投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

診断がつく前に、体験者から話を聞く機会があり、がんになった以上は前向きに治療しようと思ったが、医師から渡された乳がんのパンフレットはすぐには見られなかった(音声のみ)

で、05年の6月2日に、その医療機関を受診しました。で、「どうして来ましたか?」っていうことだったんですけども。「自分で触って、しこりがあると感じました」っていうことで、もうその日のうちに、エコー、マンモグラフィ、触診、細胞診までされてしまったんですね。で、私がそのときに先生に、先生から、「乳がんですよ」って言われるまでに、私のほうからもう、そういうもろもろの一連の検査が終わりましたもんですから、確信したもんですから、明るく言ったんです。「先生、私、もう立派な乳がんですよね」って言いましたら、先生のほうが、逆に驚いたような様子で、「でも、まだ分からないよ」っていうふうに言われましてね。次の検査を予約をして、その日は帰ったんですけどもね。
で、それから1週間後がもろもろの検査ありました。MRIとかCTとかあって。その日に、実は看護師のほうから、「ボランティア室に行ってみない?」って声掛けられました。で、患者さんたちが、経験者もたくさんいるし、待ち時間、検査と検査の間、待ち時間あるもんですから、「その間、ちょっとのぞいてみたら?」っていうことで声掛けを頂き、ちょっと不安ではありましたけどのぞいてみました。そこには、乳がんを体験された方、おられたり、看護師さんもおられたりして、まあ、いろんな、お話をその場でも伺ったんですね。で、「ああ、こういう会があるんだ」と。で、「乳がんの患者さんも結構いらっしゃるんだ」っていうようなことで、「なった以上は、これから前向きに治療に向かっていかなきゃいけないな」と思いましたね。
それから「2週間後にすべての検査の結果が出るので、家族と一緒に来てください」っていうことでした。もう絶対間違いないと確信しました。でも、先生は「大丈夫?」って逆に先生のほうがね、私を気遣ってくださいましたね。
そのときに、先生から資料を渡されました。「乳がんを宣告されたあなたに」。これを頂いたときに、100%そうだろうというふうに思いましたね。でも、このときの資料は、この日、見れなかったですね、何となく。

乳がんの語り

サラリーマンの妻時代は検診を受けていたが、異常がなく安心していた (音声のみ)

検診っていうのは従来からも受けてはおりましたけど、特別、乳がんに対する検査で、今、マンモグラフィが当たり前になってますけども、当時はまだまだ、乳がんに関する検診の内容は、触診と、まあエコーぐらいですね。そのぐらいしかなかったんですね。で、田舎に帰る前までは、一応、サラリーマンの妻っていうことで、検診がありましたので、それは受けておりまして、まあ別に、乳房に関して異常があるっていうふうなことは聞いてなくって、安心はしてたんですが、田舎に帰りましてから、そういうサラリーマンの主婦ではなくなりましたので、そういう検診に参加する機会が全くなかったんですね。

乳がんの語り

病気のことは周りの人たちに隠さなかった。Drから勧められ、いろんな人にしこりを触ってもらい、がん検診を勧めた

私のこのしこりを。こっちだけど(右胸を指して)、しこりを、友達に触ってもらったんですね。「ここ、できてるんよ」って。したら、その子が、もちろん同い年なんですけど、その子が、「ああ、私も同い年だから、気を付けんといけん」って健康診断受けてくれたんです、その子は。そしたら、婦人科の検診で、子宮がんが見つかった。だけど、その子は初期だったし、会社とかの健康診断じゃなくて、自分、個人だけで健康診断受けてくれたんですね。で、見つかってくれて、そうたら、その子が、自分もがんなのに、「ありがとう、教えてくれて」って、言ってくれたんです。うん、じゃけえ、この子にも、私も助けられたし、その子も、いまだに「ありがとう。ありがとう」って。で、「同じ、がん体験者やね」って、今でも話が、その子とできるんです。だから、ね、「借金と病は隠したら駄目」っていうのがそこで、本当、家族は普通に、背中、うん、押してくれてました。

――そのお友達に、そのしこりを触ってもらったなんて、何だかとても驚くんですが、そういうことにも抵抗がなく? まあ、すごく親しいお友達だったんでしょうか?

