投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

採卵できないと抗がん剤治療を始められないので病気の進行が心配だった。卵子凍結保存できたことで、抗がん剤の副作用がどうあれ、安心して治療に臨めた

やっぱり私としては結構プレッシャーになってしまって、月に1回しか採卵はできないものなので、欲しいときにすぐ採れるというものでもないので、もう注射で毎日病院まで通って。これで駄目だったらどうしようとか、やっぱりそういうプレッシャーを感じながら、不安もあったんですけれど。やっぱり、最初のとき、1回目が駄目で、で、もうどうしようかっていう、その主治医に相談したときに、「じゃあ、もう1ヶ月、やってみたら」ってこうあっさり言われて(笑)。「えっ? でも、治療をやっぱり早くしないと、若いから進行が早いって言われました」って、その前、地元の病院で。「いや、若いからそんな進行が早いっていうことはないよ」って、「乳がんは10年かけて、もう本当にゆっくりだから、そんなに慌てて、1ヶ月、2ヶ月慌ててやることはないよ」って言っていただいたので、「じゃあ、もう1ヶ月頑張ってみます」っていうことで。で、そのときは無事に、まあ採卵で採れたんですけれども。まあそれで、やっと「じゃあ、抗がん剤を始めてください」ということで、もう終わったらすぐもう抗がん剤の治療に入りました。
うん、やっぱりその(卵子を)保存したことで、私も気持ち的に、こう楽に、やっぱり抗がん剤ってもういろいろ副作用も、つらいって聞いているし、やっぱりそういう、子どもができない体になったらどうしようって不安もあったので。だけど、その保存をしたことによって、もう保存をしているんだから、まあなるようになれというか、副作用がまあ強くて、もし(卵巣機能が)駄目になっても、まあ大丈夫だろうっていう気持ちで臨めたので、私にとっては、凍結保存したということは、とても気持ち的に楽なものになりました。

乳がんの語り

治療後の卵巣機能低下を懸念し、保険を掛けるつもりで卵子凍結保存をすることにした

私の場合は、手術をして、そのホルモンの感受性が全部マイナスだったので、ホルモン療法が使えなくって、それはもう本当に抗がん剤しか治療法がなかったんですけれど、やっぱり抗がん剤をしてしまうと、その卵巣の生殖器のほうに、やっぱり影響があるということで「じゃあ、どうする?」ってなったときに、若いから、このまま閉経するということは、年齢が上の人に比べたら少ないだろうけど、でも、(病気になる前に)ちょっと、子どもがなかなかできにくいことがあって、病院に通ってたりもしたので、もしかしたら、(卵巣の)働きが弱いかもしれないから、やっぱり抗がん剤で弱いところを叩かれてしまって、で、(治療を)やった後に駄目になっちゃったで、後悔するよりは、「卵子の凍結保存っていう方法もあるよ」っていうことを教えていただいて。で、もうそれは、やったほうがいいなと。
主治医のほうも「もう保険を掛けるつもりで、別に、凍結保存をして使わなかったら使わなかったで、よかったねで済むし、もし使うことになっても、保存をしといてよかったねで、どちらに行ってももう気持ち的に楽になるから、心配しながら治療するよりも、やってみたら」っていうことで、手術が3月だったんですけれど、まあすぐに抗がん剤、始めたほうが良かったのかもしれないんですけれど、1ヶ月ぐらい、その保存する期間、猶予を「まだそんなに慌てなくても大丈夫だよ」っていうことを言っていただいたので、私としては、もう早く治療をして、と思ったんですけれど、主治医がそういうふうに言ってくださったので、私もその卵子の凍結保存をやってみようかなという気になりました。
 本当は、結婚している人は、受精卵にして、保存しなければいけないんですけれど、私の場合、主人が海外に長く行ってしまって、そのために戻ってくるっていうのが不可能だったので、まあ特別にというか、卵子だけの保存をしていただきました。

