投稿者「dipex-j」のアーカイブ

障害学生の語り

試験の変更やノートテイクをつけてもらったが、それ以外日ごろのことは友人にやってもらっていた。「大人に守られない自分」を満喫できた4年間だった(テキストのみ)

(自分は)大学に配慮を、授業以外のもの、座学以外のものは配慮を受けていなくて、大学から受けた配慮っていうと、筆記試験を、あらかじめのレポートにしてもらうとか。あとは、試験の時間を延ばしてもらうとか。
あと、ノートテイクですね。ノートテイクを付けてもらうとか……、だけで、あとは日頃のことは友人にやってもらいました。ちょっとお昼買ってきてということは全部頼み、ご飯に、お弁当箱、開けたりとか、授業のものを出したりとかは友達にやってもらったりもしてたので。
で、そこに大人が介入してこないので、職員に全く気を使わずに、それができたっていうことはとても自由だったし…、とても自由だったし、守られない自分っていうのを満喫できた4年間だったなっていうふうに思います。

――授業に関しては大学に付けてもらって、それ以外の生活のところを友達にサポートをちょっとこう頼んだりとかしてたということですが、それは、最初からすんなり頼めたんですか?

(普通)高校からの経験があったので、大学に入学して2日目に、お弁当を食べている子に、声を掛けたんです。そこにいた女の子に声を掛けて、一緒にご飯を食べてもらえませんかって声を掛けた女の子とは今でも仲がいいですし、遊びに行ったりもしてて。
で、彼女と一緒にいるときは、まあ介助、介助者が付いてるときもあるけれども、介助者が動くよりも先に彼女がやってくれる、介助者より慣れているんですよね。こういうときはこうしたほうが、私はいいだろうとかいうのを、経験からして分かってくれているので、すごい良かったなっていうふうには思いますし。

障害学生の語り

ノートテイクは自分が申請した授業に全てついた。支援者は基本的に2名だが、ゼミで両側から支援者に挟まれるとゼミ生と壁ができるので、場所を工夫した

――授業でノートテイクが付くっていうのは、基本的に講義形式の授業ですか?

あ、もう全ての、というか申請した授業には全て付きます。だから、ゼミとかも付けてもらっていました。

――ゼミとかの場合は、どういう感じに、複数の人が話をすると思うんですけど、複数の人が話をするのを全部テキストに起こしてもらうっていうような感じですか?

そうですね。うーんと、ゼミは私、大学時代はそんなに手話を達者に使ってはなかったので、まあ、ディスカッションが多い授業だと、手話通訳に替えるっていう学生もいるんですけど、私は手書きのノートテイクのままゼミも使っていて。
でもやっぱり両隣支援者に挟まれるとゼミ生とちょっと壁ができるから嫌だなと思って、まあ2人派遣してもらうんですけど1人だけ横に付いて、1人はちょっと、この学生の円からちょっと外れたところで、まあ、メモを取っていくっていうスタイルにして。
で…、そのときは、ディスカッションっていうよりは各自まあ、毎週発表していくっていうスタイルだったので、そんな活発な議論に乗り遅れることもなく、まあ、何とか、やれたかなっていう感じ。
4人ぐらい、さらにゼミから、こう4人ぐらいのグループに別れて、まあ、何か作業をするっていうときは、直接の音声のコミュニケーションで、まだ乗り切れていたので、特段私はそんなに、苦労はなかったかな。

――その支援者、ゼミのときにその2人両方に挟まれちゃうとちょっと壁があるというふうにおっしゃってて、1人にはいてもらって1人にはちょっと外れてもらうとか、そのやり方とかはもう自分で工夫して、その支援者の方に自分で指示をしているような感じですか?

そうです。なので、そういう臨機応変なやり方をしたかったので、ゼミの支援者は特にこう私と仲良くしてもらってる支援者がいいって、支援室にちょっとお願いをして都合を付けて来てくれたっていう感じ。

――そういうのは結構自由に、あの支援室の人とは、あの支援室の人にこう要望を出したりとかいうのはしやすい感じだったんですか。

しやすい感じです。私、すごくコミュニケーションはよく取れていたかなと思いますね。

障害学生の語り

入学当初は自分が困っていることしか言わず、配慮が受けられないと「どうしてできないのか」と憤っていたが、徐々に大学側と妥協点を探っていくことが必要だと気づいた

うちの大学はですね、エスカレーターが3基付いていまして、山の上に登るために、歩ける学生はそれを使って上るんですけど、当然車椅子は無理なので。残った手段が先ほどのバスか、上まで続く山道をこう歩いて行くかっていうことなんですけど。
バスは、まあ、7時で終わってしまうので難しいかな。で、じゃあ、山道を歩いて行くかっていうことになったときに、あの車道なんですね。車道なんで電動(車椅子)じゃ行けなくて、なかなか、そこに歩道を造ってくれみたいな話は(大学に)ずっとしてたんですけど、金がかかるてことになって、なかなか、難しかったです。