いや、それはね、先生、看護師さんからの言葉だったんですけど、乳がんのその硬さっていろいろなんです。いろいろっていうか、乳首がへっこむ乳がんの方もいらっしゃるし、皮膚を突き破ってがんが出て、出る乳がんの方もいらっしゃるし。あと、しこりってね、しこりっていうけども、石の硬さとはまた違う硬さなんです。それは、触ったことのある人じゃないと分からない、乳がんの硬さなんで、先生が、「今ね、乳がんが23人に1人。これからもっともっと増えるだろう。だから、その乳がんの硬さを知ってもらうには、やっぱり触らせてあげるべき。べきっていうか、触らせてあげることが一番、予防にもなるんだよ」って。「だから、親兄弟はもちろん、触ってもらって、その硬さ、異常な硬さを、乳がんの硬さを知ってもらいなさい」って言われたんで、私はだから、余計にこう…「これ、ここにあるよ」って言いましたし、あと、抗がん剤で、まあ、ちょっとだけだけど小さくなったときも、「ほら、小さくなったじゃろ? 抗がん剤で」とか言って、いろんな方に。いろんな方って言ったらおかしいけど、触って、「自分もじゃあ、気を付けてね」って、言ってました。

乳がんの語り

抗がん剤はとても高いので、夫も残業したり、自分も副作用のない時に仕事に出たりしなくてはならなかった

まあ、もちろん主人は、残業を増やしたりとか、出張に行ったりして。増やしてくれたっていったらおかしいんですけど。やっぱり1回が、値段言ってもいいか分からないんですけど、赤い抗がん剤(FEC)は3週間に1回でも4万円ぐらいだったんです、1回が。だから、まあ、4回したら16万ぐらいですよね。で、白い抗がん剤(パクリタキセル)になったら、毎週だけど、1万5000か何か2万円ぐらい。トータルするとやっぱり一緒なんですよね。
だから、私は、抗がん剤の副作用が無くなったときに仕事に出てたんです。だから、木曜日に打って、日曜日までは休むけど、あとは半日でも2日に1回ぐらい出てっていうのもありますし。あと、国保だったんで、ある程度したら返ってきますよね。うん。だから、それを利用したりってありますけど、でも、やっぱり、経済的に苦しいんで、途中で止められる方もいらっしゃると思うんです。
これだけやっぱりがんが増えたら、その、ね。国からの援助も難しいとは思うんですけど、でも、もっとね、抗がん剤も安く…安くっていったらおかしいけどね。誰でもが受けれるべきであってほしいし。だから、やっぱりお金はものすごく、かかりましたね。

乳がんの語り

リュープリン注射を2年やって、ノルバデックスも全部で5年飲むことになっている

多分、乳がんの方だとご存じだと思うんですけど、ホルモンのプラスマイナスがあるそうなんですけど、私はホルモンがん(ホルモン感受性のあるがん)だったんで、ホルモン治療法ができるそうなんです。できない方、ホルモンが合わない人もいる。だけど、あのー、乳がんって今多いので、新薬が次々出てくるわけですよね。
だから、乳がんって言っても、治療法はさまざまで、今だったら、私は赤い抗がん剤(ファルモルビシンを含んだ治療)を先に行ったけど、ホルモンがマイナスの人は、先に、毎週12回の(別の)抗がん剤行って、(あとから)赤い抗がん剤を行くっていう治療法も最近はあるし。もう乳がんって言ってもひとくくりではないんですね。うん。
だから、私はそのホルモンのほうだったので、リュープリンっていう、3ヶ月に一度、ホルモンの注射。おしりに打つものなんですね。これがまたね、痛いんですよ。おしりに打ったら、例えばこっちに打ったら、帰りの運転でも何かこう(おしりをあげた姿勢で)こういう感じでするぐらい、まあ、痛いものなんですけど。で、値段も、まあちょっと高いんですけど、それを3ヶ月に1回を2年と、今それはもう終わって、今はね、ノルバデックスっていう、私は閉経前に乳がんになってるんで、閉経前に飲む、ノルバデックスっていうのを、1日に1錠を飲んでます。それが5年あるんで、今まあ2年飲んでて、あと3年、はい、飲むようになってます。

乳がんの語り

術前抗がん剤、手術を終えて、放射線治療が始まった。毎日通うのは体力的にはつらかったが、医師や家族に励まされながら25回の照射をクリアすることができた

で、退院してからは、ちょっと日にちを空いて、放射線を今度始めたんですけど、その間はね、何ていうか、気分が軽いから、「もう私はがんを取ったから、がん患者じゃないよ」って、いうのがあるから、気分が軽いんで、手術後(あと)だけど、いろんなことができたっていうか。うん。「家事も頑張ろう。手術でいなかった分、頑張ろう」とか言って、こう、できた。あと、抗がん剤の副作用ももうなくなってきたんで、もう体がすごく軽くなってたんで。
で、放射線を、受けることになったんですね。放射線は、あの、25回。で、表から1分、裏から1分、計2分を毎日。土日以外は毎日、病院に受けに行ってたんです。だから、放射線を2分のために、毎日行くっていうのが、もう、ねえ、ちょっと体力的にもしんどかったし。何か放射線もちょっとやっぱり食欲がなくなったりとか、いうのはあったんですけど。でも、放射線で、2分、当てるだけなんだけど、着替えの時間とかのほうがね、何か長いように感じるぐらい、放射線治療って短いですよね。うん。
でも、やっぱりね、治療の三本柱っていうか。抗がん剤、手術、放射線っていうのを、三本柱を、私は全部、病院の、主治医の先生、それから看護師さん、同志がいて、家族がいて、励ましてもらって、無事、放射線25回も、風邪も引くこともなく、何もすることなく、無事に、スムーズにクリアできたんですね。

