投稿者「dipex-j」のアーカイブ

障害学生の語り

大学案内を取り寄せたが、情報が少なかった。オープンキャンパスに行ったときは、障害学生の学生スタッフがいると良かった

はい。えーと、大学のオープンキャンパスや、実際のその大学の、大学案内を取り寄せたりとかもしたんですけれども、その大学案内にはバリアフリーのことであったりとか、うーん、大学生活を障害を持って送る上での支援の内容なんかは書いていない、載っていなかったので、実際にオープンキャンパスに行ってみないとイメージが付かないので、すごく困っていて、どうしようかなって考えていたときに、えーと、インターネットか何かで両親が全国障害学生支援センターっていう当事者団体が出版している『大学案内』っていうものがあるんですけれども、その本を見つけてくれて。
で、その本を取り寄せて、その本の中で福祉系の大学をピックアップして、うーん、そこから寮があるかとか、障害学生がどれぐらい在籍したことがあるかとか、そういうところを確認して大学選びをしていきました。

――ありがとうございます。で、実際に大学をこう選んで、幾つか候補を挙げて、オープンキャンパスにも行かれたんですか。

はい。

――オープンキャンパスは、行ったときの出来事とか、もし覚えていれば教えてもらえますか。

えーと、オープンキャンパスに行ってみて、実際にキャンパス内を歩いてみて、うーん、キャンパス内はバリアフリーではあるけれども一つ一つの棟が離れていて車椅子で移動するのが、距離が長くて、その、講義と講義の合間の時間に移動するのが難しいなっていうことが実際にオープンキャンパスで行ってみて分かったりとかすることがあって、そういう時間のところで、この大学、駄目だなって思って諦めたりとかしたこともあります。はい。
で、えーと、そういう細かいところは実際に自分で行ってみないと分からないんですけれども、そのオープンキャンパスに行った際に、よく学生スタッフの方がいると思うんですけれども、その学生スタッフの方に、障害学生はいるんですかっていうお話も、お伺いしたりとかしたこともあるんですけれども、うーん、やっぱり実際に障害学生の方がそのオープンキャンパスにいるわけではないので、生の声というか、大学生活送っててこんなところが大変だよとか、楽しいよっていうのがあんまり聞けなかったので、もうちょっとそういう障害学生が実際にいるっていうのがこちらも分かる感じがあるといいなって思いながら、オープンキャンパスを回っていたんですけれども。
私が大学を探しているときには、そういう大学は見つからなかったので、その点はちょっと残念な点ではありました。はい。

障害学生の語り

高校受験の時に受験拒否に遭っており、それがトラウマで大学には障害のことを告げずに受験した。30校受けて受かった1校に進学した

――何校ぐらい受けたんですか。

多分30校ぐらい受け、3年間で30校ぐらい受けているかなと。 
で、やっぱり中学校のときに、えー、高校受験ですよね。やっぱり受験の拒否ということにあって、とかいうのも、言うんですが、そんときのトラウマというか、うん、あの、まあ、あって。
やっぱり(大学受験では、)障害を相手の大学に伝えるということをやっぱりできなかった。ましてや配慮を受けるなんていうことは考えすらつかなかったので、あの…、障害は隠して行ってた。イコール、時間延長とかも全くなかったですし、まあ、解ける、解ける分を、規定時間の中で解ける分を解いて、たまたま受かったところに入ったと。
で、まあ、親とも、今思い出したけど、相談してたときは、もうどこの大学に行くかではないよっていうことを言ってて、入った後に結局どんな勉強をするかで決まるから、どこに入るかっていうことは基本的に関係ないよっていうふうに私も思っていたので、えーと、どこに入ろうという意識はほとんどなく、うん、入ったところがこの学校だったっていう、まあ、1校しか受からなかったので。うん。

障害学生の語り

「聴覚障害者が看護の免許なんか取るのは無理なんじゃない」と言われることもあり、初めて社会に壁を感じた。最終的には、普通の高校生として接してくれた大学を選んだ(手話)

