診断時:48歳
インタビュー時:52歳

1997年に炎症性乳がんの診断。化学療法、乳房切除術、再建手術、放射線療法、タモキシフェン投与。

語りの内容

驚いたのは、お腹から組織を採ってそれを内側で持ち上げてきて乳房を再建するということなんだけど、それは座った姿勢、つまり、足をあげ、膝も持ち上げた姿勢でベッドに三日間横たわっていなければならないということなんです。それがかなり窮屈でした。でも、ベッドから出てしまえば大丈夫でしたのでそれはよかったですが、その後、あまりうまく行かなかったのかもしれないと感じ始めました。というのは乳房が信じられないくらい真っ青になっていたのです。今ではそれが壊死だったのだと分かりますが、その時は知りませんでした。医師たちはなんとかしようと全力を注いでやってくれたと認めなければならないのですが、それは無駄に終りました。腹直筋皮弁法を行なった形成外科医が、広背筋皮弁法を行ないました。そして胸側は大丈夫でしたが、残念ながら背中は切り開かれて大きなくぼみが残りました。その時実際には、4週間ほど共同病室にいたのですが、それは乳房切除手術の時より長くなりました。背中は縫い合わされ、それでその段階の手術は終りでした。その後フルタイムで仕事をしながら、9月に予定された最後の手術を心待ちにしていました。それから、私はベッカータイプのインプラントを入れるつもりだったので、それはそのための手術で、シリコンを入れたくない私にとってまた妥協しなければならないことになりました。それは体内に埋め込む人工乳房で、中に生理食塩水を満たす方法です。取り出すための別の手術を受ける必要もなく、ティッシュエキスパンダー(組織拡張)兼用の人工乳房なのです。広背筋皮弁法を施した医師が、この手術も行いました。残念なことにその医師が入れた位置が良くなかった。だから拡張しようとすると、こちらにはひろがらないで、別の方向に引っ張られてしまうのです。それはものすごく痛かったです。結局、○○(医師の名前)に会ってそのことを伝え、彼はもう少し拡張すればよくなるのでやってみようと言って、出来る限り拡げようとしたのだけれど、結局は入れた位置が悪かったことを彼も認めました。取り出すよりほかに方法はありませんでした。それでその医師はそれを取り出して、従来型のティッシュエキスパンダーを入れて再度組織を拡張した後で、それを取り出してシリコン製人工乳房を入れました。結局、私は一通りのやり方全てを経験したことになります。またそれをやってみるかどうかはわかりません。私のことだから、多分またやるでしょう。腹直筋皮弁法をまたやってみたいのです。というのは、取り除かれた部分を再建するために自分の体の一部を使う、というのがとてもすばらしい考えだと思うのです。

私は: です。

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