投稿者「taguchi」のアーカイブ

慢性の痛みの語り

朝起きたら、腰が痛くて起き上がれず、箪笥につかまりやっと立ち上がった。整形外科やマッサージに行ったがなかなか良くならなかった。それから25年痛みが続いている

痛みを…、まあ結構強く感じたのは今から25年ぐらい前なんですけれども、あの、ある日…、えっと、朝起きたら、まあ、その前から少しずつこう痛みはあったかと思うんですが、朝起きたら腰が痛くて痛くて、もう、こう起き上がれない状況だったんです。で、えー、どうやって立ち上がろうかなと思って、あの、――タンスのこう引き出しに、こう、つまみがありますよね。あれをこう、なんか虫のようによじ登るような(笑)、なんかそんな感じで、やっと立ち上がって。

で、これはちょっと普通の痛さじゃないなということで、あの、整形外科に行ったり、えー、はしてたんですが、なかなか良くならずに。で、あと、マッサージに行ったりをしていたんですけれども、やはり、あの、なかなか良くならなかったですね。で、あの、まあ仕事がありましたので、あの、仕事しながら、えー、いろいろなそのマッサージとか、そういったその病院とかは行っていたんですが、あの、もうほとんど一向に良くならなかったというのがもうずっと何年も続いていました。それで、もうずっとそれから、まあ今日まで約25年ぐらいなんです(笑)けれども、あの、ひどいときは、あの、仕事の、こうスタッフにちょっと家に来てもらって、仕事の打ち合わせをしたりとかってしてもらっていたくらいだったんです。

慢性の痛みの語り

見た目は普通だが怠けているのではなく本当に動けない。理解してもらうには、自分に乗り移って感じてもらうしか、わからないような関節の痛み、筋肉のだるさがある

それ、なかなかやっぱり、なった本人しかわかりにくい状態なんですけど、関節がやっぱり動きにくいような感じ。だから、油が切れてしまって、ギシギシギシって動くような感じで。滑らかさが、関節の動きの滑らかさがない…くて、やっぱりちょっと動かしづらいっていう、動きたくないっていうような。だから、まあ、あの、だるいから寝っ転がってるというふうに。でも、顔の表情としては普通。なので、よく言われるのが怠け病っていうふうに言われて。怠けてるんじゃなくて本当に動けないんだけど、見た目は普通っていうのが…、そういうような状態ですね。だから、一概にこうなんですよっていうふうに言っても、やっぱりそれを理解するのは、病気になってもらって、それか乗り移ってもらって、その、あ、どういう感じなんだって感じてもらうしかわからないような、痛み、だるさ、重だるいというような感じです。

―― なかなか言葉では表現の限界がある…

はい、あるという。だから、私もなったときは…、その先生に説明するのに、今までに感じた、その、熱があるときのだるさでもないし、その、おなかが痛いときの痛さでもないしって、もう何て表現したらいいんだろうっていうふうに…迷ってしまう、考えてしまうっていうような……。だから、まあロボットで油が切れてギシギシの状態での関節の痛さ、あと筋肉のだるさって言うしか、もう表現ができない。……あ、またなってきた。

慢性の痛みの語り

痛みを感じているのは私なので、私にしかわからない。共有できないし、理解されない。慢性的に痛いのが普通で、外からはわからないので、説明しても伝わらない

痛みを感じているのは私なので、私にしかわからないっていうことです。……なので……、痛みが共有できないし……、理解されないし……、私だけが、感じている。そして外からはわからない。……………私だけの…痛みというか、うーん……、外からわかると……声をかけてもらえたりとかするけど、外からわからないので…孤独になるかもしれないですけど。…………うーん、話しても説明しても、伝わらないとは思います。

慢性の痛みの語り

本当に痛いのか聞かれるが、痛いということしか言えない。言葉でうまく伝えられないのが残念

あの、でも、痛みの表現がなかなかうまくできないのがなんかもどかしかったです。痛いっていう、その…、わからないですよね。だから、口でも説明できないです。だから、「どう痛いのよ」って母親に言われても、「だから、どう痛いって、立ち上がるときにこう痛くて、この辺がこわばっちゃってる」とか言っても、母親はそういう、「90にもなっても、そういうことがないからわからない」って言うんですよ。確かにそうだなと思って。……でも、ね、わからないですよね、みんなね、確かにね。「どんなに痛いの?」って、「本当に痛いの?」とかってなっちゃうんですね。でも、痛いんですよ。だから、その痛みがうまくなんか伝えられなかったというのが非常になんか…、残念です。…聞いている人もね、だから、「どんな痛みなのよ?」とかって思うと思うんです。でも、とにかく口で表現できるのは、立ち上がろうとしたときに、もう腰の周りがこわばって、10分ぐらい経たないとこう、体が元にならないし……、痛いっていうことしか言えないです。うまく伝えられなかったのが残念です。

