投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

温存も可能だったが、乳房を全摘してリンパ節も広く取っておけば放射線治療なしで安心していられると勧められた

私の場合は、何か、あの、大きさが、2センチ以内で、まあ、そう広範囲に、リンパ腺のほうは切除しなくてもいいだろうっていうことだったんですね。それで、その、あれですか。あの、「部分的に切除して、リンパ腺も、小範囲に切除しますか」って言われたんですけれども、そこでね、ちょっと私も迷ったんですけれども、まあ、年齢がね、もう75に近いし、まあ、別に片方、乳房、切除しても、特に、あの、不自由なことはないんじゃないかなっていうふうに、自分で、判断しましてね。また先生もね、あの、「乳房、全部取って、そして、リンパ腺(節)も少し、広く取っておけば、手術の後も、放射線治療なしで、安心していられますよ」っていうことなんですね。ええ。
それで、まあ、私も、あの、一応はそういうね、医療のほうに従事をしていた立場ですけれども、いざね、やっぱり自分でそういう病気にね、なりますとね、何か今までの知識がね、何かどっか行っちゃったみたいにね(笑)、もうあれですよね。何かこう、役立たないっていう感じになってね、もう先生にね、「こちらのほうがいいんですよ」って言われるとね、「ああ、そうかな」っていうようなね、感じにね、なりましてね。じゃあ、乳房切除と、あと、そのリンパ腺切除をするっていうことで、一応、あの承諾書にね、署名をして、そして、手術をしていただくことになったわけです。ええ。

乳がんの語り

補整下着の専門店を紹介されたが、自分で工夫するのが好きなので、洋服の肩パットを使って下着を自作している

それでね、私、お友達なんかがね、やっぱり専門のそういう、何ですか。下着とか、パットとか、そういうふうなお店があるんだそうですね。だから、「必要だったら、そういうとこ、紹介しますよ」っていうこととか、あるいはそういうふうなパンフレット、いただいたりしたんですけれども、私ってね、いろいろ工夫するのが好きなんですよね(笑)。ええ。
それで、もう帰ってきてからね、すぐ下着のね、補整を始めたんですよ。ええ。それでね、今までいろいろな洋服を買って、買ったときに、肩パットが、入ってますよね。あの肩パットの、こう三日月の形じゃなくて、最近のは丸い形のパットが、多いですよね。ええ。あのパットをね、利用したんですよ。あれをね、下着の中にこう入れたり、ええ、したんですけれども。ええ。それで、あそこにちょっとね、綿花を、補整して、ちょっと自分の、私、右のほうでしたので、左の形に、こう比例するように、自分で適当にね、少し厚みを入れたりなんかして。ええ。それで、作りました。ええ。
だから、もう大体、下着はね、10枚ぐらい、あの、どれ着てもいいように、全部、補整してね(笑)。ええ。だから、Tシャツ1枚でもね、あれです。平気にいられるようになりました。
それで、気功をやってるんですけれども。退院してからもう間もなく、気功を始めたんですね。ええ。それで、女性だけの仲間ですけれども、皆さんに、驚かれました。「全然、分からない」って言われたんですよ。ええ。あの、Tシャツ着ただけでもね。ええ。そのぐらいに、自分で工夫すれば、そういう外見上のことは、解決できると思ったんですけれど。

