市の検診を毎年受けていたんですが…ちょうどその前立腺の試験(検査)もやるよという話があったので、それを受けてみたんです。そうしたらば、ちょうどね、指数があるんですが、4というのはスレスレラインなんですかね、正常と異常の。というのが出たんで、すぐこれは専門病院へ行ったほうがいいということになって。
で、大学病院に行って検査を受けて「これはしばらく観察しよう」ということだったので。それから定期的に通って、血液検査をやりながら…。指数がね、4で始まったのが、だんだんだんだん、こう上がってくるんですよ、指数が。で、4から始まって5、6、7までいったかな。それで「これは先生おかしいんじゃあねえけ?」って言ったわけです。で「がんの検査やったほうがいいんじゃねえかな」って言ったら、そうだなって頷いてくれてね。じゃ、やってみようかっていうんで、がんの検査を受けたんです。そして結果がね、やっぱりがんだというわけなんですよ。
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グレーゾーンと言うから、本当にグレーゾーンなんだと思ってね、安心してたっていうかね、気にしてなかったんですよね。そう思ってたんですけどね。そしたら、やっぱりグレーゾーン…4というのはかなりクリティカルなポイントだったということで。がんセンターの試験のペーパーがあるんですけどね、それに4.0(ヨンポツゼロ)というのがチェックポイントになっているんですね。だから4以上というのはやはり、手当てを要するという…グレーだけど、まあやったほうがいいよという状況なんじゃないでしょうかね。僕は後でそう思いましたけどね。だけど、医学的にグレーゾーンだっていうことは間違いないんでしょうね。
今から3年ぐらい前ですかね。当時、一般の健康診断のときに、オプションで前立腺がんの腫瘍マーカーの検査をやるっていうことが、ちょこちょことできるようになりましたですね。安いオプション料金で。で、それに一応乗っかって8月ごろ、検査を受けたんですよ。で、まあその結果が、グレーゾーンで。で、「精密検査を受けたほうがいいだろう」っていうふうに言われて、それでまあ、病院をそれから選び始めてということなんですが、自分自身で異常を感じるとか、もう全くありませんでしたね。もう毎日、元気に快適に生活してたんですよ。だから「腫瘍マーカーの数値がちょっと高いな」というふうに言われたときも、まあ、どうってことないだろうっていうぐらいの非常にこう軽い気持ちで受け止めて。それで病院を、それから探し始めたということですね。
で、それ以降、実はどんどんどんどん悪くなってってしまって、悪くなっていく過程であっちこっち実は行きました。大学病院もね、4つか5つ、実は回っているんです。で、症状がもっと重くなっていて、どういう症状が出たかというと、まずですね、そうなる前に、もう既に、その頃出てたと思うんですけど、シャワーを浴びたときに右足…シャワーを浴びた感覚が右足と左足に違うことに気が付きました、ある日。何かこっちがしびれているじゃないけど、こう生々しい、今まで感じていたのと違う感覚なんですね。何か右足がおかしい。で、シャワー(のときの違和感)。そういうことも実は例えば整形に行ったときに、大学病院ね、有名なA大学病院の整形に行きました。整形で有名なんですけども。
で、そのしびれは通勤時にですね、やがて電車に乗っていると、時々疼痛が。まあ実は私1時間半ぐらい電車かかっていたんですけども、ほとんど立ちっ放しですけど、疼痛が出てくることがありました。だんだんひどくなってきたんですね。もう最後っていうか、がんが発見される4月か5月ぐらいに1回ですね、あまりの痛みに耐えかねて、電車…吊り革で立ってても、時々もうだんだんひどくなってきて、我慢…痛みが来るなって、痛いなって思って我慢しながら、こうつかまっていますね。でもある日ね、もうとても、もう脂汗の状態で、もう我慢できない。で、もう会社へ、もうとてもこのまま乗っていられないと思ったので、駅でもう降りちゃって、もうその日は会社行けませんっていうことがありました。そういう状態になったけども、病院に行っても「分からない」っていうことなんですね。
約2年ぐらい前から少し体からメッセージが来ていました。ええ。体調が少しおかしいというふうに自分は感じていて、自分はずっとスポーツが好きで、いろんなスポーツをやっていましたし、片方で健康管理っていうことについては、自分なりにすごく意識は高くて、まあもちろん人間ドックは毎年受けてましたし。
