投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

ランキング本や病院の評判を参考にして、今の病院に行って主治医に出会えた

たまたま、悪性のものじゃないだろうと、言われてた期間から、自分自身では乳がんじゃないかと疑いを持ってたんで、いろいろと本は見てたんですね。で、よく今、流行りのランキング本だとか書店に並んでますよね。私あれを全部信じるわけじゃないんですけども、そのときに見たときに、乳腺の専門医がここの病院にいるっていう本をいろいろ見てたときに、たまたま、その近くの病院で、今の主治医の先生がいる病院がいたんですね。で、なんで今の病院にしたかっていうと、その先生自身のことは私、実はあまりよく知らなかったんですね。ただ噂でなんかいいよーみたいな感じとか、聞いてたんですよね。でも人がいいって言っても私自身がいいかどうかわからないという気持ちはあったんですけど、病院自体が外科の分野で結構いいっていう噂は、実は昔から聞いていたんですね。じゃあその外科分野がいいなら乳腺外科もいいだろうっていうことで見つけていって、まあ、たまたま今の主治医の名前がよくいろんな本とかインターネットにあがってたんで、それでちょっと行ってみようかなっていう感じで、はい、今の主治医のところに行ったんですけれども、はい。

乳がんの語り

がんと聞いて「がーん」という言葉が頭をよぎった。がんイコール死を連想するというが、自分の場合は乳房を切除するショックが大きかった

で、もう、えっ!?ていう感じで、私は良性だとばっかり思ってたんで、「がん」だってはっきり言われて、ほんとに頭の中が真っ白になったんですね。で、よく体験談の方、体験談でよく聞かれる言葉で、「がん」って言われて「ガ-ン」と来たって、よく聞かれるんですけれども、本当にまったくおんなじようになりまして、「がん」っていう言葉に対して、ほんとに頭の中を「ガン」って言葉がよぎったんですね。で、一瞬思考能力をなくしました。
でも、話は聞かないといけないし、よく「がん」っていう言葉で皆さん、イコール死ってことを連想すると思うんですけれども、なぜか私の場合は死ではなくって、やはり乳房ということで、切除されたらボディダメージが大きいと思いまして、そちらのほうにかなり神経が行ったんですね。
で、やっぱりショックだったんですね。命どうこうじゃなくって、乳房をやっぱり切除されるってことはやっぱり女性にとって、やっぱりちょっとでも傷が付くっていうこと自体もショックだと思うんですけど、なくなること自体想像が付かないんですね。でもやっぱり乳がんが少し増えてるっていうことで、本や何かで実際に切除された方の映像だとか写真を見たことがあるんですけれども、やっぱりその写真が頭をよぎりまして、やっぱり受け入れられなかったんですね、そのときは。

乳がんの語り

一旦はがんだと受け止めたが、ショックというよりだんだん「なんで自分が」と腹立たしくなってきて物に当たったりした

で、一旦はそのがんっていうことは一応は受け止めて、受け入れてるんですけれども、ショックっていうものよりも今度はだんだん腹立たしさが襲ってきたんですね。で、それは何に対してかって言えば、やはりなんで自分ががんに、それもすごくボディダメージを受ける乳がんにならないといけないんだ、ならなければ私は今でも全然普通に、普通の生活をしている。で、おまけにやっぱり経済的なことも出てきますよね。お金もかかるし、仕事も復帰できるかどうかわからない。で、おまけに治療もどれだけしないといけないかわからないので、お金はかかるのに自分自身の収入がなくなる。まあ私は幸運なことに、主人がおりましたので、生活の面ではそんなに困るということはないんですけども、やっぱりちょっと出費、それも治療にすごくお金がかかるとなると、やっぱり、かなり負担も大きいし、その先が見えないんですよね。そうなると不安も襲ってきますし、なんかがんに対して腹が立ってくるんですよね。
でも当たるところがないんですよ。どこに当たったらいいかわからなくて、で、こう、それも突然襲ってくるんですよ。普通に何かをしていて、急に頭をこう、「がん」というものがよぎって、急に腹が立つんですね。で、当たるところとかがないんで、掃除とかしているともう、物に当たるしかないんですね。一番被害を受けたのが掃除機で(笑)、もう掃除機を蹴ったり、一番ひどいときは、2階から掃除機、蹴飛ばしました(笑)。

