投稿者「dipex-j」のアーカイブ

障害学生の語り

障害者が福祉の担い手を目指すと、障害があるのに偉いねという言われてしまうこともあるが、実習では福祉の専門職として見てもらえて、厳しかったが良かった(テキストのみ)

実習自体は良かったんですが、良かったんです。ただ、書類が大量にあって、しかも例によって(点字やファイルなどではなく、)普通文字で、普通に出せってやつでしたので、24日分の実習簿をどうするよって。
その前に、実習に行くまでの間に、何か訳が分からないほど大量に書かないといけない書類があって、それを全部代筆してもらわないといけない。それも代筆者不足中、しかも期限が迫っている、なんて状況がずっと続いて。
しかも書いたはいいけど、確認しないとエラーで返ってくるみたいな人もいて、もう本当に郵便局やらスーパーの人にまで代筆を頼む状態で、私って一体って、よく思いました。

( でも実際の実習は、)めっちゃ体験型実習が多くて、焦ったり、緊張をしたり、冷や汗かいたり。でも失敗もしたし、怒られたし、でも本当にいい体験だと思いました。中でも良かったのは、普通、障害者が福祉の担い手になろうとするとき、あるいは何かの講習を受けて免許を取ろうとすると、どうしても障害にばっかり目がいくんです。
そうすると例えば、障害があるのに偉いねとか、すごいねとか、いや、ただ座っているだけ、なんだけだけどな、みたいな、そんな言われ方をしたり。健常者だったらちゃんと勉強できることを、(障害者と言う理由で)免除せざるを得ないのかもしれないけど、免除されたり。要するに、(他では)障害者としての私しか見られないけど、そのセンターで実習させてもらったおかげで…。
障害者としての私ももちろんあるし、工夫しなければならないこともたくさんあります。でもそれ以上に、一福祉の専門職としての私は、じゃあどうなのか、っていうところを問われるとか、専門職として見たときに、どうなのかみたいなところを、しっかり見てもらえたのは、厳しかったけど良かったなと、今は思います。

障害学生の語り

実習中は自分が出来ないことが多くて申し訳ないと思うことも多かったが、ある患者さんにパンフレットを作成したら良い反応をもらえて、それはとても印象に残っている

(実習は)全部印象的ではあるんですけど、やっぱり…、そうですね、頑張ったなって思うのが、あの…、成人看護学の実習でのことが一番残ってます。
その、実習中にやっぱりこう自分ができないことが多くて、ちょっと申し訳ない気持ちになったりっていうこともいろいろあったんですけど…、その中でも自分が何ができるかっていうのを考えて、あとはその実習で受け持たせていただいた患者さまの、まあ状態と見ながら今自分が何をやるのが一番いいのかな、自分だったら何ができるのかなと思って、パンフレットをすごい頑張ったのを作ったんです。
パンフレットを何か結構みんな(他の学生は)画用紙とかに書いて何か、はっきり言って雑な、何かパンフレットを作って、何か出しているの多かったんですけど、絶対に読まないよなと思って、もっとちゃんと読んでもらうようにと思って、(自分は)PowerPointを使ってポスターみたいなのを作ってラミネートして、磁石を真ん中に紙を挟んでラミネートして、あの、食品交換表(一つの食品を同じ単位の別の食品に交換できることが書かれた表)みたいなやつだったんですけど、それを渡しました。
で、あの冷蔵庫に貼れるようになっているので、ぜひ使ってくださいって言って渡して、まあ、「ありがとう」って言っていただいて、そのときの実習の指導者さんからも、あの、「すごい良かった。あれはいいね」って、言ってくださって。
なんで、そこから、自分は看護だけど技術ができないから、そういったこの自分、話術だったり、コミュニケーションだったり、そういうのを生かしながらの仕事だったらできんじゃないのかなってちょっとそこで思えたんで、一番それが実習中で心に残っています、けがした後、実習中ではそれは残ってます。