でも、まあ何かむかついたりするんで、その合間を縫って胃カメラを何回か飲んだりとかということはあるんですけども、いずれも症状としては特に器質的にね、症状が出ているわけではなかったので、全部何もありませんということだったんですね。
もう今度疲労感がどうしても残るというようなことがありました。で、非常に夜、眠りが浅くなってきましたね、まず。眠りが浅くなってきて、まあ夜中に目が覚めてしまうというようなことがあったり、トイレが少し近くなったというのがありますね。まあ結果として、前立腺がんでしたから。前立腺肥大があったかどうかちょっと分かりませんけども、まあトイレが少し近くなりました。ただ、まあ加齢による、それは変化なのかな、みたいに。じゅうぶんな知識は持っていなかったので、まあ普通の人ですと、中高年になると男性はね、前立腺肥大になるとか、まあその程度の知識であって、じゃあ、実際に回数がどうなるかとかね、人と比べてなんて話はありませんので。まあ年とったらそうなるものだ、みたいな感覚で、前立腺のほうは全然自分としては疑ってなくて。
最初は全くね、その前立腺がんのことなんぞ頭になくて、2000年の秋ですね。ちょっと腰が重いかなっていうことを感じはじめまして。で、お風呂へ入ると楽になりますんで。ああ、これは腰だから、ちょっと休めばいいかなということで日曜日とかじっとして、また月曜日から仕事を始めるというそういうパターンで過ごしていましたけども。だんだん痛みが出てきまして。12月ごろにね、とにかく車に乗るのも大変だったんですよ。で、それで近くのお医者さんへ行って聞きましたら、まず「整形行かれたらどうですか」っていうことで、整形外科へ通いました。で、2ヶ月ほど通いまして、12月と1月ですね。で、MRIもそこの整形にはありましたんで、2度ほど撮りまして。それでも、痛みが引かなかったんですよ。そのうちに、もう、何ともならない痛みがきまして。で、町医者に相談しましたけど。総合病院へ1度行ってみるかということで。総合病院へ行きましたね。で、そこでも、いわゆる整形の受診をしまして。で、MRIの予約をとって、痛み止めをいただいて帰りました。それから2週間ぐらい経って、その予約の日に…日が来ましたんで、総合病院に行きました。そうしたら「即入院してください」ということだったんですよ。もうとにかく痛みがありますんで、まず整形の先生に、痛みをとってほしいということで、お話をしましたけど、結局、泌尿器科へ診察していただくようにということで、泌尿器科へ移動しまして、入院中ですね。そこで、いわゆる、前立腺の細胞をとりまして、検査した結果、前立腺がんだということが、判明しましたね。
痛みはね、多分皆さんには、伝わらないと思いますけど。もう何とかしてほしいと思う。もうとにかく、この痛みだけはとってほしいと。まず、立って歩けないですよ。ええ、だから四つんばいで移動しますね。で、夜寝ていても痛いんですよ。もう、それはそれはつらい痛みで。で、おなかの周りも全て痛いんですよ。はい。で、とにかく、その痛みだけ、もう整形だと思っていますから、始めから、わたしは。そのために、針もいきましたね、ええ。灸、お灸もやっていただきましたし。整体も行きましたけど。基本的には全くよくならなくて。もうこれは駄目だと思って総合病院へ行きましたが。
若くしてですね、腰の病気っていうことじゃないんですけど、ちょくちょく腰痛ってことでね、持病だと思ってたんですよ。それで、その2~3年前からですね、もう激しい激痛まであったんですよ。時々腰痛がね。そんなことで地元の医師、まあ開業医なり、病院なり、整形外科にかかったんですよ。で、痛み止めもらって、っていうだけの治療でしたからね、それがずうっと何年も続いて、それこそ一昨年の後半、もうとにかく半年間は、もう這うような痛さで、ずーっといたんですよ。(病院に)行ったとしても、まあその痛み止め的な治療しかしてなかったのでね。で、一昨年の年末に意を決して、その有名整形外科医に推薦もされましたしね、行ったほうがいいよということで、まあ混んでいましたけどね。予約して、半月…1カ月後にやっとその有名整形外科に行けて、それで診てもらったんですよ、MRI撮って。そしたら一発に「あなたもう整形の分野じゃないよ」と。「よくもまあここまで、整形の痛み止め程度でやっていたね」と、びっくりされたんですよ。で、「すぐ明日、泌尿器科の病院行きなさい」と。
