結局、何がどこまでできるのか、限界をつくるのも自分自身だし、自分が限界をつくらなければ、どこまででも乗り越えて進むことができるものだと思います。
また、自分が意識をしていなくても、それまでの経験の中で自然に自分に限界を設けているようなことが多いのかなと思います。自分以外の障害を持つ人の生き方とか考え方もたくさん経験してほしいと思います。
これは無理だなみたいに思ったことでも、勇気をもって乗り越えてやってみようというチャレンジ精神を大事にしてほしいと思います。
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何か、(大学生になって初めて)人間になれたなと思いました。あ、べつに俺、大学に恩感じたこともないし、べつに何か、大学大好きとかではないんですけど。高校のときは、やっとその何か人と分かり合えたみたいな感じになったんですけど、まだ自分が人間じゃないんですよ。
で、大学でやっぱりその、まあ、うーん、大学を褒めたほうがいいと思うんですけど、いいんですけど、何か…、大学やっぱ本当そんな恩を感じてなくて。だけど、やっぱインプロ(学外でやっていた演劇活動)がやっぱ強くて、自分の中では。そのインプロと出会えたのが、まあ大学生だから、たまたま、たまたま大学生だっただけなだけで。で、何かインプロ…、ね、インプロをしたらいろんな人と会えるし、インプロをしたら自分の自己肯定感も上がったし、やっと人間になれたなって思って…。だし、その、さっき言ったんですけど、僕は(DCD:発達性協調運動障害のために)自転車に乗れないんで、(大学より前は、)友達の家まで歩いて行く、それってつらいんですよ。楽しかったんですよ、当時は。だけど、今振り返ればしんどいじゃないですか。
だけど、上京するっていうことで電車を使えるんですよ。電車でどこでも行けるんですよ。それってすげえなって本当、最近思うんですよ。何か、まあ往復で今千葉のほうなので、1,100は安くてもかかるけど、たった1,100円で人と会えるし、人とご飯食べれるし、すげえなって思ってて。
まあ、大学でも人、会えるんだけど、何か……、そうですね、やっぱ…、うん……、べつにインプロに会いに行ったのは僕なんで、べつに何だろうな、大学のおかげ、じゃないんですけど、自分のおかげなんですけど、大学がつまんないなって思えたから外に行こうと思ったわけですから、何か…、逆に、ありがとうですね…。
だけど授業だって面白いときもありますし、面白い先生だっていますけど…、べつに何か、よく言うじゃないですか、東の人は冷たいって、で、西の人は温かいって、何か本当それだなって思って。東の人って何か人見知りが多いなって思うんですよ。だし、空気読もうとするし、なんでつまんないんです、多分大学って…。まあ、西に行ったら西に行ったで、僕は面白い人なので、またいじられてしんどい思いをするんだけど…、まあ、どっちもどっちで悪いことはあるんだけど。
何か、僕に、僕にとっての大学は何だろうな、遠回しで、遠回しに背中を、押してくれた、場所だし、多分、多分今、高校よりも、好きだし…。まあ、大学が、じゃないんだけど、大学生のときの僕のほうが、大学生の僕が一番その、好きなので、いいなと思います。はい。
でも、皆さん、私のノートテイクは一番緊張するって。っていうのは、やっぱりある程度情報が耳に入ってきて、欲しい情報が割と、まあ、限定されているというか、うん、うん…。ノートテイクってやっぱり要約どうしてもするので、うん、私が求めている、まあ、言わないですよ、直接は言わないけど、でも、私が求めているものはきっとその完璧じゃないけど、私の足りない所を補ってほしいんだろうなっていう思いで皆さん来てくださるので、なるべくいっぱい書かなくちゃいけないみたいな何か、うん。「緊張するんだ、実は」って(ノートテイクをしてくれる)先輩に言われたことがあって、あ、そうなんだと思って、はい、いたこともありますね。
――あの、言い方が正しいかどうか分からないんですけど、なまじ全く聞こえない人よりも、その何て言うんですか、ポイント、ポイントで欲しているものがある、それに、そのニーズに合わせて書かなきゃいけないとか、そういう感じですかね。
