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診断時:35歳
インタビュー時:46歳(2009年5月)

四国地方在住。1996年9月、授乳中に右乳がんが見つかり、右乳房切除術を受ける。3年後にリンパ節に転移したため、リンパ節切除術を受け、その3年後に肝臓に転移したが、抗がん剤治療、ホルモン療法を続けてきたことで現在、病状は安定している。 診断時、夫、子ども2人、姑の5人暮らし。現在も教員として勤務を続けている。

語りの内容

最近、だいぶこう落ち着いてきたんですけど、2人が小学校へ通ってる頃は、早く大人になって、早く自分で自分のことができるようになってって、すごく焦ってました。まあ、まがりなりにもお兄ちゃんが高校にも行き、娘も中学生になり、本当にこの1月に、あの、骨折のほうで私が1ヶ月半入院したときに、娘が夕飯、全部作ってくれて、して、ああ、もうこれで(笑)。ほうなったらこう反対に、もうそんな焦りがなくなったっていうか。うーん…。反対にこう、家族の3人の後を私が一生懸命追い掛けているような、そんな気持ちになってきて、まあ、「ちょっと待って、あのー、立ち止まって私を待って」っていうような、そんな気持ちになってきました。
で、娘に、あのー、友達の、私の友達が自分の娘さんに「子ども、たくさん生みよ。お母さんが育てるからね」って言いよん見て、私が聞いて、ああ、ほうやって言いたいなって、娘に言いたいなって思ったんです。でも、同じようにその言葉が娘に言えるようになるまでにやはり時間かかりました。ほんで、娘は、何歳ぐらいのときに…、言いたいなって思いだしてから、1~2年はかかったと思うんです。で、やっと言えたら、「子どもは自分で育てるけん」っていう言葉だったので(笑)。うーん何か…、別の意味で複雑だったんですけど。あのー、たくましい娘にほっとした面っていうんかな。さびしさは感じずに…。そのまま、「ほんなこと言わんと、お母さんに抱っこさせてよ。あのー、育てさせてよ」っていうことが繰り返し言えたので…。で、「ほれまで頑張って生きなくっちゃね」とか、あのー、言葉にはしてないんですけど。

私は: です。

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