投稿者「dipex-j」のアーカイブ

障害学生の語り

実習では自分に一人教員を付けてもらった。車椅子でも特に困ったことがなく過ごせたが、病院の受け入れ先があったのは、系列病院がたくさんあったおかげだとも思う

(バイクの事故で、休学している時から)両親が、僕が入院してるときに、やっぱ僕がその看護を続けたいって言っていた思いを酌んでくれて、あの学校のほうの学科長に直接談義をしてくれてたんで…、そうです。で、最初は大学の先生たち側からは、いや、もう難しいから転科をしたほうがいいと。ちょっとさすがに車椅子で実習は…、っていう話だったんです。
ただ、まあ、父が、僕がすごいやる気があるってことと、あと、看護師免許の剥奪というか、駄目な理由には肢体まひは書いていない(※)っていうのを言ってくださって。
確かに、知覚、知覚まひ系の、あの、目が見えない、耳聞こえないとかはあるけど、手足が使えないことに対しての文言は書いてないっていうことを言ってくださって、で、先生が、じゃあ、こちら側でもできるだけ頑張って配慮をしながら考えてみますっていうことで、その次の年ですね、けがした次の年、僕1個留年、休学して1個下の学年から入ることになったんですけど、そこで、入る(復学する)ことになりました。
で、やっぱり、大学側も…、初めての経験で、学科、学科長の先生方もやっぱ初めてだ、もうちょっと、だから、どうしていいかがちょっとまだお互いこう分かってないような感じだったんですけど。
その中でも、やっぱ先生たちもいろいろと考えてくださって、あの、実習、僕実習前にけがしたんで実習からスタートっていうかたちだったんですけど、実習のときに別の先生を1人もう専門で付けてくださいまして、その先生に、が、ずっと付いている状態で、いろいろと患者さんと関わったりケアをしたりっていうことで、僕ができないところだけを、ずっと付いてくださっている先生が少し補助をするっていうかたちで、実習のほうはさせていただきました…。
実習中も、なんで、記録とかは、もう全部自分でやっぱしっかりやらないといけないし、看護過程(患者さんの病態や生活を理解するための考え方)やっぱりやらないといけない、全部自分でやらないといけない、やっぱ寝る時間も少ないしきついなって思うことがあったり。
あとは、そうですね、ずっと付いてくれてた先生がやっぱずっと一緒にいるんで、ちょっと、この人、こう嫌だなとか思うこともあったりはしたんですけど、でも、その先生が付いてくださってたおかげで僕も、すごくいい実習ができまして、で、全部の実習をこなしました……。ですね。
まあ、実習中…、というか日常生活でもなんですけど……、排便のことがやっぱりすごく一番ネックになってて、多分他の脊髄損傷の方とかでも、あの排便の悩みっていうのはすごく大きいとは思うんですけど、その実習中に漏れたらどうしようとか、何かそういうのがいろいろあって。実際に、2回、1回か2回だけ漏れたんです。で、一応でも、その話も、その専門っていうか、ずっと担当で付いてくれてた先生には漏れるかもしれないってことは伝えてあったので、漏れたときには自分で。僕は自分で片付けがちょっとできるぐらいの残存能力があるんで、自分でちょっと片付けるときに、ちょっと、すみません、抜けますって言って実習抜けて片付けとかはしてたんですけど。
まあ、そういった、先生たちのサポートがやっぱりしっかりとあったおかげで、在学中も特にこう…、そうですね、困ったなっていうのが特になく過ごすことができました…。

※2001年まで医療職の関連法規には、「目が見えない者,耳がきこえない者または口がきけない者には免許を与えない」という絶対的欠格事由が定められていました。現在も依然として、「心身の障害により業務を適正に行うことができない」者には、「免許を与えないことがある」という表記が残っています。

