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インタビュー時年齢:41歳
障害の内容:全身性の肢体不自由(脳性麻痺)
学校と専攻:大学・医学(1995年度入学)・大学院・医学系研究科生体物理学(2006年度入学)

中国地方出身の男性。電動車椅子を使用している。高校までは普通学校に通い、周囲に勧められて進学を決め、首都圏の大学へ進学した。同時に一人暮らしを始めて、「お互いさま」で友人の助けを借りながら生活を続けた。もともとは数学が好きだったが、人への関心が高まり、専攻は医学を選んだ。実習や研修では教科書通りにいかない身体である難しさを感じたが、そのつど周囲とのつながり方を考え、工夫と調整を重ねた。現在は大学の研究者。

語りの内容

まあ、もう一つは、そういう勉強のストーリーとは別に、日常生活の全てを親に頼っている生活自体に先がないとどこかで思っていまして。
だから何というんでしょうか、一方では数学は勉強したいという文脈と、もう一方では、あの、親のほうが先に死ぬのでしょうから今のままの暮らしは持続可能ではない。なので早めに、その親元から離れて、えー、親や家族以外の人に支えてもらう暮らしを構築しておきたいというふうにも、これは、まあ中学ぐらいからずっと思ってきたことだったので、その2つの、文脈ですかね。こう数学勉強してみたいっていうのと、親に頼らない暮らしを構築したいっていうことの2つの文脈が合流して…、あの、逃げようと、逃げようと言うと語弊ありますけれど、えー、親元から900キロメートル以上離れようと。
900キロメートルというのはなぜ算出されたかというと、当時の公共交通機関で日帰りが無理な距離というおおよその距離で、で、そういうふうなことを高校3年生で思うようになりました…。
なので、えーと、まあ、一人暮らしをするっていうことも一つの当時の私の目標でしたし、えー、まあ、どちらかというとそちらが主な大きい目標ですね。

それで、親は反対しましたけれど…、あの、今ここで、じゃあ一人暮らししないと、ここでやはり自分の……、全くビジョンはないけれどもここで譲ったらいけないことだけは分かるというような感じで、えー、親の反対を押し切って選んだようなところがありますね…。
で…、当時はほんと狭い世界だったので、親を説得する材料もそれほど知恵がなくて、受験勉強で現代文の過去問を解いているときに、芥川龍之介の遺書が出題文になっていたんですけど、そこでその、そこに書かれていたのが自殺した芥川龍之介が子供に宛てた遺書で、どんなに反対、されても、お母さんからどんなに反対されても自分の道を貫きなさいと、それがやがてはお母さんの幸せになるからっていう出題文を見たときに、あ、これは使えると思いまして、夕食時にそれをそらんじたんですけれども、母親を前に、これで説得できるんじゃないかと思って。
しかし…、全く効果がなかったのをよく覚えていますけど…。なので交渉は、あの、少し必要でしたけれども…、そういう理由で大学を選びました。

私は: です。

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