投稿者「dipex-j」のアーカイブ

障害学生の語り

グループワークや演習・実習は入学前には想像することができなかった。入学後に演習担当の教員がどんな配慮が必要か聞いてくれたので、要望を伝えることができた(手話)

大学に入るということを決めて手続きをした後、2回ぐらい大学の先生とお会いして、お話をしました。自分が聞こえない生活をどんなふうにっていう話や、今までどうやって学校で学んできたかっていう話と、今後大学に入ったらどうしたいっていう自分の要望を話しました。そのときに話した内容は、授業、講義の場合に、パソコン通訳かノートテイクを付けてほしいということを言いました。それを言ったことは覚えています。
でも、実際に看護大学の授業もいろいろありますよね。講義だけでなくてグループワークだったりとか、演習だったりとか、実習だったりいろいろな勉強の方法があるんですけど、(相談したのは)高校生なので入る前ですよね、まだ。なので、看護大学の様子というのは想像もできなくて、まず1年のときは講義とかグループワークをどうするかっていう話をしたことを覚えています。

大学に入る前に、演習というのも想像ができなかったんです。実際に大学に入った後に担当の先生から、演習担当の先生から、にお会いして、これから聴診器を使うとか、ベッドで、学生同士で患者役、看護師役で検温したりっていうのをどうすればいい?っていうのを先生から聞いてくれたんですね。そのときに、どうしたいっていうのは、なので聞いてくれたので、話すことができました。私が、やりやすい方法は?って先生のほうから聞いてくださったので、とても助かりました。もちろん、自分から、こういうふうにしたいという要望も出せたんですが、先生たちも授業の様子に合わせて、こんなときはどうすればいいかなっていうことをいろいろ聞いてくださったので、こんな方法もありますよという会話をしながら、進めていくことができました。

障害学生の語り

自分より聞こえない先輩にはノートテイクがつくが、自分の場合は、聞こえるでしょ?と言われた。その先輩は、情報保障の必要性をうまく説明できていたのだと思う

学生のときは県内で、聞こえない学生が集まる団体があったので、それもまたノートテイクを紹介してくれた先輩に誘われてその団体に入って。当時は、やっぱりろうに近い方が多かったので、皆さん手話でやり取りをされていたので、あ、私も手話を覚えたいと思って、それで手話も覚えたんですけど。そういう中で、皆さん、手話通訳を使ったり、講義はノートテイクを使っているっていう話を聞いて、やっぱり自分にも必要なのかなって思いつつ、でも、ある先輩に「そんなに聞こえるのにノートテイク必要なの?」って、聞こえない先輩に言われたんです。それがすごいショックで、あ、私はノートテイク必要って言っちゃいけないのかしらって、思ったのと。自分が聞いて、頭の中で一生懸命復唱しているっていう話も、一生懸命伝えたんですけどみんなに通じなくて、みんなそんなことしてないんだっていうのも気づいて、全く聞こえない人はそれをしないんだっていうのにも気付いたのと。
あとは、同じ大学に通っていて、先輩がノートテイク欲しいです、付けたいですって先生に言うと、「いいですよ」って言われるのに、私が言っても「駄目です」って言われてたので、何で先輩はいいって言われるのに、どうして私は駄目って言われるのかなっていうのがずっと疑問にあって。
当時はやっぱりうまく説明もできなかったので、しようがないから先輩に付いて来てもらって先輩に説明してもらって、しようがない、それなら、じゃあノートテイク付けてあげますよ、みたいな感じで付けてもらってたので、あ、自分が言っても駄目なんだっていうのもあって。あの、全く聞こえない側には私は行けないんだっていうのは、そのあたりでうすうすやっぱり感じて。はい。じゃあ私はどこに、どこにみたいなのはずっとありましたね。はい。

やっぱり先輩は、うーんと、もうやっぱり聞こえないことの説明もできるし、聞こえないことで、どうして情報保障が必要かっていうのも多分うまく説明ができてたんだと思うんですよね。はい…。でも、(先輩にどうやって自分がノートテイクが必要だということを説明してもらったかは、)全然覚えていないです、今は。とにかく、この人を連れて行けばいいみたいな思いで連れて行ってたので。

障害学生の語り

試験を口頭で予告されると対策できないので、ノートテイクをつけてほしいと言ったが、大学にノウハウがなく自分もどう動くべきかわからず、つけてもらえなかった(筆談)

