インタビュー時:45歳(2014年12月)、疼痛期間:約22年、診断名:腰椎椎間板ヘルニア

北海道在住の女性。看護師として働いているとき、重い酸素ボンベを運搬したことをきっかけに以前からあった腰痛が悪化。2回の髄核摘出手術を受け、その後も医療機関を転々とした。入院中に参加した患者会で、「痛いから痛い」と痛みにとらわれるのではなく、考え方の方向転換をするきっかけを得た。現在、信頼のできる医師との出会いを機に、鎮痛剤の過剰服用もやめ自己調整できるようになり、休職中に整体師の資格を得て就業したが、復職と退職を繰り返し10年ぶりに夜勤のある看護師に復職している。

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プロフィール詳細

北海道で看護師として働いていた香山さん(仮名)は、仕事がら23歳から24歳の頃から患者の移動などで腰に違和感があった。勤務先にエレベータ設備がなかったため、自分で上階に7,000Lの酸素ボンベ(空状態で約53kg、満タンで約63)を(階段を使用し4~5人で)運び上げた際に、腰に「クッ、コキッ」という感覚があり、そのあと、腰痛が始まった。

通院で湿布や鎮痛剤を処方されていたが、29歳(髄核摘出術)、と30歳(髄核摘出術、横突起切除術)に2回の手術を受けたが、痛みは良くならずその後も医療機関を転々とした。入院して牽引治療をしていたが、痛みで眠れなくなり、鎮痛剤や睡眠剤をため込み、1回の使用量を自己判断で過剰に使っていた。「リスクを背負ってもため飲みをして少しでも寝たい」と、率直に主治医に伝えたところ、腰痛で同じ手術を受けたというその医師に「わかった」と言ってもらえたことで信頼関係ができ、現在もこの医師の診療を受けている。

手術後も、自分の思う通りに体が動かせず、リハビリに対して周囲から頑張れと言われるのが、「すごい重荷」であった。自分は我慢して頑張ってやっているのに、これ以上何を努力して、何を頑張るのか、「痛くないあなたにはわからない」という気持ちがあった。医療者側にも「頑張れ」の意味を考えてもらいたい。また、大学病院で「次はいつ予約を入れますか」と聞かれることが一番困った。「痛みがいつ起こるかわかっていたら人生苦労しない」と思い、予約はせず、急な痛みに対応できるように大学病院以外にもペインクリニック病院を数か所受診していた。

大学病院入院中に、ベテラン看護師のすすめで患者会に3か月間、毎週1回参加した。そこでは、トラのカードを見てトラと思うのではなく、ライオンを思い浮かべるといった「考え方の方向転換」の訓練ができたことで、痛いから痛いのではなく、痛みにとらわれる考えを切り替えるきっかけを得た。患者会主催の小旅行に参加し、「痛くても旅行に行ける」と思うことができ、少しずつ痛いという執着から解放されていった。

現在、痛みへの対処としては、過去に体験した最高の痛みのピークが来ないように、あるレベルに来たら、早め早めに塗り薬や、3種類の非オピオイド系鎮痛剤の飲み薬など(リリカ、セレコックス、トラムセットほか)を自分の状態に合わせて使うようにしている。四十肩もあるので朝の雪かきでは、極力痛い側は使わないように工夫している。職場では、患者の移動などで中腰になることも多いが、職場仲間にも腰痛がある人が多いので、周りにアピールして助け合いながら働けている。

治療費はペインクリニックや(年間5万円程度)、ほかマッサージ代(1回3,000円、年間約5万円)の支出があった。看護師が出来なくなってからは緊急雇用制度を活用して、整体師の資格を取り、数年間は収入を得ていた。

整体師の仕事を通して、体の中心バランスのことなど東洋医学の知識を持つことができ、完全に動けなくなる前に、整体師仲間や整体師の資格を取った母親にタイムリーにマッサージをしてもらうことで、以前に比べると痛みからは遠ざかっている。

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インタビュー06:体験談一覧