実際に大学に入りたい、で、勉強を始めたときに、まあ、いろんな大学に行きました…。聴覚障害学生の立場で、入ってもいいのか、入った後、いろんな支援があるのかどうか…、っていう、大学との交渉のためにいろんな大学に行きました…。
まあ、実際にいろいろ壁はとても大きくて、ほとんどの大学は、「今まで聴覚障害の学生を受け入れたことがない。なので、学生に対してどうやって指導していったらいいか支援方法も分からない…。」と言われました。
他では、「聴覚障害者が入った後、支援が難しい、いろいろできないからごめんなさい」、みたいなふうに言われました。また、「ちゃんと看護師の免許なんか取るのは無理なんじゃない」っていうことも言われたこともありました…。
まあ、本当に悔しい思いをしました。今まで、自分が聞こえないからできないっていうことをあまり考えたことがなかったんですけれども、そのときに初めて社会に壁がある、限界があるということを感じました。
でも、看護師の免許、資格を取るためには、その前にまず学校に行って勉強して、実習して、が必要ですよね。でもその機会がない。どうしよう。とにかくいろんな大学に行って、まあ、幾つかの大学は、支援しますよって言ってくれた大学もありました。

面接のときに、大学の先生にお会いして……、本当にいい先生方にお会いしたんですね。まあ、他の大学の面接のときは、「あれ、聞こえないの、入った後どうやって勉強するの、本当に大丈夫なの?」みたいな質問が多かったんです。自分としては聞こえる、聞こえない関係なく、高校生が、看護師を目指している高校生という立場は同じですよね。何か、その質問にとても違和感があったんです…。
(でもその先生方は、)普通の高校生として「何で看護師を目指したの?」とか、一般的な人生の「自分の人生どう?」みたいに、障害ということは関係なく質問してくれたのがとても心地よかったんです。
で、その先生方の、目というか、話しやすい、自分のことを何でも話せる、先生のほうから、その先生たちから学びたいなと思いました。そこで、もう、私はこの学校に行くと決めました。

障害学生の語り

早くから車椅子での生活も含めて第一志望の大学に相談していたが、高2の夏に急に、受験しても合格にはできないと言われた

(高校生の早い段階から大学探しをしていて )最初の第一希望の大学が、なるべく家から近い大学がよかったので、家から近い大学がよかったので、そこの大学にしようとしたんですが。
そのとき、あの、そのときは、オープンキャンパスとか行って、そういう、受験のこととか、どういう入試の仕方で行くとかを担当の、受験担当の人に何回か話させていただいて…。
そうして、向こうの大学の人は結構、あの、受け入れとかは全然大丈夫ですよって言ってくれたんですが、僕が高校2年生ぐらい、高校2年生の夏ぐらいに何か急に、急に何か大丈夫だよって言ってくれたのに、何か、教授会とかの方が、何か、あの、僕、AO選考(正しくは指定校推薦)が希望だったんですけど、何か、AO選考(正しくは指定校推薦)だと何か厳しい、何て言うんですか、受験しても合格には、できませんよって言われてしまって…。
なので、その大学はちょっと、入学拒否というか、に遭ってしまったわけなんです…。だから、あの、ちょっと、そのときは本当にがっかりしたんですけど…。でも、大学にはどうしても通いたかったので、別の大学を探すことにしました。

障害学生の語り

小さい頃から一緒にリハビリなどをしていた車椅子の先輩がその大学にいて、困ったら助けてと言えると思い、その大学を選んだ

――ご自身が行くぞって決めた学校は、先ほどおっしゃってたんですけど、知り合いの方が結構いらして、そこに行こうっていうふうに思ったっていうことだったんですが、もともとその知り合いの方がいらしたっていうのは、何かこう、お友達がいらしたとか、そういう感じだったんですか。

えっとー、知り合いっていうのは、この同じような車椅子の…、先輩っていうか、がいたり、その先輩は小さい頃から一緒にリハビリであったりとかを一緒にしてた先輩とかだったりもしたので…、あとは…、私、障害者スポーツのボッチャっていうのをやってた時期があり、ボッチャっていうのをやってた時期があって…、で、それに関わってた人たちがもう先に入られて、先輩としている状況がもう完全にほぼ整っているっていう環境だったので、そっちのほうが、その大学のことが分からないときに先輩、助けてって言えて、情報収集もできて生き延びられる…。最悪、首の皮一枚つながる感じでも、生き延びられるのはどっちだろうって考えたときに、自分が行ってた大学でしたね。

