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診断時:23歳
インタビュー時:55歳(2018年9月)
追加インタビュー時:57歳(2020年9月17日)
近畿地方在住の男性。妻と子ども三人。16歳で下痢、嘔吐などの症状が出たが、診断がついたのは23歳の時だった。その時は食事療法とステロイドで寛解し大阪で就職した。その後東京へ出てシステム関係の仕事をしていたが、病状が悪化したので、今は地元の兵庫に戻り仕事をしている。肛門部の手術を1回と小腸の手術は2回している。薬はサラゾピリンとステロイドだけで、あとはエレンタールと食事療法で現在は寛解を維持している。2019年5月にイレウスで入院したがその後は寛解を維持している。
語りの内容
学部を卒業したときはすごく苦労しました。だから、バブルで売り手市場だったんですけど、えーと、何次面接かでは。一応、病気で落とさないってどこも言う、言っているんですけど、えー、7社か8社ぐらいは、3次まで受かっているのが落ちてるんで。
だから、まあ、その、さっき、あの、変な話しましたけど、趣味何ですかっていう、ゲバ棒ですっていうのは、もう破れかぶれでしゃべってるのは確かなんですけど、何個も落とされてるんで、あの、そんなふうに言った記憶はありますけど、その意味では学部を出たときは。
―― その病気のことはどの段階で、もう最初から、あの、病気のことは開示されたんですか?
えーと、履歴書にはもちろん書いてないですね。あの、書いてないんですけど、その何次、1次をまあ、試験、ペーパーの試験を通ります。で、2次試験あります。で、大体何次試験までありますよって言われたときの、大体面接のときに、あの、いわゆる病気がありますという話はして、大概は普通に理解あるようには聴いてくれるんですけど(笑)、「総合的に判断して不合格です」っていう通知がくるんで、はい。
特に出版社は8次までは、もうほぼ採用って言われてたんで採用されるもんと思ってたんですけどね(笑)。そのときも、まあ、その面接の前ぐらいで病気のことは、お話はしてたんですけど。
―― その、ど、どういうような説明の仕方をされるんですか、そのクローン病ですっていうような言い方をされるんですか?
A:そうですね。クローン病でっていう話をしたと思います。
で、ご存じないで、あの、こういう症状があって、こういうふうに、で、まあ、そんな急に死ぬことはないです(笑)っていう話とか。
で、えーと、どうやったら食っていけるかっていうのを、どうやったら自分で飯が食っていけるかというのをすごく考えてた時期で、えーと、実際は学部出てから私、進学(笑)、したかったんですけど。
で、そこで、あのコンピューター技術者になった理由がそれで、えーと、元々、私、法学部、法律じゃなくて政治学なんですけど(笑)、法学部なんで、そのまま大学院には行きたかったんですけど大学院行っても飯が食えないというのと、えーと、病気がちやっていうので。
そこで私は「コンピューターを習ったら飯が食えるぞ」って言う先輩がいまして、当時MS-DOSしかなかったんですけど、そこから逆に専門学校に入って、実はキーボードは打ったことがないし(笑)、ないんですけど、それが、それが23か。本来卒業する年齢なんですけど(笑)、まだ学生だったんで、23か24ぐらいのときに、まあ、コンピューターを覚えて、で、その以後はずっとコンピューターの仕事をしている状態ですね。
インタビュー35
- 診断を受けた時はもう一人で暮らしていたので、両親はそれほど病気にかかわっていなかった。当時はもう少し心配してくれてもいいと思った
- 病気が友人関係に影響を与えたのは間違いない。けれど、結婚し子どもにも恵まれ、良いか悪いかと問われれば、良い影響だと思う
- 会社にとっては計画的に休まれるのは問題ないので、自分から会社に対して配慮してほしいことなどは積極的に言ったほうがいい
- 大学を卒業した時病気を開示して出版社を何社か受けたがどこも受からなかった。その後コンピューターの勉強をしてその業界に入ったが、そこでは病気は全く関係なかった(途中から音声のみ)
- 子どもを作るときはサラゾピリンの服薬は中断していた。子どもが生まれるまでは特に悪化しなかったが子どもが生まれてから夜泣きなどで睡眠が妨げられて体調が悪化することがあった
- 都会の病院に通院していたが、コロナになってからそこには行かずに、主治医の勧めもありウェブと電話で対応している。その代り近所の病院で定期的に血液検査をしてもらっている
- 仕事の環境や内容が大きく変わった。働き方改革は、平時はかけ声だけで進まないが、コロナによっていろんな働き方を模索せざるを得なくなった。基礎疾患のある人には逆にチャンスかもしれない