障害学生の語り

実習では、処置について不安を感じたり、手術室で外科は難しいだろうなとも思った。一方で、内科で患者さんの鑑別診断をすることなど、自分が貢献できる場所があるとも感じた

やはり後半の病棟実習が、だいぶこれまで(学内の演習)とは違って、処置はいたしませんけれども、問診をしたりですとか、あるいは簡単な診察をしたりですね、そういうところで実際に患者さんと触れるということが始まりました。
そこはやはり、例えば、問診は何とかなるなと思ったんですね。お話をするということに関しては。ただ診察のところで、内科診断学とかありますけれども、例えば打診が結構難しいかもなとか、えー、聴診で手が十分に患者さんのところまで届かないかもしれないなとか、そういうところで幾つか不安を抱えながら、ただ、何ていうんでしょう、そこまで踏み込めずにというんでしょうかね、学生の立場なので、ぐいぐい何というんでしょう、患者さんに協力を求めるわけにもいかず、何となくこう、打診これできているのかな、ちょっと分からない状況。
あとは、あれですね、神経内科の打腱器を使った診察は結構ハードルを感じましたね。神経内科の診断学ですね。このあたりは、あの、少し心配を感じながら実習をしていましたね。
で、自分なりに工夫はしたんですけれど、やはり研修医になるまでの間は学生の身分で工夫をした内容に患者さんを付き合わせるというのもちょっとハードルが高かったので…、少し踏み込めずに不安なままちょっと実習をこなしていたようなところがあるかもしれないですね…。
で、一方ではその知識としては処置っていうものも入ってくるので、実際はできないですけれども、これは処置は自分にとってできるものなんだろうかっていうのは、これもまた不安ではありましたね…。あと手術室に関しては、これは、外科は難しいと思うと、思いました。ここでいろいろチャレンジをするっていうのは、私にはないだろうなというふうに当時は思いましたね…。
一方で、その内科で、患者さんの鑑別診断をリストアップするとか、検査計画を立てるとか先行研究をサーベイして、検査結果を読み解いて、方針を立てるっていうところは、これは楽しいという、楽しいかもしれないと思いまして、わりとそこは張り切ってやっていましたね。
その患者さんの見立てをレポートにまとめて、出して、それが担当の研修医とか、チューベン、オーベン(上級医やより若手の指導医)に採用されて実際検査をしてみたら当たってたりすると、ちょっとこう、これは何か。医療の全てができるわけではないけれども、もしかすると自分が、貢献できる場所があるかもしれないっていうふうに感じることもありましたね…。はい。

障害学生の語り

実習では大変なこともいっぱいあったが、誰と協働してどう働いていくかというイメージを積み上げられた1か月だったので、本当に行って良かったと思った

( 実習は)もちろん、とっても大変なこともいっぱいありましたし、何よりもこう前例がない中で、手探りでやっていかなきゃいけないっていう所の大変さももちろんあったんですけど、それでもやっぱりすごくいい経験をさせてもらえたなっていうのを今でも思ってます。もう、本当にこう、どう働くか、誰と協働をして、どう働いていくかっていうイメージを、少しばかり、ちゃんと積み上げられた1カ月だったので、本当に行って良かったなと思っています。

――その、行く前にこう不安とか、そういうのはなかったんでしょうか。

とても不安でした。あの、ほとんど、やはり事例がない中で、実習をどうやっていくのかっていうのは、なかなかこう、やり方も見えない、何が不安かも分からないっていう不安があって、本当に不安だったんですけど、まあでも、実際に行きながら何とか、はい、やっていきました。

障害学生の語り

実習前までは、ぼんやりと卒業後は障害者施設で働くと思っていたが、実習で自分は施設職員には向いていないと感じて、都内の自立生活センターで職を得た(テキストのみ)

実習が…、3年生の、ちょうど今の時期(6月)ぐらいやっている感じで、実習があるんですけど、その前まではぼんやりと障害者の施設で働くのかなってぼんやりあったんですけど、実習行って…、あ、自分は施設職員に向いてないって思ってしまって…。それでも社会福祉を携わりたいなっていうのもあって施設の事務も探したんですけど…、職員はいっぱいあっても事務はなくて…。
そんなときに…、高校のときに出会った自立生活センターを思い出して、都内の自立生活センター、見て回って、今の職に至っております。