はい、はい。あの一般的な今、あの制度の、市の、市とか県のやっている要約筆記とはやっぱり、また別の本当にボランティア団体の、あのノートテイクなので、ルールがね、明確化されているわけでもないし、まあ、練習といっても何かね、厳密に決まっている要約筆記とはまた違うやり方なので、やっぱり学生もなるべくそのニーズに応えたいっていうのがやっぱりあるので、はい、うーん、言ってないのに、きっとプレッシャーを感じてたんだろうなと思って。はい。うん。
――分かりました。何か本当に、そういうのも本当に一つ一つ、ご自分の要約筆記というかノートテイクに対するニーズとかも、もちろん大学で実際やってみて初めて気付くっていう感じだったんですね。
うん、うん。そうです、そうです。はい。で、あの良くも悪くも、私が学生時代はずっと学生だけで(ノートテイクの活動を)運営してたので、あの、もちろんコーディネートにしても、その練習会のことにしても、あと何て言うんですかね、反省会とか、一通りのその運営に関わるものに関しては、一通り私も経験しているので、うーんと、そういう情報保障をするに当たって何が必要で、どうやっていかなきゃいけないというノウハウはそこで学べたので、うん、職場に出てからもやっぱりこれとこれが必要だとか、これはお願いしなきゃいけないとかっていうようなのを持って卒業できたのでよかったです。はい。
それぐらいしか自慢できないかな。あまり自慢できることないんですけど、うん、いい時代に、うん、4年間いたなと思ってます。はい。
そうですね…。と、まず、あの、勉強の、ことで言うと。やはり、うん…、義務、義務教育とか。高校で学べない、専門的、専門的な…、領域に、触れることができたので、あと、同時に、いろんな、その、人文、人文科だったこともあって、本当に幅広い、何か、テーマを学ぶことができたので、視野が広がったし、自分はどういうものに興味があって、どういう考え方が、好きなんだろうっていうのを、あの、自覚、自覚することができたかなと思う。
割りと幅広い授業を取ってたんですけれど、あの、思い出すこととしては、あの、ディスカッションの授業があったんですね、1年生のときに。ちょっと人と違うかもしれないなんて思いながら、そういう科目を取ってて。で、当時、まあ学科を超えて、えー、まあ履修する人がいて、で、1つのテーマについて毎回ディスカッションするっていう授業だったんですけれど、あの認知症をどう思うかというテーマでディスカッションしていったときに、決定的に他の学生と自分の考えが違ってたのは今でも覚えてます。
で、何が違ったかっていうと、その忘れるっていうことについてすごく、あの、私以外のメンバーはネガティブに捉えていたんですよね。悲しいことであると捉えていたんですけど、私はちょっと違っていて何かこう、まあ、いい思い出も忘れるんだけれど嫌なことも忘れるよねって言ったら、すごいこう反論されて。あ、何かそういった考え方、その何だろうな、考え方とか大事にしていることとかも他の人と、あ、違う側面もあるのかなって、あの、気付かされた授業でした。
変な回答になっちゃうかもしれないんですが、あの、自分自身のことを、えー、まあ、簡単には分からないっていうことが分かったというのが4年間での気付きで、あの、障害のある人の生活についての研究というのが、その魔法のつえで触ったように、ぱっと解き明かされていくわけじゃないんだというのが、あの授業ですとか、あの先輩方の研究を通じて分かってきたというのが学部時代ですね。なので、えー、まあ、すぐには解き明かされない自分がいる。で、それについて、その自分自身と、まあ、これからの人生も長く付き合っていかなきゃいけないんだなという所を、えー、まあ、理解したのが学部時代だと思っています。
まあ、自分のことが分かるかもしれないと思って、えー、ずっと選択をしてきたので、まあ、分からない、自分のことがすぐには分からないという結論に達して残念がるかと思いきや、あまり残念だとも思っておらず、あの、少しずつ分かっていく楽しみもあるのかもしれないというような、あの、まあポジティブに捉えている自分もいて。
そういう考え方が、あの、自分の中でできるのかって思ったら少しこう、まあ分からない、じ、分からない自分によって苦労もあるかもしれないんだけれど、あの、苦労だけじゃない、えー、まあ、卒後もあるのかな、なんていうことは考えてました。
大学で学んだ意味、えーと、僕は、その、僕の場合、英語を深く学びたいっていうことで行ったんですけど、その前にやっぱり、大学行くとやっぱり社会全体の、小・中・高で習わなかった社会全体のことも学べると思うんですね。