乳がんの語り

田舎の母親に病気のことを伝えたら、びっくりして、地元に戻るように進めてくれたが、心配されすぎるのもつらいので、一人暮らしのまま治療することにした

母親に伝えたんですけども、母親はやっぱりびっくりしてましたね。私は1人で暮らしてたので、こっちに戻って来いと。戻って来て頼むからこっちで治療してくれということは言われましたね。言われたけど大丈夫だからっていうのがありましたね。で、実際、抗がん剤の術前治療するまでは何も、痛みもないわけですから、しこりがただあるだけで何も感じてないわけですよ。でも非常にこう、なんかこう、心配するじゃないですか? で、しかも母親はね、自分でそれはなってないからわからないので。でも、やっぱり肉親なので、心配はするけれども、それが、自分の、私自身の自覚症状とは…。自覚症状が私にはないものだから、こうギャップがものすごいあるんですよね、ものすごく心配してくれるんだけど、私はちっとも今は痛くないし、そこまで心配しなくても大丈夫だよと、それはかえって負担になると。なんかこう、大丈夫?大丈夫?って言われれば、なんか、大丈夫だって思ってても、大丈夫?大丈夫?って言われれば、なんかだんだんこっちのほうが不安になってくるじゃないですか。それでその、やり取りに対して自分でこう嫌だなと思ってたんで、そういうやり取りをしたくないと、あまり必要以上にそこで心配されたくないっていうのがあったんで、あくまでも自分の考えで、押し通して、1人で治療しました。

乳がんの語り

無理をしたり流されたりしないで、自分にとって本当に居心地のいい状態でいられるようにすることを心がけている

無理はしないというか、自分の居心地のいい状態でどうしたらいられるかっていうことを、重視しますね。で、自分が本当に、何より自分がなんかどうしたかったのか――なんとなく流されて、自分で決めているようで流されてて、流されたり、人の意見に左右されてた自分も今までいたんですけど――自分が本当にどうしたいのかっていう、こう、心の奥からのものっていうか、そういったものをこの何年間かで、探したりとか知ったりすること、そういう機会がたくさんあったなと思います。だからそれが、今から振り返れば、んー、必要なことだったから、こういう…ことが起こったんだろうなとは思ってます。だからこう、いろいろな、自分だけで物事を決断したりするのはいけないけれども、いろいろな人の意見を聞いてても、それが、それをうまくこう判断できなければ意味がなくって、情報を集めるだけではやはり、情報に惑わされてしまうんですよね。

乳がんの語り

最初の手術は乳房温存手術だったが、その後、残った乳房内にがん細胞が見つかり、摘出手術を受けた。現在は、乳房の形がほとんどなくなってしまった

右(乳房)の(手術で)治療したところから、ちょっとがん細胞が出てきたっていうことで、また手術したんですけど、それは日帰りの手術で、とても楽な手術でした。それまでは、一応…胸の形として、最初の手術の段階では、2004年の手術の段階では、かなり残ってたんですね。胸がね。1/4…かたちとしてきちんとあるような状態だったんですが、昨年、2007年の冬に日帰り手術を行った時点で、結果的に、もう胸っていう感覚ではないものに、その右胸がなっているわけですよね。なんかこう…普通の、胸ではない、なんかこう…ただ傷がここの右胸にある状態。普通に何にもない、膨らみもほとんどない、形としても乳房という形ではない、ただそこの位置に、右胸の位置に、傷があるという…それだけのものになったわけですね。

乳がんの語り

健康食品は宣伝文句であれに効いたこれに効いたと聞いても、科学的に実証されない限りは信用するのは避けている

今は基本的に、健康食品とかはそれほど、あの、頼りにはしてないですね。やはりあくまでも健康食品は健康食品なので、いくらこう宣伝文句で、あれに効いたこれに効いたっていうことを聞いても、それは、うーん、人によって違うので、体感っていうのは。それが科学的に実証されてない限りはやっぱり、深くそれだけを信頼する、信用するっていうのは避けていますね。それはなぜそう思うかっていうと、んーと、ある程度冷静になって、治療をしている、今、段階ですから。その時期、今の時期に、やっと落ち着いて(がんについて)勉強し始めた――普通の人より遅いんですけど、普通の人はなった瞬間に勉強すると思うんですけど――こう、私はあの一段落ついて、あー、なんかこう知りたいなって思って。それで振り返りながら勉強したときに、やっぱりどちらが信用に足るべきか、その、エビデンスの重要性とか、治療することに対しても、そういうエビデンスとか、そういうことを重視されているっていう、そういう専門家の方が、そういうことをされているっていうことを知ったりとか、いろいろなことをちょっとずつ、知る、情報を知るにつけ、それも根拠はやっぱり、いろんな根拠は必要なんだなーって思いました。