――実習行ってみて、施設職員に向いていないってご自身は思われたのは、それはどうしてですか。

うーんと…、倫理規程っていうものが社会福祉にもありまして、要は利用者さんとの私的な交流は駄目、それは当たり前って当時思ってたんですけど。で、実際に行ってみて違和感を感じてしまって。それは何かと申し上げると、自分も障害者、相手も障害者で同じぐらいの世代の方、変な話、友達になっててもおかしくないわけですよね。その友達の友達が自分の友達だったりしますね。でも実習だから、職員と利用者の間に壁をつくらなきゃいけない、これは大前提のルールとしてあるんですけど、壁をつくれなかったし、自分がそこに気持ち悪さを感じてしまって、あ、無理って思ったのが一番です。
違和感っていう、違和感だし…、何だ……、何だろうな。自分がやりたいのはこうじゃないっていうんですかね、簡単に言えば。
もっと自分は、フラットにやりたくて、そのアイテムの一つとして社会福祉があると思っていたので、さっき話した学びたい理由としても、べつに社会福祉で食っていこうって思ってないし、今までも確かに仕事で社会福祉の資格で、講師やらせていただくことあるんですけど、べつに社会福祉士を食っていく(手段の)一つっていうふうに思ってなくて、逆に社会福祉士で、食っていくのは嫌だったんです。あくまでも…、(社会福祉を学んだのは)知恵の一つであると。
何か困ったときの社会福祉士であり、これがちっちゃい頃からしても、実習行きました、線引きをします、社会福祉士の視点でみんなで、今の利用者さんのことを何なのか・・・と見ることが自分にはとても耐えられず、多分このまま就職したら、公私混同、絶対すんなって思ってやめました。

障害学生の語り

実習は全部で6カ所回った。最初に行った総合病院の耳鼻科では、自分の聴力検査をしたり、補聴器を試したりして、自分の「聞こえの紹介状」を作れるほど様々な体験をした(音声のみ)

(言語聴覚士の資格を取るための)実 習6カ所行ったので行った順にお話をすると、まず1カ所目が、総合病院で。そこは結構、人工内耳の手術もたくさんやっていて、聴覚系では有名な所なんですけど、そこの耳鼻科に行かせてもらって。で、人工内耳の患者さんたちを主に相手に検査をしたり、いろいろお話を聞いたり。あと、週に2回補聴器のフィッティングとかもやっているので、それにも、ちょっと見学させてもらったりとかして。
ただ、やっぱり一方で、先生、まあ聴覚のスペシャリストから見ると、私がいかにこう自分の聞こえをきちんと分かっていないのかっていうのが、すごくあって。
というのも実習が始まる前に、私の聞こえについて教えてくださいって先生から、まあ、連絡があって。それに対して私は自分のオージオグラムを、1枚ぺらっとお送りするだけで終わってしまっていて、「それじゃあ、何も分からないわよ」って言われて。
聴力を見れば、大体こんな聞こえでとか、そういう想像はできるけれども、そんなの1枚渡されたところで、これから自分がそういう聞こえのスペシャリストになるのに、どういう、やつなんだろうみたいに先生方は思ってたらしくて。
だから、まずそこの病院の耳鼻科では、その自分の聞こえと向き合うっていう作業もさせてもらっていて。まあ、「今日の○(インタビュイーの名前)」っていう題目で、例えば今日は自分の聴力検査を、自分の聴力を測るとか、今日は、語音明瞭、言葉の聞き取りがどれくらい今できているのかを知るとか。あるいは、補聴器をいろいろ試させてもらって、どういうふうに調整したら、どういうふうに聞こえてとか。
そういう本当に細かいことまでいろいろとやらせてもらって、自分の聞こえってこんなふうなんだとか、そういうのを(やって)最後に自分の「聞こえの紹介状」を作れるっていうところまで持っていくっていうのが、「今日の○(インタビュイーの名前)」の目標で。
で、最終的には…、そういう聞こえの紹介状を作って、次から実習でお世話になる、STの先生に、見せなさいとか。今度から、もしかしてまたどっかの病院の耳鼻科にかかるときには、それを見せたらいいじゃないとか。まあ、そういうふうに、もう本当に、もうこれ以上書くことがないっていうぐらい、自分の聞こえについてばっとまとめたものを、が作れるぐらいに、勉強をさせてもらいました。それが一番大きな転機だったなと思っていて。