障害学生の語り

知的障害のある方の施設では、白杖で利用者さんを転ばすのではないかなど不安があったが、施設内の移動では利用者さんに誘導をしてもらって実習を行った

で、例えば、施設の中で歩くことなんかが(あって)、例えば白杖で利用者さんのことを、転ばしてしまったりするんじゃないかというのは正直、僕も不安なんですよねっていう話をいろいろしていく中で、確か僕が提案したと思うんですけれども、例えば、僕の係みたいなことで利用者さんに誘導してもらうみたいなことってできないですかねなんて話をしたら、「あ、それは利用者さんの自尊心を育てるという意味でも、もしかしたらいいかも」っていうふうに言ってくださって。
実際に先輩のサポーターが付くわけでもなく、施設、施設内の移動というのも、基本僕に、僕1人で歩けるような場所ではあったんですけれども、まあ、あえて、僕は歩けないから、今日は、じゃあ利用者の誰々さん、実習生だからねみたいな感じで、一緒に歩いてもらってみたいなことをしながら実習をするというかたちを、その都内の、知的障害の方の授産施設で30日、やりました。

障害学生の語り

1か月弱の間、喫茶店や織物などの手作業をする知的障害のある方の通所施設で実習をした。配膳用のお盆が運べなかったが、慣れてくると、利用者さんが手伝ってくれた

私が実際に実習をさせていただいた施設は障害者施設で、その中でも、主に知的障害のある利用者の方が通われている通所施設で、通所の…、中身は、実際に利用者さんと一緒にスタッフの方が喫茶店をやっていたりとか、手織り機で何か織物を織っていたりとか、そういう、こう座って作業をするような、ものも多かったですね。

――で、そういうところに行かれて、ご自身はこう、どんな実習内容をされたんですか。

えーと、実際には一緒に、その作業を利用者さんと一緒に行って、こう1日過ごして、その後、実習担当のスタッフの方に、面談をしていただいて1日の振り返りをしていただいて、実習記録を書いてっていうのを、1カ月弱していました。

(実習中は)昼食を取ったりするのも利用者さん一緒にするので、その際の配膳なんかも、えーと、車椅子だと自分で、配膳することが難しかったりもするので、そういうときには施設のスタッフさんにお手伝いいただいたりとか、慣れてくると利用者さんも、そこの利用者さんも私のことが理解できて、私の分の食事を一緒にこう準備してくれたりとかしていました。

障害学生の語り

教職課程には教育実習だけでなく介護体験なども必要で、体力的にしんどかった。特別支援学校での実習には行ったが、それがかなりしんどく、その後教職をあきらめた

教職課程というのがあって、最初はその学校の先生の資格を取りたかったんですよね。で、科目に、科目を、それに関わる科目を取っていったんですけれど、ちょっと自分がやれないかもと思ったきっかけがあって。
それは、あの大学の付属、付属の学校に、見学に行くというような授業の一環があって行ったときに、見学ですとか先生の、あの現地のその、付属校の先生の話を聞いている最中に、えーと、意識を保っていられずふらふらしたり、ちょっと今思えば睡眠発作なんですが、あの、まあ端から見れば、居眠りをして、立たされたことが、ありまして…。
でも、自分としてはそういう外に行くことがあるから体調を万全にしたつもりだったんだけれど、それでもやっぱりそういうことが起こってしまったので、ちょっと自分には、この、教職課程の先には、あの教育実習があるっていうのは分かっていたので、その、何週間がちょっとやれないんじゃないかというふうに、まあ思い、思うようになりまして…、はい。
教職って、目指す人たちの多くの人が取れる資格なので、何で自分は、諦めるんだろうっていうのは、だいぶ当時は悩みました。

教職課程には、その教育実習だけではなくて、あの「介護等体験※」ですとか他にも、そのいわゆる実習に近いようなものがある。で、当時私は、特別支援学校の、まあ、先生の資格が欲しかったので、そうすると、その特別支援学校での実習もあるっていうところまで考えると、かなり、その実習に割く時間っていうのが多い。
で、実は特別支援学校の実習だけは行ったんですね…。あの、4年生の普通校の実習よりも先にカリキュラムが組まれていたので、そっちには行ったんですけれど、ちょっと、えー、自分としてはかなりしんどくて…、あの同じ日数で、まあ、また実習があるっていうときに、やれないって思いました。

※介護等体験とは、特別支援学校や社会福祉施設(老人福祉施設、障害者支援施設等)において、7日間、障害者や高齢者に対する介護や介助、交流の体験を行うことです。この体験は、小学校・中学校教諭の普通免許を取る際に必要な条件になっています。