例えば、仕事のこととか、就職のこととか、と、あとは、大学の、勉強のこともそうですし、その対人関係や友人関係や、そのことだったりも学べると思うんですよ。小・中・高でも学ぶと思うんですけど、それ、それよりも深く、社会のことについて学べるのが大学、大学通ったことによって学ぶ、学べたことだと、思うんです、思うんですね。
だから、大学で学ぶのはやっぱりそういう社会勉強をするところがやっぱり大学のいいところというか、大学で学ぶ意味だと、思います。
何か、普段何気なく、使っている言葉でも、何か、こういう、ときに自分はこういう意味で、使って…。うん。でも、ネットの言葉だったからな。そのとき調べたのがネットの言葉だったけど自分…、自分のやっぱ言葉に対する知識っていうか…、まあ、研究したのはSNS上に載ってた言葉だったんですけど、自分の言葉の知識っていうか、何だろう、自分の言葉の知識を何か、違う角度から見たりとか…、より広い視点で見たりとか、そういう言葉に、言葉に関することで、そういう視点が持てたのが一番良かったなって思いました。はい。
視野が広がるっていうか、世界が広がるっていうか、自分の今までの知らなか、知らなかったことに出会うことによって、えーと、自分の何か成長って言ったらおかしいけど、何か、自分がより大きくなれるというか、自分、自分、また、少し前の自分とは違ったものの見方とか考え方とかができる…、できることが私にとっては一番大きいことだったかなって思います。はい。
――ご自身としては、あの、いろいろ大変だったけど、でも、大学で学んだことっていうのは、ご自身にとっては、どういう経験だったかなというふうに思われますか。
非常に、豊かな経験ができたと思います。理由は、私は大学に入るまで健常者の学校で学んだことがなかったので、健常者と学んで、なおかつ対等に評価されることがなかったです。しかも最初でお話ししたように、自分で選んで、自分で必要な書類を読むという経験や、いろんなものの中から選択するという経験をしてきませんでした。
もちろん、読んでくださる人たちにとってはとてもうるさい利用者だし、書き方一つにも文句を付ける、不届きな人だったので、ひどい障害者だなと、われながらに思ったこともありましたけど、でも真の平等って何だろうとか、真の学びって何だろうっていうことについては、とてもいろいろ学びましたし、考えるきっかけになりました。
――分かりました。ご自身は、あの随分昔のことだからとは言いつつ、でもすごく豊かな時間を過ごされたというふうに話されたんですけど、この先ご自身としては、あの大学生活のことだけではないのかもしれないんですが、将来どうなりたいなとか、社会に対して、自分は社会に対して何ができるとか、何かそういうことで思われることってありますか。
やっぱり、私が受けてきた思いを、今度は後輩にお返しというか、かたちで恩返しができるとまずいいと思います。あとはできることは、すごく少ないと思いますが、重複障害や言語に障害を持って、まだ人権を奪われた障害者は多いです。そういう人たちの声を拾えるだけ拾って、その人が幸せになれるように、お手伝いができればいいなとは思います。
あとはまあ、制度をもっと変えていかないと、重複障害者は、駄目、重複障害者はいけないと思うので、そことかをいじっていければいいなと思います。
大学でいろいろな経験ができました。家族に話したんですけれども、家族からも大学に行っていろいろな経験をしてほしいと言われていました。その経験の理由も分かるように。分かるような気がします。家族のそういった気持ちも分かるような気がします。
例えば友だちがとても増えたこと、また社会がどういう状況なのかということが理解できるようにもなりました。例えば社会のマナーですとか。習慣。習慣のようなことを友だちなどや先生などに、伝えて、教えてもらうことができました。また、健常者が、の、生活を。どのような生活をしているのかということも知ることができました。例えば、カラオケに行くなど、またゲームセンターに行ったり、そのようなことも実際に体験することができました。そういうようなことを知ることができました。
もし、高校を卒業した後すぐに仕事に就いていたら、なかなかそのようなことは経験できなかったと思っています。ですので、普通の大学に入ることができたのはよかったと思っています。