乳がんの語り

あまり自意識過剰になっていると好きな温泉にも入れない、と思って、隠さずに入ることにした

それで、一度ね、思い切って、あの、温泉に行ってね、ええ、それで、もう脱いでみました。いっぱいね、女性客、いっぱいいらっしゃるところだったんですけれども、恥ずかしがらないで、あの、かえって、隠したり、いろいろすると、興味持たれると思いましてね。それは、あの、解決しました。もう、一度ね、そういうふうにしたら、もう2回目3回目はね、恥ずかしいことないから。ええ、ちょっとタオルでこういうふうに、前にね、タオルをこう、肩に掛けてね。ええ。そして、浴場に入って行ってもね、ええ、そんなに、あれですよね。人のことを関心持って見てる方も少ないし、かえって自意識過剰になってると、好きな温泉にも入れないから、もうその辺は。まあ、私も年齢(とし)ですのでね、若い方はなかなかそういうわけにはいかないと思うんですけれども。
最初は、私ね、パット、あの、パットの上に、あの、油紙って知っていますか。ええ。ありますよね。外科の治療でね。油紙をやって、そして絆創膏でこう貼って、そして入ろうかなと思って、そういうふうな用意はね、してったんですけれども、それしなかったんです。そしたらね、もう、素直に入れました。ええ。ですからね、その辺は、大丈夫ですね。ええ。
だから、かえって、やっぱり、自意識過剰になるとね、何ていうか、手術すると怖いっていうね、そういう気持ちが強くね、持つようになりますので。ええ。これからね、乳がんもいっぱい増えてくることですしね、ほかの人たちにも乳がんに対して、理解していただければね、そんなに、「乳がんで乳房の手術しても、恥ずかしいことじゃない」っていうふうにね、自信持ったほうがよろしいんじゃないかなっていうふうに私は思います。ええ。

乳がんの語り

頭が真っ白になり、がんなら一刻も早く手術した方がいいと思って、最初にかかった近くの病院で手術を受けることにした

それで、夕方ね、もう5時ごろだと思うんですけれども、いろいろな(検査)結果が全部出まして、それで、結局、「がんだから、手術以外にない」っていうふうに言われたんですね。
それで、私も、何か、ちょっとね、やっぱり不安な気持ちもあったんですね、診断に対してね。「ああ、もっと大きな病院で、きちっと、診ていただいて、それから、いろいろ、また考え直したほうがいいんじゃないかな」っていうふうに思ったんですけれども、やっぱりこう、何ていうか、「もしがんだったら、一刻も早く、手術しちゃったほうがいいんじゃないか」っていうような気持ちもありましてね、もう先生に「これは手術する以外に、方法はない」っていうふうに言われたんで、もうその場でね、「じゃあ、手術、させていただきます」っていうふうに承諾しちゃったんですね(笑)。普通ですとね、こう冷静にいろいろ判断して。後で考えるとね、「ああ、あのときこうすればよかった」とか、「もっと先生に詳しく、診断の結果を聞けばよかった」とか、いろいろ、思ったんですけれども、そのときはやっぱり、何ていうか、やっぱりね、頭が真っ白になるっていう状態でね、もう先生の、こう、誘導尋問にこうかかってるような感じでね、「ああして、こうして」っていうふうに言われたことにね、もう何かこう引きずられるような感じでね、ええ、もう何か、こう自分でね、決めてしまったんですね。

乳がんの語り

最初のがんのときは告知されて悲しみのどん底につき落とされた感じだったが、2回目は手当てすれば治るんだということが分かっていたので、安心感があった

がんになっても、何か手術をしたり、手当てをすれば治るんだっていう、そういうね、安心感っていう、そういうものはありましたよね。だから、別にそうね、ショックで、お話できないほど、よくね、泣き暮らすっていうふうな人もいらっしゃるようですけれども、そういうことはなかったです。
ただ、第1回目のときには、もうね、私、随分ね、泣きましたけどもね。「まあ、私ね、もうこのまま死んじゃったら、この後、どうなるんだろう」と思いましたよね。子どものこととか、主人のこととかね。うちのことはね。どういうふうになるかと思って。本当にもう、何ていうか、自分でもね、もうどうしようもできない、こう、あれですね。悲しみのどん底に、陥れられたっていう感じでしたね。ええ。
そういうことはなかったです、今回は。だから、そんなに怖がらないで、やることをきちっとやるっていうことがね、本当に大事だと思いますけれどもねぇ。ええ。