――交渉をして、やっぱりそのお金の額がっていう感じで、難しいかもしれないっていうとき、ご自身としてはどんな思いでいらっしゃるんですか。

何でできねえんだろうっていう感じでした。本当こう、ちゃんとした言葉で言えば「過度な負担」ということになるんですけど、それをどうとらえていくっていうのが、まだ、(当時は)なかったんだろうなとは思います。

やっぱりこう、そのさっきの大学のそのすごくバリアフルだったときに…、だったことを、交渉をやっているときに、僕はこう困っているんだっていうことしか言わなかった時期があったんですよね。
もちろん、それは主張という意味では正しいのかもしれないけれども、対話にはなっていなかったのかなっていうのは、今思い返すとあって。えーと、大学側もやりたくないわけじゃ、なくて、どう妥協点を探っていくかっていう作業はしていかなきゃいけないんだなっていうのは今でも時々思い出すんですけど。
ここまではできる、じゃあ、ここまでは、ここまではできるかっていうことを、お互い擦り合わせていくっていう作業だっていうことを、本当にそのときに思いましたね。

――擦り合わせを?

そうですね。やっぱりこう100全てを受け入れてもらえるっていうのではない中で、じゃあ、どこまでは譲れなくて、どこからはいけるのかっていう所は丁寧にやっていかないといけない。

障害学生の語り

大学に点訳を求める際、理論武装をしてから伝えようと思い、学生は「学ぶこと」を努力する存在だが「学ぶために」努力をしているのは違うのじゃないかと大学に伝えた

思い起こすと、多分大学1年生のときに、何だかんだとやっぱり楽しくて遊んだりする時間が、増えていって。そうする中で、その点訳ボランティアの方たちに、送る予定だったものを、送り忘れたり。あと大きい荷物で届いてしまうので、自分のアパートに点訳されたものを届けてもらうようにしていたので、えー、大き過ぎてですね、その郵便局だとか宅急便の所だったか、ポストに入れられなくて、不在票みたいなのが置かれて、それで受け取れなかったせいで、次の日の授業に資料が間に合わなかったみたいなのが何回かあって。
せっかく準備したのにっていうふうに、ちょっとこう、何か落ち込む気持ちになっている、さなか、授業に遅刻してきた同級生とかが、ひょい、ひょい、ひょいっと、こう配られている資料を教室の後ろに置いてあるやつをぽいぽいって取って、ふうんってこう、ちらちら見ながら、まあ、あんまり授業にも、しっかり話を聞いてなくってみたいなことが、普通に行われていることがだんだん頭に、くるようになりまして。
僕は、この授業を資料とともに受けられるようにするために、まあ、点字のそのボランティアの方とのやり取りをするというのもそうだし、例えば、じゃあデータで送ってくれるっていっても、今ほど読み上げのソフトだって、何というか、性能も良くなかったですし、例えばその送られてきたものを点字ディスプレーのほうの、データを送るなんていうのも一手間、二手間掛けないとできなかったり、僕にその能力がなかったりとか、いろいろな中で相当こう、いろんな準備をしないと、資料と一緒に授業を受けるっていうことができない。
あるいはその、1回先に目を通しておいて、おおよそこういう話をされるんだなっていうのを記憶しておかないと、その場で資料を見ながら授業を受けるっていうことができないっていうふうな、状態になっているのに、他の学生ってこんなに適当でいいんだっていうことを、何かすごくこう嫌だなというか、腹が立ってしまって。
でも腹が立っている自分っていうのも何かおかしいなっていうふうに、思って、これはどうにかしてもらったほうがいいなっていうふうに思ったんですけれども。
割と僕は、助けを求めるのが、下手というわけではないんだけど…、一歩、その何かをお願いしたりするときに、かなりその…、きちっと理論武装した上でこれ、これ、こうだから、こうしてもらう必要があると思うんですっていうのがちゃんと言えないと、頼みづらいなという、こう性格でして。
どうにか…、この点字訳を学校側にやってもらうために、いい論理というようなものはないだろうかって思っているときに、ふと、何で僕は学ぶために努力しているんだろうっていうふうに思って、学生って学ぶことを努力する存在じゃないのかなっていうことを、えー、確か当時ずっとそのことについて、考えていて、あ、そうだっていうふうに、思いまして。
それで、この論理を言えば、僕が、これをやってくださいって大学に言うのは正当だなと、わがままではないはずだっていうふうに、見極めるための一つの主軸として…、学ぶための努力なのか、学ぶことの努力なのかっていうような、軸を自分の中でつくったっていうふうに記憶しています。