障害学生の語り

リハビリ中の患者さんを担当した時、患者さんが立ち上がろうとしたのを通訳に教えられて気づいたことがあった。自分は患者さんの安全を守れないとショックだった(手話)

( 実習中)自分で限界だなってちょっと感じたことは、患者さんとのコミュニケーションでした。1年生のときからいろいろ不安があったんですけれども、2年生になって実習、最後に1週間の実習があったんですけど、患者さんを受け持つ、1週間を毎日受け持って、毎日顔を合わせてケアをするんですが、そのときにすごいとてもショックなことがあったんです…。もう3年に進学、進級しないで諦めようかなと思うぐらいのショックなことがあったんですが。

( 担当していた患者さんがある時)ちょっと歩きたいって言ったんですけど杖がなかったんで、じゃあ取りに行く、「私、取りに行くからちょっと待っててくださいね」って言ったんですよね。「あ、分かった、分かった」って言ってくれたので、大丈夫だと思って取りに行ったらトントンってたたかれて、通訳にたたかれて振り向いたら…、もう立ち上がろうとしていて。
「あ、待って、待って。危ないから待って、座って」って言ったんですけど、自分の説明、ちょっと確認が足りなかったのではないかなと思います。行く間は立たないで座って待っててね、今はまだ立って、しっかり立てないので杖を、杖がないと、ご自分でも分かっているとは思うんですけども、とにかく立って歩きたいという気持ちが強かったと思うんですけど。もし手話通訳が呼び止めてくれなかったら、私、多分気付かずに杖を取りに行って、帰ってきたときには多分転倒していたかもしれないなっていうのに、本当にショックでした。なので、(医療現場は)患者さんの安全を守る、命を守るということが大事ですよね。なので、もうすごい責任は重大なので、私にはできないんじゃないかってすごいショックだったことを覚えています…。なので、コミュニケーション、実際の会話、言っていることが分からないということももちろんなんですが、どうやったらきちんと患者さんと信頼し合えるか、安全を守れるか、自分にできることは何だろうということをすごく悩んだ時期がありました……。
実際、音とか音声とかが多いですよね。病院の中は。いろいろ音で知らせてくれますよね。ナースコールで呼ぶとか、ベッドコールとか何かね、(ベッドから)下りちゃったら何かが鳴るとか。その患者さんもベッドコールを使っていたんですけれども、ベッドの下に下りたら、音が鳴るようにはなっていたんですけれども、それね、私は聞こえないので、ナースコールの音が違う、そのベッドコールとナースコールが音が違うという判断もできないし、(その時は)通訳が一緒にいたので聞いていて、「あ、今鳴ったよ」って教えてくれたんですけれども、自分でそれを解決っていうのは自分で責任が持てないのではないかということが分かって、そこで自分の限界ということが、知ることができて良かったなと思います。

障害学生の語り

母校で行った教育実習では、ひとクラスを受け持って、合唱の指導も行った。最終日に生徒全員がメッセージを吹き込んだカセットテープをくれた

普通はホームルームを受け持つのは(授業をするのと)同じ学年って決まっているんですけど、ちょっと私だけ例外で、私が(母校の高校)1年生のときに受け持ってくださった先生も残ってて、その先生が「うちのクラスを持て」って急に言って。「うちのクラスを持て」って何か言われて、1年生なんですけど、そのクラスを持つことになって。授業を持っていないクラスなんですけど1年生の授業じゃない、ホームルームを持って。
しかも、あの合唱祭っていうのがうちの学校はあって、その合唱祭の練習は実習生の役目っていうか、実習生が当たるホームルームのとこは、(実習生の)先生が教えなきゃいけない、指導しなきゃいけないんです。合唱祭だったらすごいラッキーで、指導しました、すごい本気で。そうしたら、(担当した)1年生で一番得点が上がっちゃって、優勝しちゃったの、1年生で。

