投稿者「taguchi」のアーカイブ

慢性の痛みの語り

母が痛みを訴え始めた頃、自分は国内にいなかったが、一時帰国した時に台所に椅子が置いてあるのを見て「いよいよ痛みがひどくなったんだな」と思った

母が、えーと、(外陰部の)痛みを感じ始めたのが、2004年ぐらいだということを聞いています。で、あの、最初のうちは、もちろんそんなに痛みが、ひどいというわけではなくて、あの、こう、トイレに行くときにちょっとこう、痛みを感じたりとか、だんだん、こうちょっと痛いなということから始まったようなんです。で、まあそれが、良くなるかと思っていたら、全然良くならなくて、今度あの、トイレの痛みだけではなくて、こう歩くのも痛くなってきたということを、言い始めました。

それで、えーと、そうですね、私は当時は、アメリカと日本を行き来しておりまして、こう毎年大体5月から8月の間に日本にいることが多かったのですが、2007年の5月ごろですね、まあ実家に戻ってまいりましたところ、台所を見ましたら、イスが置いてありまして、私はそれを見て、非常に、「ああ、いよいよ痛みがひどくなったんだな」ということを感じました。

つまり、立っていられないぐらいに痛みがひどくなってしまいまして、台所の作業をするときに、まあずっと立っているのがつらいものですから、こうイスに座って極力、まああの、野菜を切ったりするときなどもイスに座って、こう痛みを感じないようにしていたのだと思います。えーと、ですので、まあ大体、まあ2004年ぐらいから痛みが始まったのですが、徐々にこう痛みがひどくなってまいりましたので、外出も厳しい状況になってきました。

慢性の痛みの語り

リウマチ性多発筋痛症と診断されていた母が、ある日深夜にトイレに起きた時手足が動かせなくなり、「歩けなくなるー!」と叫んだので、自分もびっくりして飛び起きた

まあ最初は腰痛があって、まあ自分の趣味の合唱活動もしていたので、演奏会の準備などでかなり疲れていたので、そちらかなっていうふうには思ってたんですが。痛みがどんどん、演奏会、終わっても強くなっていって。それで…これはおかしいということで、えっと、私の姉の知ってるお医者さんのところに行きました。で、神経内科のクリニックに最初行きました。で、そこで調べてもらって、リウマチ性…多発筋痛症…ていう名前だったと思うんですが(笑)。筋痛症の、まあ幾つかある中の1つみたいですね。その痛みだっていうことを言われました。

それで、えーと、プレドニンを、あの、処方されまして、それで内服し始めたんですが、すぐ良くなるわけでもなく…、そこに通って薬を飲んでるけど、痛み自体はそんなに、あの、楽にならないっていうことで。まあプレドニン以外にもロキソニンという痛み止めの薬ももらっていたんですが、うまく痛みのコントロールできなかったみたいで。

それで、えーと、そうですね、あの、年寄りなもんですから…もうそのときで既に80ぐらいでしたので、夜中よくトイレに起きるんですけど、トイレに起きたときに自分の部屋からトイレまで歩けない、痛くて。筋肉が痛くて動かせないっていう、そういう日がありましたんで。私もちょっと寝てたんですけども、母が叫びまして。滅多にそういうことない人なんですけども、「歩けなくなるー!」って、叫び声を上げたんですね。私、びっくりして飛び起きまして、たぶん夜中の1時か1時半ぐらいだったと思います。それで、あの、痛くて、筋肉が痛くて。足…手も足も動かせないんだっていうことで。だけど、何とか少しずつ四つん這いになってトイレに行ったという状況でした。