障害学生の語り

オープンキャンパスで、弱視のことや必要な配慮を説明した時、対応が芳しくない学校は行かなくていいと思っていたが、先輩方のおかげで快く話を聞いてくれた大学が多かった

で 、個別の大学の入試についても、えっと、あの、配慮を依頼しました。もうどの段階から、話をしていたかといいますと、あの、大学のオープンキャンパスの個別相談ブースの、時点で、私は弱視で、試験の際にはこういう配慮が必要だったり、えー、するんだけれども、まあ、まず受験は可能かですとか、入学に際して、どういうふうに話を進めればよいかというようなことについては、最初の、オープンキャンパスの段階から話をしていました。ま、正直そこで対応が芳しくなかった学校は、まあ、行かなくていいかなという感じで、のつもりで、言っていました。
で、やっぱり、私の2~3世代前ぐらいのね、先輩方が非常に頑張ってガシガシ道を切り開いてきたおかげもありまして、あのー、やっぱりそのオープンキャンパスなどの段階では非常に、快く話を聞いてくれる大学ばかりでしたね。

障害学生の語り

大学の説明会で、紙のパンフレットが読めないと伝えた時の対応が非常に素早かった。キリスト教のヒューマニズムが事務の方にも息づいているのを感じた

で 、大学についてのお話を、こういろいろ伺う中で、まあ、パンフレットを渡されるわけなんですけれども、えー、そのとき、その紙のパンフレットだと、誰かに読んでもらうしか方法がなくて、自分でチェックすることができないんですけれどもって、言うか言わないかぐらいの、えー、段階で、その入試課の方が「あ、そうしたら、どうやったら分かります?」っていうふうに、聞いてくれて。
で、データだったら、分かるんですけれどもというふうに言ったら、まあ、あの当時は、フロッピーディスクが、主流だったので、「あ、じゃあ、フロッピーディスクで、郵送するから住所を教えて」というふうに、すぐに、言ってくださいました。
何か、その面倒だなとか、分からないんですって言われたときに、こう向こうも困っちゃうっていうようなことが、えー、反応が一切なく、「どうしたら分かるの?」というふうに聞いてくれたことや、こうしたら分かるんですって、やってくれたときのその対応が非常に素早かったと。で、実際にすぐ、郵送していただいたんですけれども、そういった対応をしていただいたことが、まず非常に感動しまして。
で、送られてきたパンフレットを見たところ、まあ、うちの大学というのは、えー、キリスト教のヒューマニズムというのが、まあ、学校の、運営においてこう土台になっていて、他者に、まあ、貢献しましょうねという、そういう人間を育てるための、学びを、えー、目標にしていますっていうようなことを、まあ、かなり、大きく掲げている大学、なんですが。
その校風っていうのが、その事務の方にまで、息づいているんだなというふうに僕はその当時非常に、こう思いまして、こういう大学だったら、僕が入学しても、すごくその楽しく過ごせるんじゃなかろうかというふうに、思い、えー、もう、その大学1本で、に絞って、まあ、入試の準備をいたしました。

障害学生の語り

高校3年間通信制で学び、その時に自分の時間を大切にするという感覚を身に付け、これも悪くないと思って大学も通信制に決めた

――で、3年間行かれて、ご自身としては3年間通信制の高校で学ばれてたとき、その元々は通学の高校に行きたいという希望があった後、その、そういう選択肢を選ばれたっていうことだったんですが、あの、どんな思いだったんですか。

そうですね、最初は、やはり環境が変わってしまったんで、ちょっと不安、不安な、戸惑いっていうか何ていう、焦りっていうものがあったんですけど、でも、だんだんと時間がたつごとに、自分の時間っていうか、自分で時間を作って、学んだり、していくっていうようなことが、なんでしょう、新鮮、新鮮な感じになっていって。
それまでは、あの、まあ、決まった時間に学校に行って、決まった授業を受けてっていうかたちで、それに合わせていくことに精いっぱいだったんだけど、
時間がたって。あ、だから、それまでは。あの、決まった時間に、こう、行って授業を受けてっていう。それに付いていくことで精いっぱいだった。(通信制に入って)自分の時間ができたっていうことが、とても。新鮮。まあ、これも、うん、悪くないな(と思った)。