乳がんの語り

自分が生きられないと思うと妊娠は考えられなかったが、元気になるともう一人ほしくなった。でも夫は体の心配をして、もう子どもはいいと言う

わたしはですね、ほんと、抗がん剤は、終わってすぐは、逆にもう(子どもは)いいかなって思ったんですね。その生きられるか分からないという思いが強かったので、やっぱり、自分がもし子どもを授かったとしても、途中で、自分が旅立つんだったら、かえってかわいそうなのかなって思う気持ちもあって、一時期は、もう1人子どもがいるので、もう十分だなって思って、それでいいと思っていたんですけど。でも、やっぱり時間が経って、自分が元気になってくると、ああやっぱり兄弟作ってあげたいなとか思うんですけど。でも、主人に話すと、主人は、「いい」って言うんですよ。「もういいんじゃないの、1人で」って言うから「何で?」って言ったら、ずっと理由を言わなかったんですけど。
つい最近、それこそ、もう1回そういう話をしたら、「僕はいいよ」って言うから「何で?」って言ったら、「何かの乳がんの本で、子どもを生むことで、何かリスクが上がるみたいなデータを俺は見た」*1って言うんですよ。で、「見たから、そんなんね、あるんだったら、もういいじゃん」って言うんです。だから、そんなデータ、こっそり見ていたんだって思って。でもね、それが合っているか、合っていないかも分からないですけど。でも主人がそういう思いがあるっていうのを、初めて聞いて、ああ、そういう理由で子どもは1人でいいって言っていたんだと思って。だから、ああ、一応、気にはかけているのねと思って、思ったんですけど。
でも、自分としては、やっぱり、だいぶ、ほんと、元気になってきたので、もう1人はほしいなとは、可能性があるならとは思っていますけど、ま、こればっかりは、主人とほんと2人で話していかなきゃなっていうのがあるので。今、まだ30代なので、できないことはないんでしょうけど。こればかりは、あとは、運にまかせるってことですね(笑)。

*1 乳がんの治療終了後の妊娠・出産によって、再発のリスクが上昇するという明らかなデータはありません。
(日本乳癌学会編「科学的根拠に基づく乳癌診療ガイドライン1薬物療法2010年版」)

乳がんの語り

30代後半で罹患したが、出産可能なぎりぎりの年齢であり、ホルモン療法を5年受けるとなると人生の設計図が変わってしまうので、葛藤がある

あと、特に乳がんに関してなんですけども、だんだん年齢も低年齢化してまして、私も、30代の後半で実は罹患したんですけれども、今は多分30代で罹患する人もすごく多いと思うんですよね。そうすると、今、出産する年齢も上がって来てると思うんですけども、30代でも全然まだまだ出産できる年齢だと思うんですよね。そうすると、治療すると、やっぱり生理を止めてしまったり、あと抗がん剤で、卵巣機能がもしかしたら戻らなくなるって人も出てくると思うんですね。そうすると、本当は子どもを持ちたいのに、自分の命を助けるがために子どもを持てなくなるっていう人も出てくると思うんですね。あとやっぱり出産も、何歳でもできるっていうわけじゃないので、あと育児のこともあると思うので、その治療に例えばホルモン療法だったら5年ぐらい大体最低で時間を要すると思うんですけれども、その期間、妊娠ができなくなったりすると、やっぱりその人の人生の、設計図が全然変わってくると思うんですよね。そうするとやっぱり、すごい心の中で葛藤があると思うんですよね。自分は子どもを持ちたいのに治療をしないといけない。で、もし治療をやめて、自分のじゃあ命が保証されるかって言えば、まあ、もちろん、治療したから100%治るわけじゃないんですけども、その辺のバランスっていうのが難しいし…。

乳がんの語り

出産は無理かもしれないが、結婚はあると思いたい。必要以上に重たく考えないようにしている

出産については、ほぼ無理ではないかなというふうにちょっと思っています。まあ薬のこともありますし、そうですね、ホルモン療法というのは5年飲まなければいけないというふうなお話でしたから、5年間飲んでしまうと、ちょうどその閉経の時期にかかってしまう可能性の方が高いと思うんですね。なので、それが全部済んでからというようなことだと、もうまあ現実的にほぼ無理だろうという風に思っています。で、出産がない、まあ例えば結婚ですとかっていうことについては、全然それはあるかもしれないという風に、ちょっと思いたいというところもありますし。まあ、その辺のところについては、正直あまりこう重たく考えてしまわないように、必要以上に重たく考えないようにという風には思っています。