乳がんの語り

ウィッグ選びに苦労して、合うのが見つかるまで、いくつも買い替えた

ウイッグ選びとかはすごい大変だったんですね。で、最初、なんかこう、それを買いに行くのもなんか気恥ずかしい感じはしたんですけれども、行って、で、やっぱり、どのくらいの価格のものがいいのかというのもわからなくって、結構思ったより、高かったんで、基準が。それで、とりあえず最初に、安いのを一つ買ったんですよ。でも、なんかね、こう、コントじゃないんですけど、似合わないんですよね。
で、外から見たら、こう傍から見たら、いかにもかつら着けてるって感じで、髪質も違うし、おまけにこう背が高くないものだから、普段でも気にしてるんだけど、頭が余計に大きく見えて、なんか本当に自分で自分がなんかこう、嫌になって、自己嫌悪に陥るわけですよ。だから外に出れなくなったり、やたらこう、人目を気にするわけですよ。で、少しまたそこで、それで違うのを買ったんですね。ちょっとだけ、ちょっとだけ高めのものを買ったんですよ、同じところで。そしたら少しはよくなったんだけど、なんかまたこう、なんていうのかな、長さとか、形とか、髪質とかも、少しはよくなったんですよ。で、最終的には、いつもの自分らしい髪質と、髪色と、自分にほんとに似合うのを、選んで買ったら、やっぱりある程度、やっぱり高かったんですね。で、今から思うに、最初っからやはりもう覚悟を決めて、こういうものだって、ちゃんとしたものを選ぶことで無駄な出費が少なくなるわけなんで、その時点でも、本当にそういうことが気になる人は、誰か、1人じゃ不安とか、客観的な意見が聞けないっていう場合でしたら、お友だちとかご家族の方とか、誰か付き添ってもらって、こう本当に信頼関係のある人の同行の上で、そういう場所へ足を運んで行って、きちんと選ぶ。そういうことが必要だと思うんですね。それが、無駄な出費を防ぐことにも繋がると思うんですね。

乳がんの語り

しこりを見つけ、市の検診の機会に診てもらったが、「様子を見て大きくなったら来てください」と言われた

ある日、右胸に小さなしこりがあるのがわかって、ちょっと、なんだろう?と思ったんですね。で、まさか自分が乳がんだなんて思わないんですよ。家族で乳がんにかかった人間もいなかったし、周りにそういう人がまったくいなかったので。で、自分が、それになるなんてこう思ってもみなかったんで、全然その見当がつかなかったんですね。ただこう、しこりがある、なんだろう?っていうことで、一度、以前入院した病院の検査に、乳がん検診に、行ったんですね。確か市の検査だったと思うんです。安い市の検査が、年齢的に、そういう市の検診の葉書が送られてきて、ちょっと気になってたんで、受けてみようと思って、いいきっかけだと思って、(以前、別の病気で)入院してたところの病院に行って検査をして。で、そのときは、特に何も言われなかったんですね。良性、良性だったのかな、確か。それで、「あ、そうですか」、で、「しばらく様子をみましょう」とか、「また、もう少し大きくなってから来てください」みたいなことを言われたと、言われたはずと思うんですよ。で、「えっ?」と思って。ずっと振り返ってみると、あのときにこうしてればっていうのがたくさんあるんですが、そのときは、何も、どうしていいのかわからず、先生の言うことにそのまま従ったほうがいいと思って。この良性の、腫瘍についての、知識とか、悪性の腫瘍はどういうものかとか、深く先生に追求をまったくしなかったんですね。で、良性の腫瘍でも取れる、取れれば、それはそれで、先生に取りたいですって言えばよかったっていうことは、今では知ってるんですが、その時は何も知らなかったんで、良性だから、しばらく見ていて、大きくなったら、また行けばいいんだっていう感覚しかなかったんですね。

乳がんの語り

再発したとき、母親に病状をわかってほしくて、診察に連れていった。自分から母親に話すと元気そうに見えて理解が難しかったようだが、医師から聞いて納得したと思う(音声のみ)

母が診察に来たのはその1回だけです。で、「1回、じゃあ、先生の話をお母さんも聞いてみる?」って言って、連れていったので、もうその後は今日に至るまで1人で行っています。
 

――そのときは、どうしてお母さまに声を掛けてみようと思われたんですか?

もう記憶がないんですけれども、多分その再発したんだっていう話をしたときに、「お母さんも話、聞いてみる?」っていうふうに自然に言ったんだと思うんですね。それと、やはり病気を理解するっていうのがすごく、今もそうなんですけれど難しいんですね。どれだけ話しても姿かたちが元気なので信じきれないんですね。なので、私がどういう状況なのかってことを、まあドクターから聞いたら、ちょっと納得するかなっていうふうにも思ったと思うんですね、自分が。なので、一緒に行ったんだと思います。

――それは良かったかなというふうに思われます?

そうですね。どちらでもないんですけど(笑)、それで行って何か変わったとかっていうこともないですし、それは母自体がどう受け止めたかは分からないんですが、ただ、少なからずそこで、ああもう治らないんだなっていうことは、母も理解ができたのかなとは思います。