インタビュー時:53歳(2020年1月)
診断時:0歳(心不全は38歳)
診断名:先天性心室中隔欠損症、アイゼンメンジャー(アイゼンメンゲル)症候群、発作性上室性頻拍
近畿地方に妻と子どもの4人暮らし。会社員。
生後1年で先天性心室中隔欠損症、5歳の頃に肺高血圧症を合併するアイゼンメンジャー症候群と診断。
心肺同時移植しか根治治療がないため、経過観察してきた。
30代に入り、上室性頻拍となるがカテーテルアブレーションは受けていない。38歳でうっ血性心不全となり入院。40代になり、難病認定を受けた。
自分なりに無理のないよう工夫して生活を送っている。家族が支えであり、楽しく生きられたらと思う。
プロフィール詳細
近畿地方に妻と子ども2人とともに暮らしている。先天性心疾患だが、生まれたときは病気があることはわからず、1歳過ぎてから母親がミルクを吸う力が弱くてすぐ吐いたり、ゼーゼーしていておかしいと思い、病院に連れていき、初めて診断がついた。10歳のときに心臓カテーテル検査でアイゼンメンジャー(アイゼンメンゲル)症候群と診断された。心肺同時移植以外の手術や治療はなく、経過観察しかないと言われた。
小さい頃から運動制限があり、体育は禁止だったが、親には「自分のやれる範囲でやりたいことは何をやってもいいよ」と言われて育ち、走り回ることはできなかったが、友達と外で遊び回っていた。小学4年以降は地元のソフトボールチームに入っていた。打ってファーストまで走るのがせいぜいだったが、周りがランニングするときにグラウンド整備するなど別な形でやり方を見つけてやってきた。親が制御するのでなく、自分で無理かどうかがわかるようになりよかったと親に感謝している。
高校くらいまでは年1回定期的に検査を受け経過観察していたが、大学になって状態があまり変わらないので、自分の判断で病院に行くのをやめてしまった。就職時に、会社から主治医の診断書をもらってくるように言われて、久しぶりに病院へ行った。成人したこともあり、主治医から改めて病気の説明を受け、そこからは自分で気をつけなければという意識に変わっていった。就職して3年目に関西へ転勤となり、産業医の紹介で別の医師のところへ経過観察に通うようになった。
30歳を過ぎた頃から、20代と比較してだんだん動くことがしんどくなってきたと感じるようになったが、加齢によるものなのかなという感覚でいた。それまで平地だったら、ゆっくりだが、普通に歩けたものが50メートル歩くだけでも、苦しくて歩けなくなり、これはおかしいと思って、翌日土曜日だったので、休日診療センターに行ったところ、うっ血性心不全で、即刻、入院となった。38歳のことだった。1週間安静で、利尿薬を飲んで心臓の周囲にたまった水を抜いた。このとき初めて、「ああ、もしかしたら、死ぬのかもしれない」と感じた。それまで、「この病気だから、死ぬ」という意識は全然なかったが、初めて「死」を自覚した。
退院後、血中酸素濃度(SpO2)は90%(正常は95%以上)あったのが、心不全を機に80%そこそこになってしまい、現在も同じくらいの値を維持している。40代になって、カテーテルアブレーション*¹を勧められたが、今のところはまだ様子を見ている。かなり、加齢とともにしんどくなってきて動きにくくなっていることを感じる。歩いていて、高齢者に抜かれるのは悲しいが、それでも歩けているので、「今できる範囲でやれればいいや」と割り切るようにしている。日常生活では、階段を上がったり、早く歩行したりすると息苦しくなるため、無理のないように気を付けて行動している。寒い時期には症状が悪化するため、保温やマスクの装着を行って注意している。
仕事の面では、産業医から、病気のために残業規制や就業制限を掛けられており、自分としては無理のない範囲で働きたいと思うが、働かせてもらえないというジレンマがあった。周りが忙しく働いている中、自分は退社しなくてはならず同じ職場の人にフォローしてもらうことになるので、精神的に負担で、40代になって時間的な制約があることで周囲に負担をかけなくて済むよう研究職から、ルーティンワークの多いスタッフ職に異動を希望した。
先天性というのは生まれつきその状態なので、自分の中ではあまり苦労を感じない。よく周りから、「つらいね」、「大変だよね」と言われが、別につらくはない。そうやって生まれてきて、それなりに助けてもらいながら生きてることを、「それはそれであり」だと思う。親やきょうだい、妻や子どもたちが支えであり、ここまでやってこれた。50過ぎまで生きられて、結構、長く生きられていると思う。これから先、生活の質を下げてまで延命治療を受けたいとは思わない。太く短く生きるイメージで、楽しく生きられたらいいと思う。
小さい頃から運動制限があり、体育は禁止だったが、親には「自分のやれる範囲でやりたいことは何をやってもいいよ」と言われて育ち、走り回ることはできなかったが、友達と外で遊び回っていた。小学4年以降は地元のソフトボールチームに入っていた。打ってファーストまで走るのがせいぜいだったが、周りがランニングするときにグラウンド整備するなど別な形でやり方を見つけてやってきた。親が制御するのでなく、自分で無理かどうかがわかるようになりよかったと親に感謝している。