慢性の痛みの語り

母のために自分にできることがないと空しく感じていたが、いとこが移動式のいすを買ってくれたり、おじが車で旅行に連れていってくれたりして、精神的な重圧が軽減された

あの、もう私ができることはもう、ぜん、何もないという非常に空しい感じですよね。何もできなくてどうしようと思ったんですけれど、あの、そのいとこが、えーと、母のためにいすを買ってくれたんですね。最初、母は自分で買ったいすがありまして、それは固定式のいすだったんですけれど、やはり固定式ですと、あの、家事をするときに、あの、それこそ台所にちょこっと、あの、移動したいときとか、固定式なのでもちろん動けないわけですよね。で、いとこが、あの、そんな母を見かねて、あの、車が付いたいすを買ってくれまして、そのことが非常に、あの、母はうれしかったし、私にとっても非常に、あの、うれしく思いました。だから、そういう、こう思いやりが一番、母にとって一番の励みだったと思います。

というのは、薬を飲んでも、あの、治療を受けても何1つ良くならない中で、唯一のこう励みというのがそういう励ましだと思うんですよね。だから、あの、まあ私は、あの、いとこがそのように気をつけて――気を使ってくれたのが非常にうれしかったし。あと親戚が、あの、また、えーと、旅行に誘ってくれたことがありまして、で、あの、歩けない。痛みで歩けませんけれど、車の移動だったら何とかなるよねということで、あの、まあ親戚のおじが運転してくれて、車で旅行にちょろっと行ったことがあったんですけれど、そういうときも非常にうれしく思いました。

というのは、本当にこう精神的に励ますことしかできませんので、まあそれが、本当に気晴らしなんだと思いますね。で、あの、楽しい瞬間、ずっと痛いので、その楽しい瞬間というの、もちろんずっと続くわけではないんですけれども、まあでも一瞬でもこう気晴らしをできるということが母にとっての励みだったんだと思いますし、まあ私も少し精神的な重圧から、まあ一瞬でも、まああの、逃れられたという気はしています。

慢性の痛みの語り

長女は次女の子を預かることをいとわず、長女の子は次女が寝ていれば遊んでもらいたいのを我慢した。家族の中にあ・うんの呼吸で助け合う協力体制が出来上がっていた

あの、主人と私が、娘(次女)の家から帰って来て、彼女(長女)は子育てがありますもんですから、直接、あちらの家には来なかったんですけども、私と主人との様子を聞いて心を痛めてね。で、アドバイスしてくれてたんですね。それで、まあいろんな病院とかそういういいものを一生懸命コンピューターで探し出してくれてましたね。…それで娘が、帰ってくればですね、その子連れで帰ってくる、あるいは子どもをずっと預けて、それをみんなで、あの、何かこう一致団結とか何か言わなくても、もうその小さい子をみたらですね、あの、みんなで助けてくれたっていう、助け合ったっていうかな。うん。誰も嫌がりませんでしたし。「もう、うちの子にしちゃえば」みたいな感じでね、あの、やってましたね。

で、あの、おばさんが来ると、寝てばっかりいると。で、下の男の子なんかは、遊んでもらいたいと思っているけど、ドアが閉まっていれば、「おばさんは寝んねしてるのね」っていう感じで、もうみんなわかっていましたので。うーん。あの、誰彼も問わずに、あの、協力体制っていうか。

もう絆がすごく、あの、絆っていうと大げさですけどね。やっぱりもう、あ・うんの呼吸で、あの、誰かが困ってたら、誰かが助けるっていうのはもう当たり前のようにうちの家族の中では、もう、あの、困ったことはみんなで解決しようみたいなところが生まれているように思いますね。うん、ありがたいことに。ええ。

