インタビュー時:47歳(2017年6月)、疼痛期間:9年、診断名:複合性局所疼痛症候群(complex regional pain syndrome:CRPS)I型
中国地方在住。4児の母。2008年2月に階段を踏み外して左足首を捻挫。腫れが引いた後も痛みが取れず、次第に悪化して歩けなくなり、反射性交感神経性ジストロフィー(現在はCRPS I型)と診断される。大学病院のペインクリニックを紹介され、認知神経リハビリテーションを受けて、4年近くかかって日常生活が送れるまでに回復。その体験記を担当の理学療法士との共著として出版。今も完全に痛みから解放されることはないが、痛みを自分の人生の一部として受け入れられるようになってきた。

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プロフィール詳細

三谷さん(実名)は元養護教諭で、4人の子どもの母である。転勤族の夫についていく形で養護教諭の職をいったん辞したが、いずれは復帰したいと思っていた。一番下の子どもがまもなく小学校に上がり、子育ての一番大変な時期が終わるという頃に、外出先で階段を踏み外し、一人では歩けないほどのひどい捻挫をした。

近所の整形で左足関節外側の靭帯不全断裂と診断され、しっかり装具で固定して数週間を過ごしたが、腫れや内出血が引いた後も痛みが取れず、次第に痺れるような刺すような変な痛みに変わった。ある日、左ひざから下が紫色に変わったので驚いてレントゲンを撮ってもらったところ、左足の骨が受傷直後より黒く写っており、主治医は「反射性交感神経性ジストロフィーという病気の可能性があります」と言った。大学病院から来ていた医師にも「たぶんそうですね。今ではCRPS I型と呼ぶんですよ」と言われ、リハビリが始まった。

とても痛いリハビリを歯を食いしばって頑張ったが、効果が感じられなかったため、ネットで得た情報から神経ブロックをやってみたいと申し出て、大学病院の麻酔科、整形外科とリハビリテーション部の3科に紹介してもらった。数週間後に麻酔科に入院して持続硬膜外ブロックを受けた。腰の管から麻酔液が流れ込むと、冷え切っていた足に血の気が戻り、むくみがスーッと引いていくのがわかったが、麻酔が効いているにもかかわらず、足首の痛みだけは全く取れず、何で痛いのかがわからなくて、とても怖くなった。

当時の症状は、左足をつくと剣山が刺さるような痛みがあって、歩くことができず、松葉杖を使うか、車椅子での移動になっていた。リハビリテーションは、足を動かすのではなく、頭の中で足をイメージするようなトレーニングを中心に受けることになった。「目をつぶって左足の指先がどこにあるかわかりますか?」と聞かれて、左膝の下から足先までがどこにあるのかわからないことに愕然とした。左右の足に同じサイズのスポンジを当てられても、目をつぶっていると左右で全く大きさが違って感じられた。この痛みは、足の問題だけではない、脳の問題でもある、通常の痛みとは全く異質のものなのだと感じ、神経ブロックもロキソニンも効かないことが腑に落ちた。

担当の理学療法士が用いたのは「認知神経リハビリテーション」と呼ばれる方法で、捻挫後の装具による長期固定により、脳の中のからだを感じ取るシステムに生じたエラーを、再度学習しなおすことで修正するものだった。例えば、右足で感じている感覚を左足に移して覚えさせるようにしたり、いろんな角度から撮影された右足と左足の写真を見て、それが左右どちらかを判別したり、といった脳のリハビリを行う。単純な触覚のずれだけではなく、左足を動かすときの筋肉の動きの感覚も分からなくなっていたので、それらを学習することで少しずつ歩けるようになっていった。

回復は決して順調ではなく一進一退を繰り返した。一時は痛みのあまり、足を切り落として義足にしてほしいとまで思ったが、理学療法士に「左足の気持ちってどんなでしょうね?」と言われたとき、左足を邪魔者にする気持ちを抱き続けている限り、いつまでも自分の体の一部として戻ってこないということに気づいた。それが一つの転機となり、3年ほどで一応日常生活が送れるまでになったところで、いったんリハビリテーションを終了した。ところが5カ月ほどで再度捻挫をして振り出しに戻ってしまい、ものすごく落ち込んだ。しかし、再度リハビリに挑戦すると最初の時には3年近くかかったところが、2カ月程度でよい状態に戻すことができた。2012年5月にリハビリテーションを卒業し、翌年そこまでの体験を担当の理学療法士とまとめた共著『ペイン・リハビリテーションを生きて』を出版した。

それから4年経って、現在はほぼフルタイムで医療事務作業補助の仕事に就けるくらいに回復している。とはいえ、今でも左足で爪先立ちしたり、階段を降りたりするのが苦手であり、薬をコンスタントに服用していても、無理をすると強い痛みが出ることがある。一度は以前のような仕事に戻りたいと思い、1年だけ幼稚園に勤めたことがあったが、かがんでの作業が難しく、とっさに足が動かなくて道路に飛び出した子どもを掴まえれられないということも経験し、子ども相手の仕事は諦めた。

今では痛みを自分の人生の中の一つのエピソードとして受け入れられるようになっていると思う一方で、リハビリを卒業してから知り合った人には痛みや病気のことをなかなか話せない。2009年に甲状腺がんが見つかって手術をしたが、がんのことは人に話せても、慢性痛で麻酔科にかかっていることを話すことができない。一度職場で、「三谷さんって痛い人だったの?」と言われたことがあり、それがとても嫌だった。痛みは実際には様々な要因があるのに、しばしば心理的な側面からのみ捉えられる。そのことがかえって痛みの全体像を見えにくくし、本人を追い詰めることもあることを医療者に気づいてほしいと思う。

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