乳がんの語り

結婚や出産が難しいかもしれないというショックと、更年期障害が重なり、一時はうつ的になったが、同病者との交流で悩んでいるのは自分一人じゃないと癒された

1回目の手術からすると、ちょうど4年半が経ちますね。その間は、やっぱり不安とか、すごくありましたね。私はまだ結婚もしてませんし、まあ、結婚できるのかな?とか、子供生めるのかな?とか、そういった心配もあるし、やっぱりこう、病気をしてしまった自分に負い目があるので、なかなかこう、恋愛に関しても一歩踏み出せなかったりとか。そういったのがやっぱりあったりするんですけど。そういう不安とかいろんな悩みとかは、やっぱり同じ病気をした人たちとこう、交流する中で、すごく気持ちが、こう共有することで、私自身も癒やされるし、情報交換したりとかそういうことによって、「ああ、自分だけじゃないんだな」っていうふうに思えるようになりましたね。
あと、生理を止めるという、ホルモン療法。しかも5年間、生理を止めるっていうことを聞いたときに、その当時、私は37だったので、まあ、例えば結婚して、子供を生む、何か微妙な年齢だったんですよ。だから、「5年間っていうことは、終わったら42歳。そうしたら、私はもう結婚もできないし、子供も生めないのか」っていう思いがすごくあったんです。それはすごくやっぱ大きかったかなって思いますね。
で、「生理を止めるので、閉経と同じ状況になるから、まあ、更年期障害が出たりとか、ちょっとこう、気持ちが沈んだりとかね、そういった副作用もあるよ」っていうふうに聞いたので、またその辺は、そういった更年期障害の副作用なのか、そういう何かそういうショックがあったのか。確かにちょっと、こう気持ちがかなり沈み込んだ時期はありましたね。「ああ、ちょっと、私、うつっぽいな」っていう感じ。それはもう時期を過ぎたら、普通に戻りましたけど。
何て言うんですかね。こう生理が止まったときのショックって、やっぱありましたね(笑)。「あ、本当に止まったんだ」っていう感じだった。で、そのうち、それが何か慣れてくると、何かもうないのが普通の状態みたいって落ち着きましたけどね(笑)、うん。

乳がんの語り

将来は結婚して子どもを産みたいと思っているが、妊娠・出産については治療の影響があるかもしれないと心配している

将来に対しては、やっぱ若いので結婚して子どもを産めたらいいなっていう気持ちはすごくあるんですけれど、治療で子宮(卵巣)の機能を低下させてしまったので、ちょっと生理とかも不順なので、妊娠がやっぱりできるのかなあとか、あと、先生からもやっぱ薬の影響がどのくらい子宮とか、卵巣に影響しているのかはちょっと目で見て分からないから、妊娠したとしても、その流産とか、あと死産だったりとか、あとは障害を持った子どもが生まれてきたりとかっていう、こう順調にこう妊娠、出産っていかない可能性があるから*1、やっぱりその辺は、その時期になったら、やっぱり悩む問題になるだろうっていうことは治療の前から、聞いていました。

*1 乳がんの治療終了後、卵巣機能が保たれていれば、妊娠・出産は可能であり、出産に関連する問題や胎児の異常が増えるという明らかなデータはありません。ただし、どのような薬剤でも妊娠前期に使用すると胎児に影響を与える可能性があるため、治療中の妊娠は避けた方がよいとされています。
(日本乳癌学会編「患者さんのための乳癌診療ガイドライン2019年版」)

乳がんの語り

3歳の娘にはママはおっぱいの病気と言っている。一緒に病院にも連れていき、検査される姿を見ているので、ある程度の年齢になったら、娘も抵抗なく検診に行けるといい

――今、お子さん、3歳です?

はい。

――まあまだちょっと分からないかもしれないんですけど、ご病気のこととかをお子さんに話したりということはどうですか。

まあ乳がんといっても、まだピンと来る年齢ではないので、一応「おっぱいの病気」とは言っているんですね。で、やっぱりこうちょっとこの押されたりすると痛かったりするので。で、子どもってこう手加減もなしにワーッと飛び付いてきたり、乗っかってきたりするので、やっぱり痛いので、それをやられると。だから、こう「ママは左側のおっぱいは病気だ、病気だから、あまりこう叩いたりとか、ぎゅって押したりとかしないでね」ということは伝えてあって。まあその辺の、まあなんかのおっぱいの病気なんだなっていうのは、分かってはいます。うん。
だけど、も、もうちょっとこう大きくなってきて、まあがんっていう、その病気のちゃんと理解もできるようになったら、ちゃんとまあ伝えようとは思いますし、ある程度の年齢になったら一緒に、あの、検診にも、もう連れていこうと思ってますし。今も、あの、検診ですとか、その病院に一緒に連れていったりとかもして、こうエコーをここをこう、やられてというのも見たりしているので、まあ小さいうちから、そういうのをまあ普通に見ておけば、まあ自分がある程度そういう検診を受ける年齢になっても、こう違和感なく、抵抗なく、あ、お母さんもやっていたなっていうので、まあやってくれるんじゃないかなと思って、あえて、まあ隠したりはしないでおこうかなとは思います。

乳がんの語り

治療中、夫は長期海外出張中だった。たまに電話しても、気持ちがすれ違って悔しい思いもしたが、心配されすぎるより、かえってよかったのだと思う

――ご主人さまは、何かおっしゃってました? その、まあ病気になられ、なられたときにもう海外に?