障害学生の語り

履修を検討していた科目が、顕微鏡を覗く授業だった。覗いてみたら弱視でよく見えず諦めてしまったが、後から考えると顕微鏡をモニターにつなぐ方法も試してみればよかった

(科目の履修は)自分の興味・関心のある授業を取って、ただ1つ、(通っていた大学は)文系総合大学みたいな感じで理系の授業ほぼなかったんですが、1個だけ、実験室で、バイオテクノロジーの最新の技術を学ぶような授業がありまして、確かね、前期が顕微鏡を使っていろいろ細胞の観察とかをやるような授業で、後期は、もっと細かいバイオテクノロジーってことで、遺伝子の解析なんかをするような授業があったんですけども、最初、前期の、顕微鏡の授業を取ったんですけど、初回のオリエンテーションで、顕微鏡を覗いてみたりなんかして、やっぱ分かんないなと思って、ちょっと諦めちゃったっていうことがありました。初回の授業でやめちゃったっていうことありました。
で、結局その授業は後期のバイオテクノロジーのほうはあまり顕微鏡とか使わないので、あ、そっちならできそうだなっていうことで、後期の授業は取ったっていうふうなことがありますけど、後から考えると、前期の授業はもうちょっと粘ってもよかったのかもなっていう。顕微鏡覗くんじゃなくて、教授は、「顕微鏡をテレビでつないで、テレビの画面で見るような装置もあるよ」っていうふうな話もしてたので、何かそっち使わせてもらえば良かったなとか、後から考えると思うことはありますけど、そんときは正直ね、そこまでの熱意がなかったかな、っていう感じがしますね。

障害学生の語り

自分は大学に対して配慮をなかなか求められず、大学側から意見を求められて初めて伝えるような状態だった。でも後輩には、もっと積極的に言ってほしい

やっぱり…、遠慮しないことが大事かな。大学で学ぶ際にやっぱり、遠慮をしないで思ったことを言ったほうが、自分のためにもなるし大学のためにもなるというか。
僕の場合はそう、多目的トイレがなかったので(排泄の時に使用するための)ベッドを作ってくださいとか言ったのもそうですし、で、それって、今後入ってくる学生のためにもなるし、なるじゃないですか。だから、そういうことは積極的に言ったほうが今後の、今後大学に、入学してくる人のためにもなるし、自分のためにもなるので、そういうところは遠慮しないで言ってほしいというか、それは言ったほうがいいということですね。はい。

僕は最初、最初からは、なかなか言えなかったですね。大学側から「何か意見はありますか」って言われて言っていたかたちなんですけど、やっぱりなかなかそういう勇気って必要だ、やっぱり、そう。僕は大学側から聞かれて言ったんですけど、後輩とか、後輩たちには、もっと積極的に言ってほしいと思います。

障害学生の語り

実習では、理解が得られず大変だった。悪い癖が抜けず、初対面の人に配慮を求めていいかどうかすぐに判断してしまい、実習先では対話のための努力もしなかったように思う

実習は、いい思い出が何もなくて。実習は今も後輩によく言うんですけど、教育実習って一番つらいと思うんですよね。やっぱり権利を主張するにも立場が一番弱いので、説明する経験も少ないし、うん、つらいだろうなって思って、あの、「頑張って乗り越えて」って、(後輩には)いつも言っているんですけど。
やっぱり、このとおり話せるので、聞こえないっていうことはもちろん理解してもらえないし…、うーん、もちろん(教育実習先の)子供も、突然2週間とか3週間しか一緒にいないのに、ぱっと説明しても分かってくれるわけでもないし、はい。指導教官にも理解を得られないし、散々でしたね。

やっぱり、まだ悪い癖が抜けなくって、初対面とかちょっと話をして、この人は言ったら分かってくれる人だっていうのと、この人は駄目だっていうふうにすぐ判断しちゃうので、(実習の時は、)もうこの人はもう駄目な人っていう部類に入れちゃったので、(配慮を求めるための対話の)努力もしませんでした。