勉強自体はそんなに困らなかったんですが、先生によっては、なんだろう、中間テストみたいなのをやる人がいて、それを口頭だけで予告する。私はそれを全く聞いていないので、たまたま友達から聞けたら対策できたけど、そうじゃないときは対策できなかった。
それで成績が、まあ、ダメになったというのはありました。

他の人は違うと思うけど自分にとっては、抜き打ち試験だったのでとても焦ったというのが最初で、その試験の成績が悪かったので悲しくなった。問題自体は、試験があることが分かっていれば、対策して、解答できるような内容だったので、まあ、自分の耳が聴こえないことが原因で、初めて被害を受けたといえば被害を受けた、というエピソードだったので、そこで初めて、自分が聴こえないことで、まあ、結構困ることがあるんだなーと実感した、というのがその試験の感想です。

えーっと、そのあと、やっぱりノートテイクがあったほうがいいよねっていうことで、えーっとまあ、先生ではないんですが、大学の総合窓口みたいなところに相談しに行った。
で、まあ、そこでいろいろ話をしたんですが結局ノウハウがなかったので、ノートテイクをつけてもらうところまではいかなかった。
さっきの話に戻るのですが、私自身が周りへの働きかけ方がよく分かっていなかったので、ノートテイクをつけてもらうためにどう動くべきかというのをあんまりよく分かっておらず、それでうまくいかなかったのかなと思います。
(以下、映像なし)
結局ノートテイクはなしになったので、そこからはしつこく友達に試験あるか?とかそういうのを聞くようにした。まあ、それで、単位自体は何とか取れた、です。

障害学生の語り

入ろうと思っていた研究室は実験が多く、実験をできるのか、母親が介助をするにしても専門的な知識がないと難しいと言われ、一人でできることに転向した(テキストのみ)

ゼミに属するっていうのは、大学と唯一、うーんと、もめたのがそこで、もともと入ろうと思っている、思っていた研究室が実験が多かったんですよ。で、その実験をおまえはできるのかって言われて、お母さんが(介助を)するにしても専門的な知識がないと難しいから、このゼミじゃないほうがいいんじゃないかっていうところで。うーん。
分かりやすく言ってしまうと(自分は)パソコンのハードのほうに興味があったんですけど、内部のこと、対応するプログラミングとかなどは、1人でできることが多いので、まあ、そっちでもいいかという感じで、プログラムのほうに転向して。本当はパソコンを組むとか…、そっちのほうがしたかったんですけど、まあ、そっちでもいいかっていうふうに思いました。
まあ、悔しいのは悔しかったり…、何でできないんだろう…、もうちょっと、考えてくれたらいいのになっていうのは、もちろん思いました。
思いましたが、じゃあ具体的にどういう方法で、大学は考えているかっていうのは、私の中には当時はなくて、今関わっている(障害のある当事者の)人たちの中には、(周囲への働きかけなど)そういうことに詳しい方々はいますけど、(当時は)そういう人とも関わりがなかったので、まあ、そういうものなんだろうなって思ってました。
今であれば、それはちゃんと配慮を求められるんだよっていうことを知ってはいるので、すごいもったいないなと思って、思うことたくさんあるし…、こんな知識があればなっていうこともたくさん思っていたんだろうけれども、多分それを全部苦労せずにクリアしていたら、私はこのインタビューには多分答えてないですよね。
だって、それは苦労せずに成功したから当たり前だと思うっていう、思っちゃってたと思うんです。今こう、交流のある(障害のある)方々に、こういう配慮が受けられるんだよって言われても、それはそうだよね、当然だよねで終わっていると思うんです…。
(当時できなくて)悔しい思いをしたからこそ、こうやって皆さんに、これをお伝えしたいとか、あれがやりたいとかいうもののきっかけにはなったかなというふうに思います

障害学生の語り

入学に際して大学(通信制)から、何も配慮しないがそれでもいいという誓約書を書くように言われ、送られてきたテキストも資料もすべて紙で大変だった(テキストのみ)