――じゃあ、大学にというふうに思ったときに、どういうふうにご自身が行く大学を探されたんですか。

そのときも、まあ、今、今思えば、いろんな選択肢はあったと思います。えーと、まあ…、全日、全日制の大学っていうのも検討したんですが。やっぱり高校、高校3年間のその中で、身に付けた、自分、自分の時間を、大切、大切にするっていうような、感覚が。が、それで、その中で、何かを、得て、え、得て、得ていきたいなという思いがあって。その中では、大学も通信制の大学を選びました。

障害学生の語り

高校受験の時に受験した高校から入学拒否に遭い、訴えるようなエネルギーもその時はなかったので、通信制の高校を選んだ(次のクリップに続く)

高校受験ときに受けた、受験した、高校に入学拒否を受けてしまって。
で、まあ、それは…、学校の設備的な問題も理由で、拒否されてしまったんですね…。で、その時点で、まあ、学校、中学が、ちょっと、これは、おかしいっていうふうにね、ちょっとこのままじゃいけないねっていう感じで、まあ、何らかのかたちで訴えようっていうふうになったんです。
自分、当時、当時の自分としては、小学校、中学校は、毎日通っていて、通うっていうことでいっぱいっていうか、通って勉強する、勉強するっていうこと自体に、もう精いっぱいだったっていうことがあって、で、その中で急に入学拒否を受けてしまったんで、まあもう、なんか、緊張の糸が切れた、切れたっていうか、あーあっていう、感覚に陥って、ああ。
それで、これ(入学拒否)はおかしいなと思ったんですが、当時は、あの、それに対して、何らかのかたちで訴えるっていう、アクションには、つながらなかったですね。

(その後の選択肢については、)いろいろな選択肢はあったと思うんですが、で、まあ、自分が選んだのは、通信制の高校でした。

――分かりました。通信制の高校は、えーと、何年間ですか?

えーと、さん、3年間。

――分かりました。

障害学生の語り

通信制大学は、好きなペースで学ぶことができ、学費も安く、無理なく続けていける人がいっぱいいるのがいい

――その通信制でやっているときっていうのは、インターネットでやっているんですか?

そう。インターネットでまとめて見ることもできるし、テレビでもいいんですけど、えーと、まあ、それは15時間、45分の授業が15回分なので、好きなペースで続けられてね、時間あるときとか、まとめて見ちゃったりするときもあったし、ね、あとは、あんまりできなかったかなっていうときもあったんだけど、まあね。
あとは、お金、まあ、学生だとインターネットで全部の科目見れますから、なのでね、興味がありそうな科目をね、見て、あの、教科書、書店で売っているので、単位取らなくてもね、他の科目とかを勉強したって結構ありますね。

放送大学はですね、割と、社会、幅広い年齢層の人がいて、僕が入ったのは、もう40代になってからなんですけど、あの、僕でも若手なんですよね。だから、もう上は、もう80代の人とか、下はもうね、本当10代の人まで幅広い年齢があるので、いろんな人の意見が聴けて非常に、ね、こう幅の広い、まあ、自由な校風ですし、自分の好きなことが、あの、割とですね、科目がいろいろと多いので、いろんな興味ができるし。
あとはね、インターネットで割と科目ができるので、自分が受けてない科目も好きなだけ勉強ができるし、単位も、あの、年度ごとに区切られてないので、だから好きな科目、自分で決められるしで、すごく自由性があるんですけど、でも勉強をですね、きちんと計画的にやらないと卒業は難しいっていわれてますね。

まあ、他の大学、よく大学でね、何百万もね、卒業の時期って奨学金残っちゃったよって、(放送大学は)そこまでは高いお金じゃないと思いますので。放送大学は利点としては、ね、学費安いっていうのもあると思いますね。単位ごとでですので、だから、まあ、そんなに、お金もかかんないし。うん。そういう意味でも放送大学はお勧めだと思いますね。
だから、学費がちょっと足りなかったら、お金ためてからまた取るとか、そんな感じで、あの、無理なく続けていける人がいっぱいいて、それこそ20年かけて卒業しましたとか、そういう人もいっぱいいるので。
あと放送大学って卒業を目的に、に入ってこない人もいるんですね。ずっと勉強したいから、あえて卒業しませんっていう人もいたりとか、そんな感じでね、まあ、いろんな遊び、あの、学びのスタイルがあると思いますよ。