――その、活発に全国からその情報を集めたり、後輩のためにその資料を残し、残したりというか、自分で、続けていくような、そのシステムを整えていく、その仕組みづくりみたいなのをすごくされたんだなって思ったんですが。そういうのをやっていたのは(大学3年の時に1年間休学して)復学した後にされていたんですか?
あ、いや。あの、在学中を通してやっていました…。なので、まあ。ただ、部員の中には、自分がこういう病気を持っているって知らない人たちが圧倒的に多かった…、んですけど。まあ、卒業するときに、あの、実はこういう障害があってっていう、まあ…、あってもなくてもこういうことはやろうと思えばできるんだよっていうことも、うーん。最終的に、そうやってまとめちゃえば済むんですけど。うーん。まあ、逆に言うと自分の場合は言わなくてもこういう活動が成り立っている部分があったので、そこがかなり良かったかなというふうには、自分の障害のこの種類としてはプラスに働いた部分かなっていうのもありますね。
でも3年生のときに体調を崩してたので、そのときにできていた後輩には、あの…、まあ、一応体調を崩して入院しているぐらいだったんですけど、あの、自分の代わりに、あの、運営をしてくれてる人たちには、あの、これこれ、こういう理由で休んでいるっていうのは伝えた覚えがあります。
――それはこう、伝えたとき、何ていうんですかね、ど、どんな感じの反応だったかってありますか。
あ、多分福祉系の大学だっていうこともあると思うんですが、「あ、そうなんですね」って感じでした。あまりこう、うん、気に留めてないって、いい意味で気に留めてないっていうか、っていう感じでしたね。