、まあ聞くこともできないし。あの、小さい子にやるおまじないじゃないですけど、「痛いの痛いの飛んでけ」ってぐらいのおまじないで効いちゃうのかなって思うときもあります。気のせいじゃないかなとか。ですから、いつもこう、痛いのってどういう感じなんだろうって思って。  きっと、これ(このインタビュー)でいろんな痛みで悩んでる人とかがいろんな言葉で表現してくれると、もしかすると、私のほうも主人の痛みをもうちょっと違った方面から理解できるんじゃないかなっていうのは感じてます。はい、そういう感じです。

ただ、それを、やっぱり、我慢してる姿のほうが痛がる姿よりも、見ててるほうはきついですね。痛がってくれるほうが、「あ、痛いんだ」と思うけど、我慢されてるとこれはきついなっていうのはあります。一応、我慢強いのは認めますけど(笑)。我慢強いし、頑固なのはとっても認めますけど、でもその辺りがちょっと……一番、一緒にいるほうはきついですね。  痛いのは、本当つらいと思います、本人も。私なんか歯が痛いだけで大騒ぎですから。そんな比較じゃないみたいなので。本当に何かこうケガをして、手に、手から血が出てとか、足から血が出てとか、そういう痛みで痛んでるわけじゃないので、これはどういう病気なのかなとか思いますね。あの…、一番やっぱり、本当何度も言うようにきついのは本人ですから。本人がどういうふうに伝えても、たぶん誰もわからないし、先生ももちろんわからないし、私もわからないし、誰もわからないんですけど。ただ何かのときにこのお薬とか、この先生とか、には、期待しますよね。

慢性の痛みの語り

娘の訴えに周囲は半信半疑だったが、自分と夫だけは指導的なことを言わないで、彼女の言葉を全部受け入れ、生活のフォローをしようと覚悟を決めた

―― 娘さんに対して、その、接するに当たって、お母さまとして、どんなことをこう、気遣ってでもないですけれども、何かされていることっていうのは、何かあったりしますか。

はい。それはですね、もう全面的に、私の指導はしない、意見は言わない。全て、彼女の、言葉を全部、「そうね、そうね」って、「そんなにつらいの?」って、「じゃあ、あの、今、どういうふうにしてるの」っていうのを受け入れましたね。もう全面的にもうね。あの、この人に何か言ってもだめだと思ったんです。かえって、逆なでしちゃうみたいな。「私がこんなに苦しんでるのにわかってくれないの!」っていうのが、もう見え見えでしたので。せめて、私にぐらい弱みを見せてもいいじゃんって。うん。

それで、婿さんも半信半疑ですし、周囲の人はみんな半信半疑で。ですから、主人と私とではもう、「本人がそう言うなら、もうその本人の言うように動こうじゃないか」ということを、そこで腹を決めたんです。ええ。ですから、今でも行っても、こっちの話は報告程度で、ほとんど彼女の、「今週はこういうことあったの。こういうことあったのよ」って言って(いるのを)、いい話もつらい話も全部聞いてくるんですね。  ですけど、もう私も年を取ってますので、何かそういうものが記憶の海馬に入らなくなってくるんですよ(笑)。ですから、人間の体って大したもんですよね。つらい話も忘れるようになってきたんです、最近。ですから、いくらね、いろんな話を聞かされても、もうしようがないじゃんって。もうあれだけね、10年間ね、やってきたら、もうあれ以上つらいことはないと思って。ええ。もう何でも、もう。

それまでは私も結構気が強いほうで、あの、教育的指導みたいなね、ばりばりね、もう意見も言っちゃう人だったんですけども。私の最も悪いところかな、なんて思ったりして、もう反省材料で。私が何か言っても解決できないものなら、もう医学者に任せるなり、第三者に任せるしかない。あとは生活のフォローをしてやればいいと。うん。いうふうに、もう早い時期にもう決めちゃったので。あとはもう何も、迷うことはなかったですね。うん。たまにね、お姉ちゃん(長女)に愚痴を聞いてもらったりはしてましたけども。で、主人と話しても、あの、もう主人も答えようがないですから、もう2人で、「もうしようがないわね」って、「もう少し頑張ろうね」って言うだけで、毎日をね。

慢性の痛みの語り

医療者に妻が痛みを訴えても、相手にされなかったのはショックだった。精神的な病気にならないよう、周りの者が痛みを理解してフォローしなくてはいけないと思う

最初、気がついたのはそういうことでしたが、あのまあ、お医者さんにそのことを言うんですけど、相手にされないというような状況があって、それがとてもつらかったですね。ともすると性格が悪いとか、えー、怠けじゃないかというような疑われることもありましたので、私としては、その、まあ女房は怠けるとかそういうふうには思っていなかったので、とてもショックでした。何とかその女房の立場を守らなきゃいけないっていう気持ちが強くあったと思います。

まあ痛みのほうで自分は、あの、気をつけたっていうことは、あの、やっぱりこれ、インターネットの情報だったと思うんですけど、痛い患者さんは痛いだけじゃなくて、精神的な病気になると、なりやすいと。そう、そっちのほうを防がなきゃいけないよっていう情報をたぶんどこかで見たと思う。それは自分の頭の中には残ってて、そのためにはどうしたらいいんだっていうのは、あんまりよくはっきり書いてなかったですけども、ちゃんとわかってあげて、周りの者がその痛みについてわかってあげて、フォローしてあげるのがいいっていうようなことがどこかに出てたと思うので、それは、あの、自分では常に心がけて、もう共感的に理解して、えー、接するというふうには徹していたと思います。で、精神的な病気には絶対させてはだめだというのは、何となくその痛みが出始めて、しばらくしてからずっと思っていました。なかなかその痛みに共感してくれる人は少なかったです。

慢性の痛みの語り

交通事故で頸髄損傷になって半年後から不思議な痛みが出始めた。電気毛布を使っているとき「足が焦げていないか、確かめて」と妻に言われ、麻痺がある足の痛みに気が付いた

うちの家内はですね、あの、平成14年8月の13日に東名高速道路上の交通事故で、頸髄損傷ということで、四肢に麻痺があるという状況になりました。で、手術のために入院した病院、それから幾つか点々として、リハビリのために病院に入院したのが10月でしたね。で、痛みが出たのはーーまあもうすぐ、麻痺は体にあるんですが――何とか、うちのほうへ戻って自宅で生活するというのが見通しが持てるようになった2月ぐらいでしたかね。2月ぐらいから不思議な痛みが出始めました。

最初にあの、言ったことはですね、えー、女房は四肢麻痺ですので、ベッドの上でいたんですけども、そのころはまだあの、自分でシーツを剥ぐとかそういうことができませんでした。そのころ、ちょうど電気毛布を使っているときだったので、女房がちょっと変なことを言ったんですけども。えー、「足が焦げたような…(焦げ)てるような気がする。ちょっと確かめてくれないか」というような言い方をしたのが、その痛みのことに私が気づいた初めですかね。女房に言わせると焼かれてるような痛みがあるということで、何度かその、燃えてないか確かめさせられましたけれども、もちろん燃えていませんし、そんな極端に熱くなっているわけではありませんでした。