乳がんの語り

女性特有のがんだったことが周りに伝えにくい理由だった。ブログを通して周りの人に知ってもらうようにしたが、最初から誰にでも乳がんのことを話せなかった

最初から誰にでも言えるものではないなっていうには、最初は感じました。で、どうなんでしょう。もし、これが胃がんであったり、ほかの内臓のがんであったとしたら、もう少し最初から誰にでも、その言ったかもしれない。言えたかもしれないですけれども、これは8年前の子宮頸がんのときもそうだったんですが、やはり子宮頸がん、乳がんっていう、その女性特有のがんであることが、カミングアウトをするときのちょっと壁になったなとも思います。
ただ、私は、自分でですね、インターネット上にブログをすぐに、開設をして、自分の乳がんの闘病体験を、ブログにずうっと書き続けているんですけれども、それもただ最初は誰にでもオープンにするために書き始めたのではなくって、家族と、妹と一緒に暮らしていませんので、自分の今、置かれている状態を、伝えるっていうのを、都度電話でしたりするのに、非常にちょっと大変だったものですから、まああとは、すごく身近な友達ですね。その最初に相談した友達もちょっと遠方にいるので伝えないといけないと。
あとは、どうしても仕事上、伝えないといけない相手っていうのも、いたんですね。で、これが隠して隠して、隠し通せる場合も、まあ人によってはあるのかもしれませんけれども、私の場合はオープンにしたほうが、逆に自分が楽になる、仕事の仕方を、仕事の仕方というか、会社を経営していますので、どうしても休まなければいけないというようなことを相手に伝えるときに、どうして休まないといけないのかっていうのも、隠していると余計変に思われてしまいますよね。なので、そういうの、伝えるためにも自分がこういう病気になりましたということをきちんとお伝えする必要があったんです。
今は、もうどなたでもご覧いただけるような状態にしているんですけれども、やはり、最初からすべての人に、どんな人にでも、自分の状態を伝えられるというものでは決してなくて、まあ自分の気持ちの状態が良くなっていくにつれて、乳がんであるっていうことをオープンにしていけるようになったように思います。

乳がんの語り

会社の代表である自分が休むことで、会社の売り上げが半減してしまうため、事務所を撤収して経費を節約し、会社の維持のための資金調達をして治療に臨んだ

私は自営で、しかも、自分が会社の代表をしていましたから、自分が仕事を、100%今までどおりできなくなるっていうことはものすごくダメージが大きいんですね。まあ零細企業で、本当にもうSOHO(=小規模な個人事業所)でやっているようなちっちゃな会社ですから、自分がまあ稼ぎ頭っていうところがありまして。
仕事自体は、私がやっていた仕事のまあ半分は、スタッフにお願いすることができましたけれども、やはり自分がバリバリ営業をして、仕事を取ってきていた部分っていうのが全くできなくなりますから、会社の売り上げ的には、もう半減以下に近いところに、どうしても落ちてしまいます。で、それはもう仕方がないので、最低限会社が維持できるような…結局その収入が下がるわけですから、かかる経費も落としていかなければいけないという事態になりまして、最低限かかってしまう経費を少なくするっていうこともやりました。事務所を撤収したりですね。まあそういうことも処置をした上で、それでもう、会社を維持していくためには、少なからず資金を調達するという必要が生じまして、治療入る前に、ちょっとしばらく自分が治療に専念できるだけの、資金の調達をして治療に臨みました。

