投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

診断後、友人が一人の医師を紹介してくれた。最初の診察では術前抗がん剤と乳房温存術を勧められたが、さまざまな本を読んで考え、無治療で経過を見ることにした (テキストのみ)

(乳がんとわかってから)長い期間、友達である人に、連絡を取って、そこから治療法の選択ということが始まったんです。たまたまその人は、とても近しいお知り合いに乳がんの方がいらして、その方の先生は「とても主治医がいい方なので、ご紹介したい」というふうに言ってくださって、「ともかくその先生の本を一冊買いなさい」と、で、「読んで、ある程度の知識をつけてから診察に行きなさい」ということだったんですね。
それで、診察に伺って、その時点では、先生に、「どんな、あの、治療法を勧めてくださいますか?」というふうにお聞きしたら、「化学療法でまず小さくしてから、部分的にくり抜き療法」というふうに勧められたんですね。
それから、先生の本を読んでみると、結局、一番いい治療法というのは無治療で何もしないことだっていうのが、その先生のご意見だということが分かったんですね。西洋医学の先生なのに、放射線科ですから、不思議に思われる方もあると思うんですけど、要するに、がんの中には、がんは転移したら死ぬというのはもう確実なことだけれども、がんの中には、初めから転移するものとしないものとがあって、で、初めから転移するものは、抗がん剤をかけようと、手術をしようと、放射線をかけようと、もう転移して死んでしまうもので、転移しないがんというのは、もともと転移しないんだから、何もしなくても、大きくならない。だから、命に別状はないというのが、その先生が長い間勉強されたり、治療されたりした結果、たどり着いた結論ということで。私は、その後、その先生以外いわゆる、正統派というか、抗がん剤をしなさいとか、手術をしなさいという先生方の本も読んだけれども、どうしても一番最初に読んだ先生の意見が一番、論理的な整合性がとれているような気がして、それで、先ほど話した友人たちとも相談した上で、彼らも、その先生の説が一番、信ぴょう性があるように思うという意見だったんですね。
で、まあ、一応、何て言うか、私たちは、ものを調べたり、勉強したりすることが、職業なものですから、自分たち、それでご飯食べてきているわけだから、何て言うか、調べ落としがあるとか、理解、し間違いがあるというふうに思えなかったんですね。
それで、じゃあ、この先生を主治医に、というふうに考えて、それから、その先生に、「主治医になってください」とお願いして、で、「あなたがどんな選択をするとしても、よく考えて決めたことだったら、最後まで僕はあなたのことをみます」というふうに言っていただいて、で、そのときに、「転移のことなんだけど」って言われまして、「まあ、6割は転移すると思う」って言われたんですね。ということは、するかしないかしかないわけですから、するほうが多いんだというふうに思って、もう私は最初の段階で、自分は転移するというふうに思って、それから過ごしてきました。

乳がんの語り

乳首が胸の中心部に寄っていくように感じて、触れたら乳首の裏側に5cmのしこりができていた (テキストのみ)

乳房のちょうど乳首のところが、何か場所がだんだんこう(内側に)胸の中心部に寄っていくような感じがしてきて、で、何か通常の、何ていうか、乳首の位置が変わってきたという感じで、それが胸の中心線のほうに移っていったという感じで、それで、触ってみたら、乳首のちょうど後ろ側に、しこりのようなものがあるということに気が付いたのですね。で、最初、「家庭の医学」を見てみたら、乳がんができる位置というところに、乳房の…じゃない、乳首の下っていうのは入ってないんですよね。なので、ちょうど乳頭の下にあるから、これは何か違うものじゃないかなって、最初は何かちょっとそういうような、判断をしたんですよね。でも、後に、できる場所というのは、その「家庭の医学」に書いてあった場所にできやすいというだけであって、ちょうど乳頭の真下にできる人というのもいるんだということは、後に分かりましたけれども。
実は、私は、かなり大きくなるまで気が付かなくて、最初に気が付いたときにもう5センチになってたんですよね。普通はそんなのってあり得ないでしょうって言われるかもしれないけど、パートナーがいなかったり、特に、何ていうのかな。私も、それまで、仕事仕事で来たので、ほとんど、何というか、プライベートで、自分の体を精査するとか、人に見せるというようなことがなかったので、気が付いたらそうなっていた。まあ、忙しくて、あの、綿密に調べるということもなかったということ、というか、気分的な余裕もなかったということもあると思います。

乳がんの語り

日ごろ中心的に関わっている活動グループの人たちには病気のことを伝えたので、気遣ってくれたり、情報を教えてくれたりした。身近にいる人たちには打ち明けてよかったと思う