慢性の痛みの語り

元々歌うこと踊ることは好きだったが、人前で歌っているときに痛みを感じなかったことに気づいた

もともと、幼いころより私は歌うこととか、人前に出て、何かこう、ダンスをしたりパフォーマンスをするのが好きな子どもでしたんで、それを思い出したんですね。だったら、自分のできることをやってみようと思って、デイサービスにお電話させていただいて、歌わせてくださいと。そして、あの、デイサービスに始まり、病院内でのコンサートであったり、東北の大震災の復興コンサートや熊本地震のコンサート、そういうところにも、今、関わらせてもらって。そういうところでは自分の名前がプログラムに載るんですよ。やっぱりすごい喜ばしいことですよね。で、そういうところに思い切って勇気を出して出かけていったことで、プロのギターリストさんや、トロンボーンの奏者の方であったりお琴の演奏家の方とめぐり会えて、その方に伴奏していただいて、今ちょっと歌ったりとかさせていただいて、すごく光栄なことだと思っています。

―― どういうときが、痛みがこう取れたのに気づいたんですか。

そうですね。あの、人前に出て歌っているときに全く痛みがなかったんで、あ、これは私には合ってる。やっぱり歌うことが好きだったんだなって、あらためて思って。やっぱりもっとそういう出番がほしいと思ってます。

―― 歌っているときというのはあれですか、その、その最中に、はっと気づいたんですか。それとも終わってみて、あれ、今痛みがないっていうふうに。

そうです。歌い終わったときに、あれ、全然痛みがなかったと思ったんですね。で、誰かがピアノを弾いたときに、体が勝手に、動いてたんですね(笑)。で、「初めて来た人が、こんなに、踊れるのを見たことがない」って言われたときに、味をしめたんです(笑)しめしめと思いまして。で、勝手に体が動いて、で、これはたぶん私、幼いころにクラシックバレエを習って、あ、それが出たな、今、出たなと思いまして。歌うことももともと好きだったから、それをもう合わさると、ドカンと行くんですわ(笑)。で、これは私には、何よりも、もう代えがたい、素晴らしいものだと思って。だから、何かに夢中になるということはいいことだなと。どんな病気の方にとってもそうだと思うんですが、夢中になれること、集中できること、それがあるっていうことはとてもいいことだと本当に思います。

慢性の痛みの語り

痛み止めを使いながら体を動かすようにし、新しく始めた山登りの趣味に没頭している

それも、まあ折り合いをつけつつ、だんだん、まあ痛み止めを使いつつ、体を動かしてるんですけど、そのときにまあ、新しくこう、事故とか病気になる前にやってなかった、山登りという趣味を始めて、で、もう本当に痛み止めなしにはとか、テーピングで固定してとか、コルセットなしには歩けないっていう感じだったんですけど、それでも本当に半分冗談で、「私、満身創痍で山登ってるの」って言ってたんですけど、まあそれくらい趣味も、まあ痛みと折り合いをつけながら趣味に没頭していって…。

慢性の痛みの語り

物を作ったり、絵をかいたり一生懸命に集中してできることを見つけて過ごすようにしている

仕事なんかも、まあ作詞の仕事だったんで、ワープロを抱えて、えー、病院で行っていたということも随分ありました。で、仕事先の人も非常に理解が多くて、あの、大きかったので、病気で苦しみながらも一生懸命仕事をしてくれるっていうことで、あの、お仕事もたくさんいただいて。子どものアニメの歌を作ったり、いろいろCMの作品を作ったり、いろんなことができたので貴重な思い出です。

また何か物を作れるっていう集中するっていうことで、痛みや目まいとうまくつき合えたというのが、私の、あの、一番、今も、あの、続けてる方法というか、治療法というか。すごく集中していると、やっぱり痛みやつらい症状も忘れられる時間が増えるので、今もう作詞は続けてないですが、絵を描いたりとか、やっぱり一生懸命になれることをなるべく自分で見つけて過ごすようにしてます。

慢性の痛みの語り

そのときの気分にあわせた音楽に集中していると痛みも和らぎ、痛くても眠ることができる

曲目は、あの、範囲が広いので、Jポップとかクラシックとか、あと…はもう現代音楽というので坂本龍一さんの曲とか。もうありとあらゆる曲が好きなので、その中でそのときの気分でこの曲にしようっていうので聞きました。

―― 痛みが随分あるときにそういうのを聞くと、全くなくなるんですか。

そこに集中してしまえば、もう痛みは減ります。

―― 多少はまだ残ってるけど?