最初大学は、入るのはいいけど何もしない、それでいいなら入ってください、みたいな誓約書を書かせたと思います。今は、そんなことしないんですけどね。

――ご自身は、そういうふうな誓約書を書かされたときに、そのときはどんなふうに思ったかとか覚えていらっしゃいますか。

取りあえず、何も考えてなかったと思います。入りたいだけだったように思います。

――大学としては何もしませんよっていう感じになると、こう実際に他の学生と同じように学ぶことに関して、ご自身は困ることとかは何かあったんでしょうか。

大量にありました。まず初めに、通信(大学)は、本とか資料とかが大量に段ボール箱で、送られてきます。それを自分で読んで、必要な申し込みをしたり、必要なレポートを書いたり、必要な試験の申し込みをしたりしないといけません。私にも普通の紙で、普通に資料が送ってきます。しかも、シラバスとかテキストとか申込用紙が、全部冊子にとじ込んであるんですね。そうすると、慣れるまでどれが冊子でどれが資料でどれがテキストかすら、よく分からず、ついでに言うと、自分以外の学科の資料とかテキストもまとめて送ってくるので、自分が要るところだけ読んで、自分が要るのだけ使えばいいんですが、それがまずできませんでした。
理由は、要るか要らないかを判断するには、まず読まなきゃいけませんよね。でも読むことができないわけで、だから選びようがない、申込用紙を使って申し込みようがない、そういう状態でした。

――紙の冊子が送られてくる場合、ご自身は、それはどうされるんですか。

教科書は点訳に出しました。でも資料は間に合わないので、学生ボランティアに読んでもらうか、どうしてもというときは、読むだけならパソコンにスキャナーを取り付けて、パソコンに取り込んで読ませました。
夜中じゅうかかって、親に「うるさい」ってよく言われました。でも(大学入学に際しては)親は何もしないのが条件だったので、読んでくれないんで、自分で(スキャナーで)読ませるしかないですよね。
ただ、表とかグラフとか、ワープロで打ってない文字とか、今はどうか知りませんが、新聞みたいな段組みがある文字は、読ませるのが大変でした。しかも、今のとはだいぶ違って、(スキャナーの)速度がめっちゃ遅いんです。だから確か専門書とかだと、スキャナーで取り込むだけで3日ぐらいかかった記憶があります。しかも気付いたら、それが前と後ろが逆(ということもありました)。

障害学生の語り

入学後に先生には、病気のことを説明した。だが体調の管理自体は自分でしますと伝え、2ヶ月に1度の点滴治療での早退以外は、全て他の人と同じようにすると伝えた

一応入学して、その担当の先生にはこういう病気です、自分も病気になったので看護師目指したいなと思ったっていう話もしましたし。高校生の頃の生活で、まあ、1回体調は崩しましたけど、その後はずっといいので、今はもう体調良く過ごしていってるし、管理自体は自分でしますと。2カ月に1回点滴の治療をしてたので、そのときだけ、まあ、学校をちょっと早退したりとかっていうことはあると思うんですけど、それ以外は全て他の人と同じようにしますっていうふうには伝えてました。

障害学生の語り

自分の進学先はもともと既に視覚障害の方が在学されていて、自分の入学に際しても、大学側は四苦八苦しなかった

もともとそこ(自分が入学した大学)は、既に在学生で視覚障害の方がいたんですね。だから、どちらかというと、もういたのであんまりこう、向こうがこう四苦八苦しなかったっていうか、私が3人目だか何か分かんない、4人目だか分かんないんですけど。
しかも在学しているから、前にもう、今その時点でね、上級生が。あんまり言われませんでしたね、いろんなことは。ただ教材とかの準備は全部自分、自分ですよっていうのはあったので、基本的にもう、それぐらい。だから特に、大学に何かしてもらったとかはなくて…。ただ、やっぱり事務とかの書類はね、自分で書けないから、そういうのはお願いして代筆してもらうとかはありました。だから担当者を決めてもらって、その人に、いつも大体同じ担当者の人になるべくは。まあ、その人いないときは別の人だったんですけど、同じ担当者の人になるべく分かるようにしてくれて、その人と書類を作ったりとか、履修登録とかもやりました。

障害学生の語り

入学後は配慮なしで授業を受けるものだと思っていたが、たまたま入学手続きの書類の中に障害学生支援室のパンフレットを見つけ、母親が問い合わせて、大学側と面接をした

入学後も、私は普通に、自分で授業を受けるもんだと思っていたんですけど、たまたまその入学手続きの書類の中に障害学生支援室のパンフレットがあって、それでちょっと母が問い合わせてくれて、まあ面談につながりました。
そのときは私と同じ、入学生の中に、あともう2人聴覚障害のある学生がいて、3人集められて、ノートテイクってこんな感じですよっていうデモンストレーションをしてくれて、こういうのを使って授業を受けることもできますよ、くらいは覚えていて。じゃあ付けてみようかなくらいで、軽く支援を使うようになりました。