乳がんの語り

自分は赤い抗がん剤(※)のときに赤いトマトがダメだった。家族には、吐き気があるときは「トマト食べる?」でなくて「何かほしいものがある?」と聞いてもらいたい

で、これは気付いたことっていうか、今、新しくなられた方の家族に、よく私は言うんですけど、抗がん剤で、こう吐き気があるときには、よく脱水症状に、なりますよね。あれにならないために、「水気は取りなさい」ってのはあります。でも、私の母親もそうだったんですけど、「食べないと、体力が戻らないでしょ」って言うんですよね。でも、食べても、もどすわけじゃないですか。だから、そういう母の言う気持ちもね、分かるんですけど、例えば抗がん剤して、吐くとき、吐いてるときとか、胸やけっていうか、ムカムカするときには、「これ食べる?」とか言って、ものを出すんじゃなくて、「何か欲しいものある?」って聞いたほうがいいかなと思うんです。例えば「トマト食べる?」って赤い抗がん剤打ってるときに言われたら、「トマトなんてね、真っ赤なんて、食べれるわけないでしょ!」って絶対答えると思うけど、「何か欲しいものある?」って聞かれたら、「今、ないよ」とか、まあ、「お水ちょうだい」ぐらいは言えて、どっちもね、こっちもそんな当たらない、家族も当たられないで済むから、うん、そういう聞き方のほうがいいんじゃないんかね、とは、言ってるんです。

乳がんの語り

セカンド・オピニオンを勧められたが、よく説明してもらって主治医や看護師を信頼していたので、その気にならなかった

先生も、当時、まだはしりだったと思うんですけど、「セカンド・オピニオンを受けたらどうですか?」って主治医の先生が、言われたんですけど、私は、主治医の先生が、納得できるまで、治療方針を、その日に言ってもらえたんです。だから、「頑張ろう」、「治そう」っていう気持ちになったんです。
でも、それが、当時はまだ珍しかったと思うんですけど、術前抗がん剤、だったんです。それに対しては、私も、だけど、家族が私以上に、家族が、術前抗がん剤、だから、半年間がんを持ったまま、抗がん剤で微少転移をなくすように…。だけど、がんは持ってるわけですよね。乳がんっていうその塊。だから、「それは大丈夫なのか」って。「半年も持ってるよりも、早く切ったほうがいいんじゃないんか」って。で、家族はもう、ものすごく反対ではないけども、「どっかよその大きい病院に、立派な病院がね、ほかの病院に行ったらどう?」って言われたんですけど、でも私は動く気になれなかったんです。今の主治医の先生とか、看護師さんとかに命を預けたかったっていうか、この先生とじゃないと、私は病気を治せないな、と思ったんです。

乳がんの語り

一日も早くがんを取り除きたくて胸はいらないと思ったが、夫の希望もあって温存することになった

今から思えば、初めて、病院に、今の主治医の先生がいらっしゃる病院に行ったときに、私は「もう1日でも早く、がんを取ってください。もう胸なんて要りません。がんを取ってください」って言ったんです。そうしたら、主人は「いや、これから先、まだ長いから、友達にしろ、自分にしろ、旅行に行ったり、海に行ったり、着替えるときでも、うん、困る…だろうから、先生、温存にしてやってください」って。でも、私は「先生、がんを、1日でも持っておきたくないんで、もう胸なんて要りません。取ってください」って。そうしたら、主人がまた「いや、残してやってください」って。うん。そういうのがちょっとあって、そうしたら、先生が「いや、きっとね、それはまだ、(術前抗がん剤の)治療してから決めればいいことだし、やっぱり胸って女の人の象徴だから、残したほうがいいよ」って先生が言われたんで、うん、温存っていうか、残すことを、決めたっていうか、(結局、治療して)残せることに、なったんです。

乳がんの語り

娘の嫁ぎ先の親戚にも、病気のことを伝えた。心配してくれると同時に、触れなくてもよいところは触れないでいてくれる優しさが有り難かった

だけど、今の人たちっていうのは、みんなある程度知識があるから、変にパニクったりとか、それから変に騒ぎ立てするとか、そういうことというのは、私たちの家族だけなのかもしれないけど、あんまりないっていうか。確かに、向こうの方の親戚もいろいろ病気している人もいるから、そういうときにも、その対処の仕方というのは、私たちの考え方とよく似てるのかもしれないけど、まあ、気持ちが分かる。だから、何ていうのかな、お互い、触れなくてもいいところまでは触れない。でも、ちゃんと、優しいところはちゃんと見せるとか、そういうところはやっぱり、ちゃんとできる人たちであったから、まあ、良かったかなというので。