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診断時:18歳
インタビュー時:31歳(2018年5月)

関東地方在住の女性。夫と二人暮らし。18歳の時に痔ろうがきっかけでクローン病と診断され、治療を続けながら保育の短大を卒業し、子どもに見せる演劇の道に進んだ。しかし、旅演劇の仕事は過酷で5年間頑張ったが下血や腹痛、貧血が激しくなり、また自分でもやり切ったと思って退団し、その後栄養士の資格を取って保育園の栄養士になった。今病状が安定しているのは、レミケードとエレンタールを中心にした食事療法のお陰だが、2年前に結婚したことも大きく影響していると思う。

語りの内容

そこから私の熱があって学校に行けない期間が続くんです。で、当時、仕方がないから家の家事とかやるじゃないですか。で、弟が小6とかで、こう弟は全然状況を分かってないわけです、家庭の父のことも、お姉ちゃんのこともよく分かってなく自由奔放にしているわけです。
もう私が、私、とにかくつらいとか、嫌だとか、病気が嫌だとか言っちゃいけない、言っちゃいけない、言っちゃいけないって思ってたので言ってなかったんですけど、もうついに、もう我慢できなくなっちゃって、つら過ぎて、その、とにかく痔瘻が痛くて、痛くて、ものすごいお尻のうみが痛い、熱があってつらい、で、合わない父がいて、で、弟がふらふらしてて、お母さんは仕事で全然帰ってこない。
で、夜に母に一度だけ言ったんです、私は病気になってとてもつらい、嫌だって。そのとき看護師で夜勤で遅めに帰ってきて、遅めの夕ご飯を1人で母が食べていたんです。で、私がこの横に立って、お母さん、私はつらい、嫌だって言ったんですね。
そうしたら母が食べている箸をタンッて置いて「あんたね」って、「自分の娘が病気になって、こんな普通なご飯すら食べられなくなって、でも何もできない親っていうのは本当につらいんだよ」って言って母が泣いたんですよ。で、もう、ぐさっ、もう、ばーって刺さっちゃって、で、私も泣いて(笑)。で、弟にこの間聞いたら、弟それを違う部屋で聞いてたんですって。で、もう、よく分かんないけど、お母さんとお姉ちゃんがすごい何か言い合って泣き出したって(笑)、弟なりに怖くて出てこれなかったんですって。
で、私はもうすごい泣きながら、もう何か、わなわな、ガタガタ震えるぐらいショック、衝撃。もう今まで、そんなふうに母が泣いたことはなかった。ずっと笑っててくれて、愚痴も言わずに、ずっと1人で支えててくれたのに、そっか、私じゃなくてお母さんだったんだ、辛かったのはって気付けたんですね。で、こう倒れそうな自分は、倒れていくから楽なんですよ、かわいそうな私ダイブみたいな。でも、それをこうやって支えてくれてる、この手はどれほど重いんだろうって思ったら本当に衝撃的で、そこで初めて気付けたんですね…。

私は: です。

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