もう、だから、その、ちょっとでも、あ、痛いんだっていうふうに思ってしまうともう痛くなってしまうので、もう痛くても、だんだん、だんだん曲に集中していくと、その曲のほうに、頭、脳がそっちのほうばっかり集中しちゃって、それで痛みっていうのはもうなくなっていきます。

―― 聞いてる間じゅう、ずっとその状況は変わらない?

はい、そうです。

―― 曲目が、例えば終わった後、どれぐらいその効果っていうのは続くんですか。

それはそのときによって。後、その後どういうことで動いてしまうかによっても違ってくるので、えー、それは一概にはどれだけっていうことは言えません。

―― 例えば、寝る前に音楽を聞きながら、そのまんま、こう眠りに入ってしまえば、ずっと?

はい、そうですね。だから、寝るときには、もうウォークマンでタイマーをかけて、30分かけただけでも、もうそれで痛くても寝れます。

慢性の痛みの語り

孫が生まれたことで成長を見届けたいと思うようになった。孫と接することで痛みから気を紛らわすことができている

あと、今もうすぐ60歳ですけど、主人に、「こんなに痛かったら、もう60ぐらいまでしか我慢できない」って言ってたんですけれども。去年、孫が生まれましたので、その孫が生まれたらすごいなんかもう欲張りになってしまって、成長を見届けたい。だから、孫と話したり、孫のところへ行ったり、何か世話してあげたりとか、そういうことでこう、痛みから気を、気を紛らわすというか、こう考えないようにしたりとかして。そういうことが割と自分を助けてくれていると思います。

―― 朝起きてから夜寝るまでの中で、24時間の中で、やっぱりいろんなあの、痛み以外に気を向ける方法が幾つかあるのかなと思うんですが、日常の生活の中で些細なことでもいいんですけど、何か使ってるものとかありますか。

使ってるもの。だから、家にいるとケータイで、今はテレビ電話のように孫から電話がかかってきて、顔を見てしゃべってるとか、そういうことも、たぶんすごい自分の元気になってると思うんですね。「ばあば」とか言ってもらえたらうれしいですし(笑)、なんかその子の変化を見てるとか、そうですね、はい、そういうことだと思います。

慢性の痛みの語り

好きな作家の本を繰り返して読んでいると幸せを感じる。読書や音楽鑑賞、散歩で気分転換をはかっている

私、本が好きなので、好きな作家が1人いるんですけれども、その人の本をひっくり返し、ひっくり返し。あんまり出してはいないですよね。20冊ぐらいは買ったんですけども、あと絶版になったりのもあって。南木佳士さんって知りませんかね。長野の、昔共産党員だった若月俊一先生なんか、誰だかが建てた病院なんですけど、大きな病院だそうですけど。そこで医者をしながら作家をしてるって、芥川賞を取った先生なんですけど。その先生の書かれた本が、私、エッセイでも小説でも本当に好きなんですよね。で、ほとんどの本は捨てたんですけれども、その先生のは捨てられなくて、本当に取っかえ引っかえ何回も同じ本を読んでいるんですけど。そういうときはやっぱり幸せ感じて、まぎらわすことができるっていうか、紛れますね。

だから、本を読んだり、あと音楽聞いたり、ちょっと図書館行ったり、その辺歩いたり、近くの公園行ったり、桜あったら桜見に行ったりとかね。割と私、一人っ子だったものですから、1人で行動するっていうのは苦にならないんですよね。だから、寂しくて人を頼ってどうするとかいうことはないんですね。だから、それは、まあ救われたなと思うんですけれどもね。1人で自分の気分を転換させるとかっていうことをまあ覚えてるっていうか。それで、やっぱり読書が一番かなと思ったり。疲れると、目が疲れるとちょこちょこ歩いたりとか、で、もう痛くてしようがないときは、やっぱり寝てるしかないですよね。