高校くらいまでは年1回定期的に検査を受け経過観察していたが、大学になって状態があまり変わらないので、自分の判断で病院に行くのをやめてしまった。就職時に、会社から主治医の診断書をもらってくるように言われて、久しぶりに病院へ行った。成人したこともあり、主治医から改めて病気の説明を受け、そこからは自分で気をつけなければという意識に変わっていった。就職して3年目に関西へ転勤となり、産業医の紹介で別の医師のところへ経過観察に通うようになった。
30歳を過ぎた頃から、20代と比較してだんだん動くことがしんどくなってきたと感じるようになったが、加齢によるものなのかなという感覚でいた。それまで平地だったら、ゆっくりだが、普通に歩けたものが50メートル歩くだけでも、苦しくて歩けなくなり、これはおかしいと思って、翌日土曜日だったので、休日診療センターに行ったところ、うっ血性心不全で、即刻、入院となった。38歳のことだった。1週間安静で、利尿薬を飲んで心臓の周囲にたまった水を抜いた。このとき初めて、「ああ、もしかしたら、死ぬのかもしれない」と感じた。それまで、「この病気だから、死ぬ」という意識は全然なかったが、初めて「死」を自覚した。
退院後、血中酸素濃度(SpO2)は90%(正常は95%以上)あったのが、心不全を機に80%そこそこになってしまい、現在も同じくらいの値を維持している。40代になって、カテーテルアブレーション*¹を勧められたが、今のところはまだ様子を見ている。かなり、加齢とともにしんどくなってきて動きにくくなっていることを感じる。歩いていて、高齢者に抜かれるのは悲しいが、それでも歩けているので、「今できる範囲でやれればいいや」と割り切るようにしている。日常生活では、階段を上がったり、早く歩行したりすると息苦しくなるため、無理のないように気を付けて行動している。寒い時期には症状が悪化するため、保温やマスクの装着を行って注意している。
仕事の面では、産業医から、病気のために残業規制や就業制限を掛けられており、自分としては無理のない範囲で働きたいと思うが、働かせてもらえないというジレンマがあった。周りが忙しく働いている中、自分は退社しなくてはならず同じ職場の人にフォローしてもらうことになるので、精神的に負担で、40代になって時間的な制約があることで周囲に負担をかけなくて済むよう研究職から、ルーティンワークの多いスタッフ職に異動を希望した。
先天性というのは生まれつきその状態なので、自分の中ではあまり苦労を感じない。よく周りから、「つらいね」、「大変だよね」と言われが、別につらくはない。そうやって生まれてきて、それなりに助けてもらいながら生きてることを、「それはそれであり」だと思う。親やきょうだい、妻や子どもたちが支えであり、ここまでやってこれた。50過ぎまで生きられて、結構、長く生きられていると思う。これから先、生活の質を下げてまで延命治療を受けたいとは思わない。太く短く生きるイメージで、楽しく生きられたらいいと思う。
*¹カテーテルアブレーション:経皮的カテーテル心筋焼灼術のこと。手首や足の付け根からカテーテルと呼ばれる細い管を血管内に挿入し、心臓の筋肉の中にある異常な電気回路を焼灼または冷凍凝固して、不整脈を抑える治療。
インタビュー21体験談一覧
- 詳しい説明は20歳で初めて聞いた。予後については医学的にも不確定な部分はあるが悪化しないよう診ていきましょうと言われた
- 先生は「患者の言うことだから仕方が無い、アドバイスはするけどあなたが考えて」というスタンスをとってくれた
- 長い間様々な医師と関わってきた経験から、自分に合う信頼できる先生がわかるので、合わないと思ったら病院を変えてきた
- もともと研究職だったが残業規制があり、やりたい仕事より同僚に迷惑をかけない仕事に配置転換をした方がいいと考えた
- 先天性心疾患のような内部障害はオープンにしないと理解されない。周りは遠慮するが、自分はなんでも話すという気持ちでいる
- 水分の摂り過ぎはいけないと言われるが、自分の場合赤血球が多いドロドロ血なので、さじ加減が難しい
- 先天性の心疾患だったが「やれる範囲でやりたいことは、何をやってもよい」という親の方針*で、友達と遊びまわっていた
- 結婚する前に病気のことを話したが、それでも結婚すると言ってくれ、今に至っている
- 今、飲んでいる薬は飲む人が少ないので客単価が高いのだろう。指定難病なので自己負担の上限はあるが高すぎると思う
- 公費負担があって医療費が払えている。正社員で働いているが、負担額は収入によって上下するので昇給でどう変動するか不安
- 在宅の酸素をやるには結構お金が掛かる。効果を自分で感じられないのであれば意味がないと思う
- 先天性の心疾患で障害者手帳3級を持っている。今住んでいる地域は手帳があるので治療費の上限が月600円で収まる
- 先天性心室中核欠損があり、肺高血圧症があった。専門医と巡り合うことによって正式に病名を言われ難病認定を受けた
- 地元は障害者手帳取得による手当が厚く、都営バスや地下鉄は無料だ。高速道路や鉄道運賃が介助者まで半額になり助かる