残尿感…常になんかさっぱりしないというふうな状態が、感じられるようになりまして。でも特に、もう年を取りゃあ必ずなるんだという程度で、大して気にもしないでおりました。ちょうど6年前…2月頃、夜中に尿意を感じてトイレに行ったんですけど、全然排尿されませんで、排尿できなくて、あれーっ? 尿が詰まっちゃったら困っちゃうなと。それで一旦戻って来まして、また尿意があって、またトイレに行きまして。そうしたらあのときのショックは今でもこうして思い出しますけど、突然血尿が、血尿が、ダッと出ましてね。それで血液っていうのは固まる性質があるんですけど、尿の中で大量の出血で、血液が固まってまして、ミミズが飛び出したという感じで、ええ。血液がね、固まりで飛び出して、それがものすごいショックでした。痛みとかなんとかそれは全然ありませんでしたけど。
一応処置が終わった後か、「何か薬を飲みましたか」と言われたんです。で、私そのとき風邪を引いてまして。特に咳がひどくて、売薬のシロップ式の飲み薬の咳止めね、ちょっと強かったんだと思うんですけど、まあ薬局で普通に売ってる、それを飲んでたんですね。それで「風邪引いて風邪薬は飲んでましたけど」「何飲んでましたか」「こうこう」「ああそうですか。飲んじゃいけないって書いてあったでしょ」。
改めて読み直してみましたらば、前立腺疾患もしくは排尿障害とか、そういう人は医師と相談して飲んでくださいって書いてあるんです。ああ、やはりそういうことは患者としてやっぱりね、無視しちゃいけないことで、本当に書いてあるわと、改めてびっくりしたんですけど。
私のもうひとつ逆説的な言い方というか、飲んで(がんだと)わかった。少なくとも私にとっては良かったことじゃないのかなと。でもやはりそういった注意書きは、きちんと読むべきだなと自覚しましたけど。
(平成)17年から18年にかけて、尿管結石がですね、3回ぐらいあったんですよ。それが真夜中に自宅で発作が起こって。で、病院に救急車で行って。それからその次はですね、まあ数カ月のちですけど、出張先でまたそれが起こって、救急車で病院に行きました。それからまたその、しばらく数カ月の後にまた自宅で、これはもう早朝でしたけど、また石が動いて、病院に行ったっちゅう…まあそういう3回ですね。その、腎臓から膀胱まで石が落ちるのに3度苦しむことがありましたね。
石が大きすぎたのかもしれませんけど、結局まあ出てこなくって。で、平成19年ですね、1月になってですね、膀胱炎になったんですよね。あの、尿が出なくなったんですよ。で、びっくりして、膀胱炎だと思ってですね、泌尿器(科)でまあ、比較的いいと言われている病院に行きましたら、これは膀胱炎ということでですね、採血してくれたりなんかして、薬をもらって、日を改めて行ったんですけど。そしたらあのPSAっちゅうんですかね、あれもその、検査が分かってて、PSAの値がまあ70ぐらい確かあったと思うんですけど、非常に高いと。ですから「これはがんの疑いがある」ということでですね。ちょっと肛門からなんか指を入れて分かるんでしょ? それで前立腺を先生がまあ触ってみたら「確かに前立腺が腫れてる」と。だけどその腫れてるだけじゃなくてですね「ちょっと、なんかしこりがある」っていうんですよね。ですから「しこりがあるんで、まあがんの疑いもあるから、ちょっと調べてみましょう」ということで、その細胞を採ろうとしたんですけど。
だからまあ、膀胱炎になったおかげで前立腺がんもわかって、で、その細胞を摘出するときに合わせて、膀胱に落ちているその石も取りましょうって言って、取ってくれてですね(笑)。だから、私はこの石のおかげで前立腺がんが早く発見できたんだと思って、感謝してるんですけど(笑)。
肺がんを手術した後、2年ぐらいしてから、頻尿になってきたんです。それで先生に「頻尿になってきたんですけど」って言ったら「男の人はね、年取るとみんな頻尿になるから、気にしなくていいよ」って。「転移している様子はないから、近くの病院で診察してもらって、がんだと言われたら、いらっしゃい」って言われたんで、近くの病院行ったら「単なる前立腺肥大だ」と言われて。あの当時はね、PSA検査っていうのがなかったんですよ。
それで僕の場合は、前立腺肥大って言われて、9年間放置しまして、一晩にもう6回ぐらいトイレに行くようになってね。がんセンターで「ぜひ、診てください」って診ていただいたら、それでもPSAが6.38だったかな。それで「半年待ちましょう」っていうことで、半年待ったらね、ちょっと下がったんですよ。上がったり下がったりしてたら、そんなに危険じゃないんだそうですね。ちょっと下がったんで、まあ大丈夫かなって言って。また6ヵ月待ってやったら、ぐっと上がったんですよ。それで「これは駄目」っていうんで生検をやり、プラスになり、手術の予約をしました。