慢性の痛みの語り

自分の子どもと離れて暮らし、娘に代わって家事をやってくれた婿さんはよくぞ耐えてくれた。娘を丸ごと受け止めてくれたことを感謝している

ただ、私たちも、毎日、その人――彼女と暮らしてる、あの婿さんが一番つらかったと思うんですね。よくぞ耐えてくれたと思います。ご飯は作ってもらえない。帰ってくれば、寝たきり。ね。それで、あの、「今日ご飯は何を買ってきて」とかって、メールでお弁当を頼む。で、もう、洗濯も何もみんなやってくれていましたので。私たち以上に、あの婿さんがどんだけ、よくぞ耐えてくれたなと。

彼は、あの、かわいい自分の子どもをですね、――彼の実家のほうは、もう、お父さん、お母さんが私たちよりもちょっと上なんでね、で、やっぱり、ちょっと、預けるのも無理なので。まあ、うちだったらちょうど同じぐらいの年ごろがいるからということでね、それもわかってくれて。で、あの、パパにしてみたら断腸の思いだったと思うんですね。でもね、あの、どんどん、どんどん普通の子に育っていったのを見て信用してくれるようになったのかなって。やっぱり、半信半疑だったと思いますよ、彼もね。でも、今、(子どもを)守ってやれるのは、あの、自分も――あの、パパもそうだけど、日中、世話をしてくれる人が、いなければどうしようもないっていうことで、あの、非常にね、B型の人なもんですから割と、考えがしつこくなく割り切ってくれたように思うんですね。うん。

だから、今でも、「あのときは、ああだった、こうだった」って、娘を、どうだ、こうだっていびることもなく、丸ごと受け止めて、今は、とても今のね、家庭を幸せに思ってくれてる。とてもね、今になって思うとそれは感謝。もういつもね、「婿さんには感謝だね」って言いながら帰ってくる。私たちはそれが毎日じゃなかったので、やれたかな。毎日一緒にいたら発狂したかもしれない、私が。うん。だから、距離を置けたっていうことがね、自分のためにも良かった。で、彼女のためにも自立を促せたっていう。

慢性の痛みの語り

町の精神科で娘に出されていた薬はかなり強い薬だということを新聞記事で知り、転院先の病院では談判してやめてもらった

その町の精神科のほうはですね、本人が行ったり、あの、夫が付いていったり。はたまた、また具合が悪いっていう電話がありますと、先生に面談に、私どもが付いていきました。もうたびたび行ったんですね。行くたんびに、悪口でも何でもなくて、あの、「また来たの?」って、「また両親が甘やかしてるの? だから、また来たのね」みたいな。それ、そういう対応しかしてもらえなくて、もう本当に肩身の狭い思いで、あの、勇気を奮って病院に、「どうしてこうなんでしょう?」、「じゃあ、また、この薬、出しとくね」っていうことだった。それの繰り返しをしてましたね。

あの、ある病院の先生が、教授が、その、「この薬は使ってはいけない。普通のうつ病の方とかに使ってはいけない」というのを(新聞記事に)発表したことがあったんですね。その薬、飲んでたんです、本人。最も強い薬で。で、それがきっかけでもありましたね、思い返すと。それは、あの、その薬はどうなんだっていうのを、その大学病院の精神科の先生に談判しましてね、で、やめていただいたりして。

あ、薬って飲んじゃいけないものもあるんだなっていうのが、そのころわかったっていうか。ですから、もう随分、その、彼女が飲んじゃった後の話でね。うーん。でも、今からでも遅くない。本人も受け付けたくないって、体が言い出した。だったら、何とかならないかっていうんで、もう1回奮起しようじゃないかっていうのが、うん、もう私たちの気持ちっていうか。うーん。

慢性の痛みの語り

母は睡眠導入剤がないと寝られないと言い、必要以上に飲むこともあったが、ワインを飲んで寝るといいと親戚に聞いたのをきっかけに、薬を飲まなくても寝られるようになった

ただ、そのときにですね、もう母は、薬に非常に頼るようになっておりまして、痛みはないんだけれど、もう睡眠薬がないともう寝られないということになっておりました。で、私は母に「もう飲まなくてもいいんじゃない?」って言ったんですけれど、もう、事実かどうかわかりませんが、もう飲まないじゃいられない状況ですね。で、えーと、もちろん、だから親戚の家でももう、「飲む、飲む」と言って、あの、飲むようになりました。