えーと、なったときは、まだ(日本に)いたんですね。で、手術のときも、ちょうどまあ長くそういう事情があったので休みをもらえたので、ずっとこっちの実家のほうに来てくれて、もう毎日病院にも来てくれてたんですけれど、その手術が終わって4月からいなくなって、うん。

――その間、まああの、ずっと付いていられるときもあれば、半年の間、お一人にね、なってしまって。そのご主人に何かお気持ちの面で、あの、振り返ってみられてでもおっしゃったりしてました?

あのー、主人は海外に行って(笑)、あの…ちょっと私の病気のこと忘れているんじゃないのっていう、まあ私もその連絡を取ったときにすごく元気…だったりっていうのもあるし、多分主人も私が実家にいたので安心してたんだと思うんですけれど、たまに電話がつながって電話したときも、次の日、私が、「抗がん剤なんだよ」って言って、本当、私としては「頑張ってね」とか、なん、なんかそういう言葉を掛けてほしいんですけれど、「明日はどこどこに行くんだ」とか、こう休みで(笑)。なんかそういう話ばっかりされて、「じゃあね!」みたいな、そういう、「あー、あの、すみません。明日から抗がん剤なんですけど」って悔しくて泣いたりもしたんですけれど。でも、逆に、なんか主人もこう普通に、今までと変わらず接してくれたので、私としてはよかったんですね。それで、「ちょっと心配だから、その海外に行くのもやめる」とか…が、なんか向こうからも、「もう、心配だけど、ど、どうなの、どうなの?」みたいに、こういろいろ聞かれるよりは、なんかそういうほうが、逆によかったです。

乳がんの語り

髪の毛が抜けたときはショックで、肥満も加わり、周囲の目が気になった。抜けた後はすっきりして、夏は涼しく、家族の前では普通に坊主姿で楽だった

だんだんこう髪の毛も抜けてきたときに、やっぱりもう本当にショックで、もうお風呂で毎日こう抜けていく髪を見ながら、やっぱり泣いていたんですけれど、もうある程度抜けちゃうと…もう、いいやっていう感じで美容院に行ってもう全部、もうすっぱりきれいにしてもらって、もうその中途半端なのがすごく、なんか余計に嫌で、もうだったら早く失くしてしまえという感じで全部やってもらって。で、もうウィッグも用意していたので、ウィッグもちょっと切ってもらって自分の好きなようにやってもらって、ウィッグ生活を始めたんですけれど、真夏だったので、暑くて、もう変なところから汗、普通の本当の髪の毛だったらかかないだろうなっていう場所から汗がなんかこの辺からなんか不自然な汗が流れてきたりとか(笑)。
で、やっぱり風の強い日には、気になって、飛んでかないかなって気になったりだとか、そんな人の、人は大して見てないんだけれど、こう人の目が気になって、「あら、あの人かつらだわ」みたいに思われてないかとか。やっぱりこの実家、地元なので、知っている人も多いし。私も、実家にいたとき仕事していたのも、地元だったので、その職場で知っている人とも何回かこう顔を合わせることもあったので、「なんか髪の毛、変」ってこう思われるんじゃないかとか、そういうのがあってだんだん外に出るのがちょっと嫌になってきて。で、まあ引きこもりではないですけれど、家にちょっとこもってしまったりっていうのもあって。でも、脱毛したことは、なんかもうなくなっちゃったらなくなっちゃったで、すごくすっきりして。で、しかも真夏でその坊主頭がすごく気持ちが良くて、何て男の人はうらやましい髪形をしているんだろうと思って、思いながら。
で、その家族も、その脱毛したときに、まあやっぱり心配して気になってはいたんでしょうけど、私が坊主頭でうろうろしていても、もう自然に本当に振る舞ってくれて。その乳がん、まあ全体なんですけれど、なんかこう病人っぽく接するんじゃなくて、本当に普通に、接してくれたので、もうそれが私にとっては逆に楽で、もう普通に坊主頭でうろうろしていようが、もう病人だからって、ずっと寝て、寝たきりじゃなくって、普通に掃除も洗濯とかも手伝ったりとか、ご飯の用意もしてたので、それ、そういうのがあったので、まあ抗がん剤で、いろいろ副作用でつらいことはあったけれど、まあ乗り切れたのはもうそういうのが、あったかなっていうのはあります。