障害学生の語り

学内では必要な配慮内容を伝えればいいが、実習場面だとなかなか伝わらない。困ることだけでなく、「ここならこういうふうにできます」という申し出も必要だと感じる

普段のその授業の中でも、ここにこういう配慮が必要ですっていうことはもちろん言えるし、それをこう1年生のときから積み上げては行くんですが、なかなか実習場面だと、「ここに配慮が必要です」だけだとなかなか伝わらない。もちろん、もうちょっと具体的に言っていかなきゃいけないというのはいっぱいありますし、「こういうふうならできます」っていうふうな提案の仕方も一つあるんではないかなと思います。
やはり大学での、大学内での授業だと、そこまでこう本人のほうから提示をしていくっていうことよりかは、こう対話をしていく中で決めていくということもあると思うんですけど。実習のところでも対話は変わらないんですけど、「ここならこういうふうならできます、こうやったらできます、なので、ここをこうしてください」というような配慮の申し出の仕方も一つやっぱり必要になってくんだと思います。

やっぱり基本的にはやっぱり普段の大学の授業での、えーと、先生の所に行って配慮依頼文を出して、自分で調整だとか、対話をやっていくということの積み重ねだと思うんですけれど。えーと、その中で、例えばこういうふうな授業のやり方だとできるっていうのを気付いたりとか、あるいはここは申し出ても大丈夫だっていうことが分かってきたりだとか。
もちろん、その法的な、ここまでは大丈夫っていう所もあるんですけど、そういうふうなものを積み重ねていくことで、えー、いろんな出し方ができるっていうふうに。
「困っているんです」だけじゃなくて、「こう、こうならできるんですけど」っていう所まで言えると相手は非常に分かってくださるし考えてくださるので、そういうふうな出し方は、まあ、実習に限らずですけど、大学4年生になるくらいまでには、やっているような気がします。

障害学生の語り

点訳の手配を自分でやるのが大変で、学科の教授に相談したら「それはそうだ」と言ってくれて、事務方が点字図書館と連携して教科書や資料を点訳してくれるようになった

入学当初に、すぐに(音声読み上げソフトとパソコンを)そろえてもらったんですけれども、後に、そうですね、教科書の点字訳であったり、資料の点字訳を依頼するということを、僕は大学1年生の頃、自分自身でボランティアの方にお送りして、点字訳をしてもらうように動いていたんですけれども、それが全部自分でやるというのがあまりに、もうしんどいなというふうに、感じるようになりまして、僕が動かなかったら点字の資料が手に入らないというのは、それは僕が努力することなんだろうかという疑問に、ぶつかりまして。
僕は、その学生として学びを努力する必要はあるけれども、学ぶために努力をするというのは僕がやることではないような気がしまして。
で、そのことを社会福祉学科の教授にお話ししたところ、それはそうだというふうに、「あ、そんなの1人で、自分で、やっていたんだね」って、「かえって申し訳なかった」というふうに言ってくださり、今までは、電子データになるものを、僕の所に、メールで送ってもらうということは当たり前にやってもらっていたんですけれども、もう大学側が、僕が入学して1年ぐらいたった頃、2年生の頃には、他の教科書であったり、データ化できていない資料についても、ちょっとタイムラグが生じてしまうことはあったんですが、全部事務の方たちが窓口になって、点字図書館と連携してですね、全て、点字にしたものを出来上がりましたよという連絡だけいただいて、僕が取りに行くというようなかたちをつくってもらうというような、えー、サポート体制もつくってもらっていました。

障害学生の語り

大学には、受験の前に聞こえないことを伝えた。大学からは情報保障はないと言われたが、それでもいいと言って入学したところ、後から困る羽目になった(筆談)

自分の耳が聞こえないことは、受験の前に伝えました。で、その時の反応として、情報保障はないよって言われたんですね。でまあ、その頃の私は情報保障、ノートテイクとかの重要性があんまり分かっていなかったので、それでもいいよって言ってしまって、まあ、とりあえず入れたんですが、後で困る羽目になったという流れです。

高校はろう学校に通っていました。そこは自分からなにもしなくても、周りが勝手に手話を使ってくれる、という状況だったので、自分の力で周りに働きかけることの必要性が、あんまりわかってなかった。
情報保障って、まあ、自分の耳の状況をしっかり周りに伝えないと、まあ、うまくできないと思うんですが、その辺もよくわかっていない状態だった、ということです。