いくつかの、その活動グループがありましたので。二つか三つですね。日常的に、集まったり、それからいろんな活動をしている三つぐらいのグループの人たちには言いました。それぞれですね、やっぱり、「身近に、いたよ」とか、それから「まあ、気をつけなね」とか、「あまり無理しちゃ駄目よ」っていう、そういう、言葉はいっぱいかけていただいて。で、やっぱり、そのグループの方々の中でも、中心的に、いつも関わっている人たちには、通じているけれど、その他の人たちまでは広がっていないと思います。で、中心的にいつも、関わっている人たちには、やっぱり、話をして、で、理解もしてもらったり、それから、了解もしてもらったりということが必要なので話をしました。
 あとは、そうですね、日常的に、そんなに、お世話になっていない、関わっていない方々には、「たまたま、ここんところ、ちょっと調子が悪いのよ」とかいうことで、了解をいただくという場合もありましたし、いつも、関わっている人たちには、やっぱり、打ち明けて、そして、まあ、いろいろと気を遣ってくださるので、それも、助かりますし、はい。それから、本を持ってきてくれた人もいました。「こんな本があるんだけど、もし暇だったら、ちょっと読んでみてね」って言って、持ってきてくれた人もいましたし、それから、「友達にもこんな人がいて、彼女のブログも、見るといろいろ分かるよ」って言って紹介してくれた人もいましたし、まあ、それなりに、皆さんいろいろと、話をして気にかけてくれたり。それから、ちょっとしんどいときに、夜の会合、予定していたけれども、急にやっぱり、「ああ、今日は何となく出たくないなあ」みたいな、「えー、外も、ちょっと、今日は、冷え込んできたし」みたいな、そんなときは、「ごめん」って言って、急に、ドタキャンでお電話するときにも、「ああ、いいよ、いいよ」って言ってくれたり、そんなことがあって、とても、皆さんに、理解をしてもらいながら。で、手術のあとも、そうですね、「ほんとにもう大丈夫なの?」って、言いながら、それなりに気を遣ってくださったりするので、やっぱり、身近に、いる方には、打ち明けたほうがいいなと思います。

乳がんの語り

医師にはホルモン療法の副作用で更年期障害が出ることがあると言われたが、まったく自覚がない

お医者さまは、「更年期のような症状が、作用がおきることがあります」とおっしゃっていまして、まあ、私の場合、実は、更年期障害もほとんど自覚しなかったんです。少し汗が多くなるとか、体調がやっぱり悪くなるとか、物忘れがこうぼうっとするとか、人によっていろいろおっしゃいますが、私は、更年期障害っていう自覚はありませんでした。で、今も、その、お薬についても、全く、(そういった症状の)自覚はありません。

乳がんの語り

抗がん剤でむくみが出て股ずれがしたり、正坐できない状態だった。1年経った今もしびれとむくみが残っていて、夜はむくみがひどいので、足を上げて寝るのが日課となっている

後半の4クールは、むくみが出てきました。座われないくらいですね。足のむくみ、足先だけではなくて、足の付け根からもうむくみが、ぱんぱんになってきて、歩くときに、こう股ずれがするって言いますね。それくらいに、むくんできまして、で、正座がもちろんできません。で、座るときも足を投げ出して座るというくらいで、むくみに苦労しました。靴もいつも履いていた靴は入らなくて、この靴だぶだぶで捨てようかしらと思っていた靴がたまたま1足あって、助かったわっていう。その靴を履いて過ごしました。
一番、私にとって、今、ダメージが大きいのは、むくみです。足のむくみ、「副作用で、時には、手足にむくみやしびれがきますよ」っていうことはお聞きしていて、そして、ほんとに、最後の最後に、むくみと、それからしびれが、「ああ、来たわ」っていう感じであったんですね。で、それは、化学療法を終了すると同時に、副作用も消えていくはずなんですが、それから、もう1年経っていますけれども、微妙な、しびれは、手足に、ときどき感じます。で、足の、指の付け根あたりですね、この辺が何となくころんとした感じの感触です。足の裏がちょっと、やっぱりむくんでいるというか、指がむくんでいる。そんな感じが残っています。もちろん、朝は、比較的軽い。そして、夜になると、それは、ひどくなると。夜寝るときは、足の下に、ちょっと、座布団を置いて、足を高くして寝るのが、今、日常になっています。

乳がんの語り

抗がん剤で白血球数の減少する周期について医師や看護師から説明を受けたので、それに合わせて日程を組み、会合に出かけるなどして、仕事を続けることができた

で、「その点滴が、終了してから、4-5日経つと、体調が、少し、こう悪くなってくるというか、白血球の数が、少なくなってくるので、注意してください」と、「人ごみへ出かけたり、それから、まあ、走ったりという、そういう強い運動をしないように注意してください」というふうに、おっしゃっていました。でも、私は、いろんな仕事をしていて、いろんな人に会うと。そして、夜もいろんなそのボランティアの方たちとの会合が、今日は、Aの会合、明日は、Bの会合ということで続いていることが多くて、その間、何とか出かけて、会合をこなしながら、日を過ごすことができました。
お医者さんと看護師さんから、抗がん剤の点滴を受けたあとの、白血球の減り具合ですね。その周期、3週間周期で、「1週間目はこう下がっていって、2週間目が一番注意する。で、3週間目は回復期というようになります」っていう、そういう説明のプリントをいただいて、説明していただいて。それで、自分で、こう予定をスケジュールを立てるときに、「あ、この時期は、一番、落ち込んでいる時期だから」と、その時期をはずして日程を組むように注意しながら、日程を組んで、何とか、その治療期間中、過ごすことができたと思っています。