障害学生の語り

教育実習が1年生の頃からあったので、早くからとことん話して対応してもらった。服装の変更や、福祉タクシーで実習先の学校まで行くことなどを配慮申請した

教員養成系大学ですから実習、教育実習等々がかなり1年生の頃からあったので、そちらの配慮に関してはかなりとことん詰めて、あの対応をしてもらった所はありますね。はい。

あの …、実習校の選定とか、あるいは介助者を付けて実習に行きますよとか。あと、基本的に実習ってスーツで行くもんなんですけど、服装の配慮をしてくださいだとかっていうことは、免許を取る実習、免許を取る実習の前の実習の段階で既に、いろんなことを試して行っていました。あとは福祉タクシーで学校まで行きますよだとかっていうことを、ある程度試して、言っていました。
で、実際免許を取る実習、小学校教員免許状と特別支援学校の教員免許状を取る実習に関しては、かなり実習校の選定もそうですし、どういうふうに指導をしていくのかみたいな話をかなり早くから進めていて…、はい、そうですね、そこの服装だったりとか、学校だったりとか、学校までの、通学の方法とかっていうのをかなり詰めてやっていました。

障害学生の語り

盲ろう者支援センターでの実習も検討したが、利用者の自分が他の利用者の個人情報に触れてしまうため受け入れらなかった。結局、資格取得は目指さないことにした(手話)

まず、(実習に当たっては)大きな課題があったんですね。僕の場合は社会福祉を選んで大学に入りましたので、その授業のときに、資格を取るための試験、資格を取るための試験を受けるかどうかということがありました。でも、試験を受けるために、演習(実習)が必要ということになりました。最初は試験を受けることを考えていましたので、大学に実習を受けるということで依頼をしました。ですが、大学としては実習ができないというふうに考えました。
例えば、施設で実習をするような場合、利用者の様子が、自分でつかむことが必要になるんですが、例えばその顔つき、表情などを自分で読み取って理解する必要があるんですが、僕の場合は目が見えませんので、また耳も聞こえませんということがあったので、その利用者の方の表情を見ることができないということがありました。まあ、似たような課題もありました。
で、大学側から最初に、東京の、東京盲ろう者支援センターで実習をしたらどうかというような話が持ち掛けられました。支援センター長と相談をしまして、僕の場合は支援センターの、会員でもありましたので、やはり利用者の個人情報などを知るということになりますので、そこで実習を受けるときにはいろんな課題、問題が出てくるという話になりました。で、結果、個人情報という問題があって、そこで実習を受けるということには限度があるというふうな話になりました。
で、実際、(東京盲ろう者支援センターでの実習は)できないことはないんだけれども、他のところで実習を受けたいなというふうにも思いました。僕自身も(他で実習をしたいと)考えていたので、またセンター長も同じようなことを考えていました。できれば他の施設、ところなどで実習を受けたほうがいいだろうという考え方がありました。
それを大学に説明したんですが、大学としては少しそれは難しいだろうというふうに言われました。いろいろ考えました結果として、実習を受けられないということになってしまいました。
資格を取ろうとは思ったんですが、将来に役立つかどうかそれが分からない状況もありました。ですので、実習を受けない、試験を受けないということになりました。
で、資格を取らないということになりましたので、その資格を取らないということで大学を卒業しました。その代わりに大学院に入ろうというふうに決めました。つまり、他の道に進もうというふうに決心しました。ですので、大学で実習など、実技のようなことはほとんど受けないということになりました。

障害学生の語り

知的障害関係の施設で実習を希望したが、どのように実習ができるかを施設の職員に見せるため、プレ実習ということで1年前から施設に通った

もともと(小学校で盲学校に転校したときに)その知的障害の友人たちとの出会いがきっかけで福祉学科を目指したっていう話は、教授たちのほうにもこう、ちょこちょこ話していたものですから、(実習は)やはりどうしても、まずは知的障害の関係の施設に行きたいということを伝えていました。