で、あの、要は処方された量よりも多くの飲むようになりました。で、あの、近所のですね、内科でもお薬を処方していただいたようなんですけれど、あの、医師に、まあそのときにもう随分怒られたようなんです。で、「こんなにね、もう必要以上に飲んではだめでしょ」と、まあ正直「怒られた」というふうに言っておりました、母。で、怒られようが何しようが、もう薬を飲まないと眠れないのでね、もうあの、怒られ…、怒られ慣れていたようなんです、母は。というわけですので、それを、薬を飲み続けて、で、親戚の家にも、薬を持って、行った――行くことがございました。

で、1つあの、良いことがございまして、…(人から)「私もね、寝られないことあるんだけど、私は全然薬飲んでなくて、ちょっとワインなんか飲んでね、寝られないとき寝るようにしてるよ」っていうことを聞いて、母もそれを聞いて非常にこう刺激を受けたようで、「あ、そうか、薬飲まなくても大丈夫かな」と、母もようやく少し思ってくれるようで。で、あと母に私が意図的に随分歩かせましたのでね、これは、母、随分疲れているに違いないと思ったんですね。だから、母に「ちょっと疲れてるから薬飲まなくても大丈夫じゃないの?」と言って、こう無理やり薬を取り上げるようにして、母を寝かしつけたところ、母は寝られたって言ってたんですね。で、私、非常にうれしく思って、「ほら、薬飲まなくたって寝られるじゃない」と。…そのときから、あの、睡眠薬を飲まなくても寝られることにはなりまして。で、まあ痛みもだいぶ取れてきまして、で、まあその時点では、まあ非常に良かったなと、そういうふうに、思いを強くしました。

慢性の痛みの語り

3種類の薬を処方されていた母が昼間も寝てしまうようになったので、母とかかりつけの総合病院に行き、薬が強すぎるようなのでやめさせてほしいと伝え、経過観察となった

で、薬をすごくたくさん飲んでおりますので、ちょっと私、心配になりまして、(知り合いの薬剤師に)「実は母が、ずっと3種類の薬を飲んでいるんだけれど、薬が強すぎるということはないだろうか」と質問しました。というのはもう2010年に入ったぐらいから、母、非常にこう…こう何でしょう、寝ることが、要は昼間も寝ることが多くなってきまして。それがひどくなったのは本当に2010年に入ったころなのですけれど、以前、母が「痛くて寝られない、寝られない」と言っていたのですが、逆に昼間でも寝るようになってしまって。それが、私の素人感覚で薬なのかなと思って。で、「母がこのレンドルミンと、えーと、マイスリーともう1つの痛み止めを飲んでいるんだけれど、これはどういう薬なんだろう」。私もインターネットで見たけれど、うーん、なんか私が知らないところで実は強い薬なのかなと思って(聞いたところ)、「実はその3つの薬はどれも、比較的、安全な薬だ」と。もちろん認可されている薬ですのでね、「そんな心配するような薬ではないよ」ということは言っていました。ただ、まあ今ふり返りますとね、あの、3つの薬をずっと飲んでいるということは、母には、まあ正直強すぎたんだと思います。

で、母に関して言えば、まあ、あまりにも寝てばかりですので、ちょっともうこれは私自身も、もう我慢できないということになりまして。その2009年ごろからお世話になっていた、その地元の総合病院の先生に私が母を連れて一緒に行きました。で、もう正直に、「もうこれはあまりにも薬が強いのではありませんか」と、もう素人ながらにですね、「薬やめさせていただけないんでしょうか」と、かなり私のほうから強く、あの、先生に申し上げました。で、ちょっと先生も、ちょっと私の言葉があまりに強かったということもあって、「そうですか」と、「では、やめてみましょう」ということになって、で、薬をその2011年3月からちょっとやめることになりました。で、えーと、薬をやめて経過観察だけしましょうということになりました。

で、えーと、薬をやめたことによって実は、あの…、その、もう何でしょう、1日中寝てばかりという状況は解消されつつ、解消され、少しまともになったのかなと思います。で、で、あの、皮肉なことにですね、こう寝てばかりですので、もう薬が強すぎて、あの、痛みを感じなくなったようなんですね。で、その2011年3月の時点で私は母に、あの、「痛みはどう?」って聞いたところ、あまりこう痛みのことを言わなくなっていることに気がつきました。