乳がんの語り

乳頭を切除しないといけない場所と大きさだったので、術前抗がん剤治療を行うことになり、その結果、乳頭を残すことができた

手術をしてから、放射線治療、抗がん剤治療をする方法が一般的ではあるんだけれども、私の場合は、乳頭の近くだったんですね。それで、多分、まだほんとに、小指の先の小豆大ぐらいの最初に来ていれば、最初に手術をされていたかもしれません。でも、少し大きくなっていましたので、最初に、そこの部分を切り取ることになると、乳頭も一緒に切り取らないといけない、という、大きさと場所でした。そこで、先生は、「最初に抗がん剤治療をして、結果は保証できないけれども、小さくなる可能性がありますので、めでたく小さくなったら、乳頭を残すことが可能です」というふうなご説明でした。で、私は、そっちのほうを選ばさせていただきました。
で、まあ、最初の、抗がん剤治療を終えまして。終えたときには、触ってみると、指では、もう全く感じなくなっていました。で、「えっ? ほとんど、全部消えたんじゃないの」っていうくらいに思いました。ただし、検査をしていただくと、しこりはなくなっているけれども、がんのその、根っこといいますかね。それは、まだ細胞が残っている。「ただし、その根っこまで、完治、退治できているわけではないので、手術をしても、やはり、それ相当の場所って言いますかね、切り取る部分はあると思います」っていうことで。「ただ、乳頭は、多分、残せると思います」と。で、「ただ、やってみないことには分かりませんが、乳頭はこの分では、多分残せると思います」ということで、手術をしました。

乳がんの語り

温存手術で乳頭も残せてふくらみも十分にありとてもいい感じだったが、リンパ節は切除されていた

手術のあとは、「無事に済みましたよ」っていうことで、乳頭も残りました。で、乳頭の横あたりにこう、横あたりからこうメスが入っていて、で、先生は、あの、お肉も、少し、こう、寄せておきましたよっていうことで(笑)、ほんとに術後は、少し、こう寄せていただいたおかけで、形も、膨らみが十分ありまして、で、とても、いい感じでした。で、あの、まあ、全体的に少し小さくなっているけれども、ほとんど、何て言うか、損傷がないくらいでした。で、ただしですね。あ、それで、手術で、「リンパ節も、一応、削除(切除)しておきました」っていうふうにおっしゃいました。最初は、えーと、がん細胞がそこまでは来ていない、リンパ腺大丈夫、リンパ節までは来ていないという診断でしたけれども、実際に、手術をされた状況で、先生は、リンパ節も取ったほうがいいというふうに判断されて、取られました。ですから、リンパ節のところに小さな傷と、それと、がんを切り取ったところの傷と、2ヶ所、えー、傷があった状況です。

乳がんの語り

母の介護があり、家の近くで専門医のいる病院を選んだ

で、最終的に、行ったのは、8月の末ぐらいですか。もう、これで限界だなって、その頃には、やはり、1月に自分で、くりくりを感じたときよりも、もう、明らかに大きくなっていました。で、これ以上大きくすると、こう初期ではなくなるということで、もう限界だと思って、何が何でも、行こうと思って、9月の最初に病院へ行きました。
で、病院を、選ぶときですね、母がやはり、まあ、その頃には、認知症が少しずつ、進んできまして、で、食事の支度をしておくだけではなくて、やはり、こう、ちゃんとお膳に、整えて、で、「さあ、食べなさい」ってこう、箸をつけて、目の前に持っていかないと、自分で冷蔵庫にあるから取り出して食べるっていうこともできなくなっていました。で、そんな状況だったので、できるだけ、家に近い病院で、で、しかも、乳がんの専門医がいらっしゃる、ということで、病院を選びました。

乳がんの語り

自分でしこりが大きくなっているのを感じ、がんだと確信していたので、告知されたときやっぱりそうかとただそれだけだった。むしろ治療で生活がどうなるか気になった

で、私の場合は、半年以上も自分で、「あ、そうかな? きっとそうだな」というふうに、ずっと思ってきましたので、で、ほとんど、自分では確信的に、こう思っていました。全く、その、痛みも何もないしこりが、徐々に大きくなっているっていう、それを、自分で、ずっとお風呂に入るたんびに、「ああ、行かなくちゃ、ああ、少し大きくなったな、ああ、3ヶ月前に比べると、これは明らかに大きくなっているな、きっとそうに違いない」と、そういうことはずっと思い続けてきていましたので(笑)、先生から、「がんですね」というふうに、聞いたときには、「ああ、やっぱり、そうか」というただそれだけでした。で、その後の、むしろ治療することによって、日常生活が、どれくらい、ダメージを受けるのか。何とか、今のその日常生活ですね。仕事その他のことを、続けながら、ちゃんとやっていけるだろうか。そのことが気になりました。