で、たまたま、非常勤か何かでいらしていた、先生が、懇意にしている方がある授産施設の施設長をなさっていて、で、その人に言えば多分、嫌とは言わないはずだということで、持ち掛けてもらったら実際、まず、じゃあ会ってみましょうということになりまして、ある都内の授産施設に行くんですけれども。
そうしましたら、その施設長さんっていうのは、えーと…、正直、不安でもあるし、併せてその、普通の実習生ならまだしも、その全盲の実習生を、サポートしている職員の余裕が正直ないということで、例えば、1年間月1でいいから、誰かサポーターを付けた状態でうちの施設に来てくださいというふうに言われまして。で、どんな感じで実習ができるかを見せてくださいっていうようなことを言われまして。
で、やはり僕は、でもそういう、こう授産施設で実習がしたかったので、まあ、教授が中心になって、同じ学科の卒業生で時間がありそうな人たちを集めてくださいまして、月1で大学3年間の1年間、その授産施設に行って、「プレ実習」という言い方をしていたんですけれども、を、していました。えーと…、(でも)それが終わる頃にですね…、施設長さんとの話の中で…、いよいよ、じゃあ4年生になると実際に実習が始まるんだけれども、何かそのサポーターの人がやっぱりいてくれなきゃ困るみたいな話になってしまって。
で、(サポーターが)いなくていいかどうかを見るはずのプレ実習だったはずだし、割ともうほとんどそのサポーターの先輩方っていうのが何も…、手を出さずに何かこう授産施設の、作業をかえって、僕もこう、その先輩も一緒になって手伝ってみたいなことだけで、いる意味、ほとんどないよねっていうふうな、いう感じで過ごしていたのに、施設長からはそういうふうに言われてしまって、非常にこう、がくぜんとしていたんですけれども。
何かこう本当に偶然なんですが、そういうことがあって、しばらくした頃に、施設長さんが辞めることになりまして、別の…、当時、元々職員だった方が施設長に、なるということになったんですけれども、その施設、新しい施設長さんっていうのは、非常にその僕のプレ実習のときの態度っていうのを買ってくださっていて、で、1人で全然来れるよねって、ど、どう考えてもサポーターの人必要なかったよねっていう話になって。

障害学生の語り

社会福祉の実習先を探したが、重複障害だとどこに行っても断られた。てんかんの施設でも、自分にてんかんがあるから露骨にだめだと言われてしまった(テキストのみ)

社会福祉士の資格を取るには、援助技術、現場実習っていうのをやらないと、受験資格がもらえないことになっていて、私がいたときは、まだ楽なほうだと思いますが、取りあえず実習先は、条件だけ出すので、あとは自分で探してください、だったので、まあ探しました。
ただ、できないことだらけの私が、実習なんかできるのかって真剣に思いましたし、実際、重複(障害)だと、どこ行っても断られるんです。
例えば、それこそ、てんかんの施設に実習にお願いしたときは、露骨に、てんかんがあるから駄目だと言われました。今だったら考えられないことだと思うんですけど、そんなことを言った人がいました。あとは、もう露骨に、断りはしないけど返事もしない、っていうところが多かったですね。

――ご自身としては、そうやって露骨に何か断られたり、返事もしないみたいな、そういうことに遭ったとき、どういうふうに思われるんですか。

これが日本の福祉かよ、あり得ねえ、以上!ですかね。

――こういう状況になって結局、実習はどうされたんですか。

結局、もう実習は無理だから、実習はしないで卒業して、実習先が見つかったら、また実習だけの単位を取ろうと覚悟しました。でもその後、新設の施設が、新しくできるということで、そこと関わっていましたので。
また、たまたま、(その施設に)社会福祉士がおりましたので、そこで受けていただきました。私は元々その(自立生活に関する)活動が好きだったので、好きなところで実習ができたことは、本当に良かったと思います。

障害学生の語り

大学2年の終わりに母校の高校で実習をしたいと依頼した。自分が通っていた高校なので設備は問題なかったが、理由はよくわからないが、断られてしまった

大学2年の終わりから、母校の高校にあいさつに行って。大体みんな3月に入ってからやるんですけど、わざわざ行ったんです。行って、「実習したいです」って言ったんですが、駄目ですって言われて。