乳がんの語り

自分で生計を立てている人は、治療している間仕事が十分できないので、1年くらいは生活費もカバーできるような保険に入るか、その分を貯金しておく必要がある

私が入っていた保険は、女性特有のがんにかかった場合には、特に、たくさん支給…お金が出るっていう、そういう保険に入っていたんです。なので、今までかかった治療費分ぐらいはカバーすることができたんですけれども。それでも、じゃあ、それでいいじゃないかっていうわけにはいかなくって。治療している間は十分仕事ができませんから、治療費プラス…まあもし自分の稼ぎが生活を支えている人であれば、やっぱり生活費がそこで足りなくなってしまうんですね。なので、その治療費だけをカバーするものでは不十分で、それプラスアルファのものが、やはりないと安心して治療だけに専念するということは難しいものがあります。
なので、まあ今後の方のためにということであれば、その方がですよ、生活、生計を立てる主たる方でないのであれば、いいんですけれども、治療費だけをカバーすれば。そうでない場合には、やはり治療費プラス生活費で、それもある程度の期間、まあできれば1年間ぐらいはカバーできるような、お金が必要になってくるっていうことを念頭に置いて検討を考えられたほうがいいんじゃないかなというふうに思いますね。
ただ、もう一つの考え方としては、そういう病気にかかるっていうことを心配して、充実した保険に入るっていう選択をするか…でも、病気にかからない場合もあるわけですから、保険じゃなくって、貯金をしておくっていう、そういう方法もあります。ただ、保険に入るのであれば、中途半端な保険に入っても、私は損をするだけだなというふうに思いました。例えば、入院して一日5,000円とかで手術をしたときに10万円、それだけの保険はあまり役に立たないなと、どうせ入るんだったら、ちゃんとしたというか、そのそれなりの金額が出る保険でないと意味がないなあというふうに思います。

乳がんの語り

抗がん剤の副作用と知らず、はじめは異常だと思わなかったが、点滴中に腕が突っ張るような気がして看護師に言ったら、血管痛ということだった

副作用でいろんな吐き気だとか、倦怠(けんたい)感ですとか、発熱ですとか、いろんな副作用がありますよね。その中の1つで、その当初説明は受けていなかったんですけど、血管が抗がん剤によってダメージを受けてしまって血管が炎症を起こしてしまう、血管痛を起こしてしまうっていう副作用が出てしまったんです。
それが、2クール目に入るときに「何か異常がありますか?」って聞かれて、最初は特に異常だと思わなかったんですけども、副作用だと思ってなかったんですけど、「何かちょっとこの腕が、腕の中が突っ張るような感じがするんです」っていうふうに、私は最初感じて、まあそれが報告すべきものなのかどうかも最初は分からなかったんですけど、「取りあえず何か変わったことがあれば何でもおっしゃってください」って、看護師さんがおっしゃるので、それをお伝えしたら、「ああ、血管痛が起きてしまったのかしら」っていうふうに、看護師さんがおっしゃって。
で、そのとき初めて抗がん剤による副作用で血管の炎症、血管痛ですね、というものがあるっていうことを知ったんですね。その血管痛を起こしている薬は、FEC(*)療法の3種類の薬の中のファルモルビシンっていうものらしいんですけれども。それによる血管痛の副作用が出てしまうっていうことが分かって。で、2クール目はちょっと場所を変えて点滴を打って、それで様子を見ようっていうことだったんですが、結果的には血管痛がどんどんひどくなってしまって、それで、ちょっともう3クール目の点滴を打ったときには、とても耐えられない状態っていいましょうか、全くこの腕を伸ばしたりすることができなくなるぐらいの痛みが出てしまったので、これ以上やるとますますひどくなる、血管がダメージを受けてしまうということで、「FEC療法は4クールで終わりにして、薬を換えましょう」ということでタキソール療法を4クールやって計8クールというふうな化学療法、抗がん剤の治療をすることになったんですね。

*FECとは抗がん剤の多剤併用療法で、5-FUの一般名フルオロウラシル(F)とファルモルビシンの一般名塩酸エピルビシン(E)とエンドキサンの一般名シクロホスファミド(C)の頭文字をとった略称です。

乳がんの語り

リンパ節郭清をしたところは熱感があり、そちらの脇の下で測った場合とそうでない場合で体温に1度くらいの差がある

あと、温度が違うんですね。まだ、熱感があるんです。もう7ヶ月もたっているんですけど。で、私、毎朝、体温を測る、測っているんですけども、左で測った、傷も何もない、左で測った体温と右で測る体温とでは全然違うんですね、温度が。で、今は、やっと温度差が0.3度ぐらいになりましたけど、手術後は1度ぐらいの差があって、またこっちが35.8だったとしたら、こっちは36.5とか、それぐらいの熱感の差があって、その熱感の差がやっと、大分こう近くなってきて、それでもまだ差があるんですね。なので、外からは、傷からは見えないんですけど、内部をえぐる、リンパ節をこう取り去るっていうのは、ちょっとやっぱり時間がかかるものだなあというふうに。