で 、その合唱祭の次の日が教育実習の最後の日だったんですね。教育実習最後に何か反省会みたいなのがあるんですよ、実習生とその、何か全体で。で、あの反省会みたいのがあって、まあ、そこに出席しなきゃいけないから出席して終わったら何か、その私の持った1年生のクラスの子が、外で待っているって言うんですよ、その廊下で1人。
で、「先生、ちょっとよかったら来てほしいんですけど」って言われて、教室に呼ばれたんです。もう5時半ぐらいだったんですよ。もうとっくにみんな帰っている時間だと思ったんだけど、行ったら1人欠けることなく全員で残って、待っていてくれて。で、そこで何か花束と、あのカセットテープをくれたんですよ。
「先生、絶対これはおうちに帰ってから聞いてね」って言われて、家に帰ってそのカセットテープを聞いたら、その日ね、その最終日の日に全員で示し合わせて集まって、1人ずつそのカセットテープの前に出てメッセージを全員が入れてくれて。
しかも途中、誰か1人号泣しちゃったら、もうその後、もう何かクラスで全部号泣しちゃって、それで、その後「ちょっと中断」とか言って、また「再開」とか言って、そのカセットテープに入ってて全員、男の子も女の子も全部ですよ。全員入ってて。

しかもみんなの前でだからね、何かすごい大変だと思うんですよ、みんなの前で順番に何か出席番号順にずっと何かしゃべって、しゃべってくみたいな感じでずっとしゃべってって。何かもう1人泣いたら、みんな泣いちゃう。男の子だったんでね、しかも泣き始めちゃったのは。それで何か、泣いちゃってみたいな感じで「中断します」とか言って、「再開します」とか言って、何か入れてくれてて。
しかも、それを渡すためにみんなで、待っててくれて、最後に「先生、頑張ってね。先生になってね」とか言って。多分その先生になれないかもしれない、(当時は、)その教職の免許を取れるかも分かんないし、ましてや教員に採用されることだってもう多分ないんじゃないかなって思ってて、それも生徒に話したことがあるんですよね。現実は分からないんですって、その制度的にまだ整ってないからって。
そうしたら何か、そういうのもテープで何か「(先生が免許を取れることが)そういうことがなかったとしても、僕たちにとっては先生は先生です」とか言って、言ってくれて。「もう先生は先生だから、もし先生が教職を取れなかったり何か先生として、仕事に就けなかったとしても、先生は1年うん組の先生です」って言ってくれたのが本当にうれしかったっていう。