やっぱり最初は自分だけでも頑張れるんじゃないかなって思っていて、支援は、使うことにちょっと、葛藤っていうか、そういうこともあったんですけど。でも、やっぱり支援者(学生のピアサポーター)も、ちょうど私が入ったキャンパスが、私がほぼ初めての聴覚障害学生で、だからこう一から支援者を募集して養成しなきゃいけないっていう状況だったので、けっこう同年代の支援者が多くて、支援者との関わりもすごく楽しくなってきたし。あとは、やっぱりこうノートテイクされた文字を見ていると、私が聞こえていない情報があることに気付いて、あ、これは自分にとって必要だなって思い始めてきて、っていう経緯があります。

障害学生の語り

大学側にまず文書で申し入れて、その後、大学側の教務課と高校の進路指導の先生、両親と自分で直接会って、話し合った。高校の先生が慣れていて心強かった

高校の進路指導の先生がそこもかなりサポートをしてくださいまして、大学側とは、構内の移動ですとか、それから授業において、どのような教材を準備してもらう必要があるのか、先生に配慮してもらうべきことはどのようなことなのか、そのようなことをまとめて大学側に文書で申し入れをまずしまして、それから、直接大学側の教務課だったと思いますけれども、担当者と、私と、それから進路指導の先生と、うちの両親で話し合いの時間を持ちました。正直、私や両親はちょっと遠慮してしまうようなところもあったんですが、高校の先生、そこらへん慣れてらっしゃるので、「お願いしたことは実現できますか、どうですか」ということを、ビシッと聞いてくださいましてですね、非常に心強かったのを覚えています。

大学への依頼などは、そうですね、非常にスムーズだったと思います。結構、高校の先生が、あの、視覚障害学生支援ガイドみたいな本(本人補足:視覚障害学生サポートガイドブックー進学・入試から卒業・就職までの実践的支援ノウハウ:日本医療企画)を出されたころで、先輩方のいろいろ困ったケースなんかも、載ってたので、私としては、なんか本じゅうを付箋だらけにして、これは大丈夫だろうか、あれは大丈夫だろうかって言って、いろいろ心配してたぐらいだったんですけど、実際(相談の場では)そこらへん、そういう本も参考にして、自分がお願いすべきポイントっていうのを、かなり明確に絞って、話をすることができたっていうのもあって、ある程度快く、話を受けてくださったと思います。

障害学生の語り

オープンキャンパスの時、大学に行くまでが、すごい山だなと思ったが、合理的配慮の時代に入っていたので、何とかなるだろうと思っていた

――実際、オープンキャンパスに行かれて、どのような感じだったんでしょうか。

えーと、後で調べてもらうと分かります、私のいた大学って非常に山の上にある大学で、あの、大学に行くことを「登山」と学生は言うんですけど、そういう大学で。すごく大変なんだろうなと思ったんですけど、でもそんなことは関係ないやっていうのもありましたので、そこを受けるつもりでオープンキャンパスに行きました。

――その実際、登山のように山の上にあると、えーと、ご自身はそのときから、えー、手こぎの車椅子を使っていらっしゃる?

えーと、長距離移動のときは電動車椅子を使用していますので、そういった通学に関しては基本的には電動だと考えてもらって大丈夫です。

――分かりました。じゃあ実際オープンキャンパスで、その電動の車椅子を使って山を、えー、登ってみたら、まあ、登れるかなという感じだったという。

あの、そのオープンキャンパスに行ったときは車で、実は親の車で乗って行ったんですけど、とてもすごい山だなと思いながら、さあ、どうやって通おうか、まあ、行けるだろうぐらいしか思っていなかったんですけど、そんな感じです。はい。

――結構ご自身としては、あの、何とかなるだろうなというような。

そうですね。まあ、国立大学だし、もう合理的配慮の時代に入っていましたので、何とかなっていくだろうと思っていました。

うーん。非常にやはり山の上でしたので、そこは何とかしてほしいというのは(入学後に大学に対して)何度も、何度も交渉をしてました。(日常は寮生活だったが)もちろん出掛けることもいっぱいありますから、どうしてもやっぱり山を下りなきゃいけないこともいっぱいある中で、どうしてもやっぱり出づらい。
えーと、基本的にはバスで移動をしていたんですけども、えー、あ、あの、夜7時だったかな、ぐらいにバスが終わっちゃうので、それ以降帰ってきたりとか、あるいはそこから下りたりとかはなかなか難しかったので、その点は、あの、非常に、こう何とかしてほしいっていうのがあったんですけど、なかなかこう財政的な問題があって、そういうのはできなかったので。
幸い、まあ、1時間半ぐらいかければ実家に帰れるので、えーと、遅くなったときは実家に帰って次の日、朝頑張って上ってくるみたいな生活をしてました。