慢性の痛みの語り

以前から好きだった英語のゲームや川柳を続けることで前向きに楽しみをみつけようとしている

英語の単語のゲームで、麻雀に似たゲームなんですけれど、それがあの、病気の前も大好きで、通っていたんですね。あの、それぞれのいろんな地域に例会があって、クラブがあって。病気治ったら、もうまずそこに行きたいと思って。ただ、あの、退院して半年間は外に出ちゃいけないっていうふうに言われましたから、半年たったら、うーん、何とか行きだして。で、それが今も、あの、月に6回はあの、あちこちに行っていて。なんかそういう、40代のときに習った英語がこういう形で自分の、何ていうか、リハビリにもなっているし、楽しみにもなっているし。それから、あの、その1人の暇な時間も、ああ、私は英語を例えばテレビの映画1つ見るんでも、「ああ、これも英語の勉強になるかな」とか、そういうのでとにかく好きなことがあったということが、あの、すごく大きな力になっていると思っています。もう本当にそのゲームの会は大好きなんですよね(笑)。

それと、あとあの、川柳とか、そんなのも1年半ぐらい、2年近く前からやり出して、それもやっぱり楽しいなと思って。時々、新聞に投稿して、本当に忘れたころに載るんですけれど、それもやっぱり楽しみだし。さっきお話ししました縫い物とか、やっぱりなんか自分が合っているなとか、楽しいものがあるっていうことが、痛みは変わらなくても、あの、気分転換になるんですよね。それと、あの、自分が前向きに生きているかなっていう、楽しみ見つけて、ていう気持ちに、あらためては考えてないんですけれど、たぶんそういう潜在的に何か楽しいことを見つけようというのが、あんまり後ろ向きにならないようなものにつながっているかなと思っています。

慢性の痛みの語り

今は一番の楽しみがテレビ。好きなタレントが出る番組や映画公開を楽しみに生きている面がある

うーん。今、たぶん、もう本当に動けないので、一番の楽しみがテレビですね。テレビが一番楽しいし。結構ネットとかやっちゃうと病気のこととかばっかり調べちゃって、おかしくなるんですけど。テレビとか、まあその映画とかだと、その時間、忘れて、まあ痛みとか、だるさとかはあるんですけど、一応その病気とかのことを考えないで、ひたすら楽しめたりとか、その自分のいる世界じゃないところに身を置けるので、今、楽しみ、唯一の楽しみがテレビだったりとかしますね。

すごく、でもなんかすごくくだらないんですけど、とりあえずこう、「ああ」って、「今日、木曜、木曜日は嵐の番組があるから、まあそれまでは生きていられるな」とか。それに土曜日とか、ありがたいことに好きなタレントさんが割とたくさんテレビに出てくれてるおかげで、「あ、じゃあ、今日、今日、死なないのは、明日テレビ見れるから」っていうくらいだったりとか。

変な話、「ああ、私、もう明日死ぬのかな」とか「あと何年生きられるんだろう」って思うぐらい、具合悪い日とかって、しょっちゅうなんですけど。なんか、「ああー」って、「この俳優さんの映画が、あ、10月にあるんだ。ここまでは生きてられるかな」とか。何かもうすごく、そういうくだらなく思えるようなことしか、あの、目的っていうか、その、目印になるものがなくて。ただ、もうそれでもいいやと思って。

前はそういうこととかもすごい恥ずかしいって思ってたけども。もっと、こう、夢持ってっていうか、仕事とかいろいろ家庭とか、いろいろこう、目標とかちゃんと持って生きるのが正しいと思ってましたけど。そういうのとかも目的持てないんだったら別にいいやって、そういうくだらないようなことでもいいし、それで現実生き長らえてるから、まあいいかなと思うし。全くそういうタレントさんとかは、全く関わり合える人間ではないんですけど、でも何かそういうの、今はもうそういうのしか思い浮かばないし。それでもいいや、とか思いながら生きてますし。そういう逆に若いときとか仕事してたときは、そういうちっちゃい楽しみとかの発想も浮かばなかったから、いいのかなと思っているんです。