――駄目ですって、うん。それは、その、高校のほうはどんなふうな説明をしたんですか、駄目っていう理由について。

いや、あのー……。さっき言ったように、(自分が通っていた母校なので)設備的に問題はないんですね。あんまり理由がよく分からないんですよね。(自分が高校生として)通うのは良くて、何で実習駄目なんだろうって思ったんですけど。ただもう、まあ私の時にいた先生たちもいなくなってる人もいたっていうのもあるんでしょうけど、でも残ってる先生もいて。やっぱりその、学校の先生たちの慎重さが出たんですかね。

――慎重さが出たかなっていう感じ。

うーん、まあ、「初めてのことは嫌だ」みたいな。で、さてどうしようかとなるわけですよ。で、小学校から中学校のとき……、高校まで○区(東京都内の区の名前)にいたんですけど、実は自宅の隣が特別支援学校だったんですね。通ってるわけじゃないんですけど、ちょっとお付き合いがあって、相談しに行ってみようかなと思ったんです。相談しに行ったんですね。で、そこの校長先生が出てきてくださって、あのー、「うちで受け入れるのはいいんだけど、単位が出せるかちょっと分からないところがある」と。

――単位が出せるかは分からない。

あの、何だか特別支援学校用の免許の単位を出せるんだけども、普通の教員免許の単位は出せるかちょっと分からないみたいなこと言われて、「そうだ」と、ある何か国立大付属の特別支援学校が実はあって、で、私が通っている障害者専門の病院のすぐ近くだと。そこも、ちょっとリハビリの勉強会とかでお世話になった時期があって、ちょっと縁のあるところで、「あそこはどうだ」と、「あそこは普通の免許出せるはずだぞ」と言っていただいて。「あ、じゃあ問い合わせてみます」って言って、(実際に)行って。行ったところ、特別支援学校には自立活動っていう時間があるんですね。いわゆるリハビリの時間があって、その先生が出てきて、「A(インタビュイーの名前)君か、リハビリの講習会で覚えているか」と。小さい頃お世話になった先生だったんですよ。「何、A(インタビュイーの名前)君、教育実習したいの?」と。「ああ、いいよ」と。「まあ、ちょっといろいろ難しいことあるかもしれないけども、まあいいよ、やってみましょう」と言っていただいて。で、その、要は病院のそばの、ある大学の附属の特別支援学校でやらしていただくことになったんですね。

障害学生の語り

解剖学実習など手を動かしながら顕微鏡を覗くような授業は、できるところはやって、できないところは班の人からサポートしてもらう状況だった

(大学の)3年目から、2年目の後半ぐらいからでしょうかね、専門的なカリキュラムが始まって、やはり、医学系ですと、言い方は難しいけど、こう情報、学ぶべき量がとても多いので、詰め込みと言うと表現が悪いかもしれませんが、どんどん授業があるという感じになってきましたね。
ですから、非常にたくさんの情報を、まあ、ひたすら講義を受けてやると、詰め込んでいくっていうふうな期間が始まったんですね。特に最初の2年間は、最初、本来は6年間なんですけど、ちょっと4年でそれをやるという感じなので、前半2年が座学、後半2年が病院実習という分け方になります。
前半の2年間は座学、プラス解剖学実習ですとか、えー、組織学ですとか、病理学ですとか、あとはそうですね、細菌学とか、つまり座学とあと実習。実習というのは人相手ではない実習、人相手ではないと言うのは語弊がありますけど、患者さん相手ではない実習のようなものの組み合わせでした…。
座学は、何ていうんでしょう、高校の延長線上ではあるので、大変ではありましたけれども、それ自体はその、高校の授業と同じような感じで対応できたかと思います。
で、実習、解剖学実習ですとか、手を動かしながら顕微鏡をのぞいたりとか、簡単な実験をしたりですとか、そういうところはやはり、あの、幾分苦労しましたね。
まあ、できる範囲とできない範囲が当然あるんで、まあ、できるところはやって、できないところは、大体班に別れてやったりすることが多かったので、(他の学生から)サポートしてもらって、補ってもらうような、そういう状況だったと思いますね。
だから、まあ、前半はやはり、とはいえ、何とかなるというか、全体として、量は多かったですし疲れもしましたけど、授業を詰め込んでいくような感じだったと思います…