障害学生の語り

大学からは、介助をつけて実習に行く人が初めてなので頑張ってと言われてしまい、当時は夜も眠れず、後輩に迷惑がかかると思うと失敗もできないと思っていた

今でもはっきり覚えてるんですけど、実習はもう、実はトイレ介助が必要で、トイレ介助とかいろいろなもろもろの支援が必要で、(介助が)必要な学生で、それ社会福祉士の相談援助実習に行くのは…、初だった。
もちろん今までいろんな、あなたとは違う車椅子の学生だったり、いろんな障害学生が実習に行ったけども、こういう支援がちょっと必要で実習に行くっていうのはあなたが初だと(大学から)言われて、ちょうど3年生に実習行ったんですけど、3年生に上がる前のちょうど2年生の終わりの春休みのときに…、あなたが初だから…、頑張ってねって軽い感じで知らされて…、うそでしょ(と思った)。
正直、自分の中では初って聞いて、初ってどういうことみたいな。だから、大学側は何も知らないから自分で頑張ってねみたいな…っていうことを春休みに一方的に言われて…、は?…、どういうことですか。初だから何もしないってどういうことですかって…、思って…。動揺したまま3年生始まって…、ほんとに、私だけ実習に当たっての面談を親と呼ばれて…、えっとー…、さっき話に出たこの障害学生を支援する部署の室長、学科の…、教授でもあるんですけど、その先生と指導教授と、そのー、支援する部署の職員になんかいきなり、実習に当たっての面談があります。なんかいきなり呼ばれて行って、「ほんとに行く気あるの、やる気あるの」っていきなり始まって、いや、あるから、あるからここにいるわけであって…、「実習は地獄だよ。並大抵のものじゃないよ」…って。そんなの分かってるし、「普通の職場体験じゃないんだからね」みたいな感じで言われて、いや、分かってますよ。分かってるからこっちにいるし、大変なのは知ってるから、知っててこっちにいるわけで…、…いるのに、何を言ってるんだろう。

当時、すごい眠れなかったんですよ、怖くて。もう手を借りないようにしないといけない。でも、実習が始まる。こんな長い期間、どうやって生き延びたらいいんだろうみたいなこともあって、私、何だろう。死ねって言われてるのかなっていう感じで…、もう途中から何のために実習をするのか分からなくなってくるんです…。
(実習の)日誌も、日誌も書いてるんですけど、取りあえず何事もなく後ろにつなげなきゃいけない。自分が失敗したらここで終わってしまう(後輩の当事者学生が実習行けなくなる)し、大学のメンツにも関わる…。失敗はできないから、何とかつないで、つないで意地でも終わらせなきゃいけない。これが私のもうなんか、やらなきゃいけないことみたいな感じになってしまってきて、何してるんだろう、これ…。

障害学生の語り

実習は常に不安で、何かよくないことをしてしまった場合、せっかく動いてくれた教授たちの努力も無に帰してしまうというプレッシャーがあった

(実習は)やっぱり、もう常に不安でしたね。何か…、意図せずに利用者さんにけがをさせてしまいやしないかとか、うーん…、例えば僕が何かを、やってしま、その何かよくないことをしてしまった場合、せっかく動いてくださった教授たちの努力も…、無に帰してしまうというか、そういうプレッシャーみたいなことがかなりあったんですけれども。
なんで、それはこう常に不安だったし、やはりその…、目で確認ができないっていうのは特にその、(実習先の)知的障害の方たちと関わっていく上では、目で分かれないってすごい不便だなっていうことは思ったので、いつもこう…、しんどいというか、不安だったりしんどさだったり、ちょっとしたこう面倒な感じっていうのは、抱いてたと思うんですけれども。
でも、それに増してこう何か(実習は)充実感があったんだろうと思いますね。やりたかったことをさせてもらえているっていう、ことの自信であったり、自負であったり充実感みたいなものはこう、かなりあったので、不安にこう、あまり負けることなく続けられたなというふうに思っています。

――実習の中で、どんなこう努力とか、どんなことを、例えば気を付けていたとか、そんなことは何か、もしあったら教えていただければと思うんですが。

まずは、もう本当にその、やる気を見せることだと思っていたので、特に授産施設に関しては、明らかに、その、後に代わってくれたからよかったんですけれども、その当初の施設長さんっていうのが、あまり好意的に思っていないなっていう感じがすごくしていて。
リスクを背負わされているっていうふうに、その「視覚障害の学生を受け入れるっていうのは、自分たちにとってものすごくリスクなんだ」みたいなことばっかり割と言う人だった印象がありまして。
で、例えば、そこで僕がこう憤慨して怒ってしまったりとか、そんな言い方ないじゃないかとかっていうふうに、けんかをしてしまったりすると、これは多分いい関係にならないんだろうなっていうふうに思って、そこはもうとにかく、まあ、頭をすごく下げたと思うし、えーと、信頼してもらえるように、まず利用者さんとのその関わりを、非常にいい関わりができるように、それなりに努力、きちっと意識をして、関わりを…、持ってきたなというふうなことは、えー、あります。