投稿者「dipex-j」のアーカイブ

前立腺がんの語り

自営業で窯業を営んでいる。仕事が一度に固まった時が大変で、極力自分のできる量だけ受けるようにして、疲れたら休むようにしている

――お仕事に復帰されたのは、いつごろぐらいからなんですか。

えーとね、退院して、2年、3年…3年経ってからですね。はい。ま、もちろん、子どもが、家業をついでいてくれたから、その間私は、病気と、病気だけに専念して、あの治療を続けられたというのが、一つ幸運な面がありますけど。で、子どもが、私が元気になったばっかりに、他に転職をしてしまいましたんで(笑)、で、その、また、私が引き続き、お客さんとのお付き合いを続けているっていうのが、現状なんですね。はい。

――その、お仕事があることで、その病気の治療に対して、プラスの面とマイナスの面とそれぞれあるかと思うんですが。

そうですね。

――はい。

で、マイナスの面はね、何人かのお客さんから一度に仕事がかたまったときに大変なんですよ。だから、そういうときは、もう極力、自分のできる量だけ、うん、は、受けますけど、あとは、少し遅れますよと。遅くなりましてもいいですかということで了解いただいて、受けるものは受けますけど、そうじゃない急ぎのものは、まあ他の業者さんでお願いしてくださいって、お断りすることもありますねえ。やはり自分を、時間的に窮屈に縛ってしまいますと、その責任感のほうが重荷になりますんで。もう、これから、その企業として、利益がそんなに上げられる業種じゃないんで、まあ、そこそこ生活できればいいかなっていうぐらいの考えで、今は仕事に従事していますんで。まあ、とにかく疲れない程度のお仕事、うん、お引き受けしながらですから、お客さんも正直言うと、ちょっと頼りない面があるかもかりませんね、はい。そういう点では、マイペースと言うのかな、はい。自分の生活を、まあ、この基準で守りたいなと思う、その範囲内で仕事も進めながらやっています、はい。

――じゃ、あの、疲れたら休むっていうのは、お仕事にも。

そう、はい。

――きちんと、こう、反映させてらっしゃるんですね。

はい、はい、はい。だから、疲れたときは、1日事務所にずうっと新聞読んだりいろんなことしているときもありますね。うん。だからやっぱり、仕事に集中するっていうのは、やっぱり疲れていたら、いい作品できませんのでねえ。上がりが何となく気に入らないんですよ。はい。だから、一気に作ってしまえる、そういうものでも、もたもたもたもた作っているときは、必ず、出来上がった作品が悪いんですよ。ですから、もう疲れないそういう状況で作るというのが、集中して作るっていうのが、やっぱり、お客さんに対しても、うん、あの、結果的にいいんじゃないかなと思いながらね、うん、やっていますから、あんまり、仕事が苦痛になるとか重荷になるとかいう状況は作らないようにしています。はい。

前立腺がんの語り

ホルモン療法が著効した時期、パートででも仕事に戻りたかったので復職を職場に交渉したが、辞めて欲しいと断られた

で、どうしたかというと、失業手当をもらいましたね。それも難しい、症状がでると難しいんですよね。失業手当というのは、働ける前提じゃないと出ない手当なんですよ。傷病手当というのは、働けないからいただくという手当なんですね。で、ぎりぎりでどうしたかというと、働けるって、つまり、実はその予後もですね、えっと発病、病気であることが分かってから、最初はもちろんもう帰ってこられないかも分からない状態だったけど、当初、その抑える治療はとてもよく効くわけ、まあ私の場合はホルモン療法すごく効きました。
で、効く方もいっぱい、前立腺がんの場合多いというふうに思います。で、その場合、すごくQOL(※)良くなって、働ける状態に近い状態になると思います。私の場合は、えっと、その病気治療に専念しましたけども。だから、ちょうど休職期間終わる頃はですね、元気になってきましたね。そこで、休職切れるタイミングをこう見計らいながら(笑)、正直なところ、もう一回働くっていうことを選択肢の中に入れたわけですね。もうフルじゃなくても、私の場合は、例えばカウンセリングとか、キャリアサポートの仕事もありましたので、そういったことをやるかっていうこと。あるいは、社内で、社内のそれは、1回、会社には相談しました。現場に戻りたいっていう、復職したい。でも、やっぱり中小企業、厳しくて、拒否されましたね、実質的に。「辞めていただけたらありがたい」ってはっきり言われました。フルタイムじゃなくてもいい。私、自分自身の体のこともあるから、いきなりフルタイムの自信はなかったので、時間を短くして、曜日を、あるいは少なくするとかっていう相談に乗ってほしいっていうことは、会社に打診しましたけども、断られましたね。

※クォリティ・オブ・ライフ:生活の質

前立腺がんの語り

中小企業だったため休職期間が短く、退職後は手当を受け取れなくなった。末期がんで、闘病が長く続くような場合には社会的にサポートしてほしい

私は最初、病気が見つかってからは、もちろん仕事はもう休職しました。ただ、中小企業だったので、1年ちょっとしか、1年しかなかったんですよ、休職期間が。健康保険、ね、健康保険にはもちろん入っておりましたので、健康保険上はね、2年ぐらいは(※1)、本当は休職期間対象なんですね。休職手当(※2)というのが、健康保険で出ます。ところが、その前提というのは、社員であることが前提なんですね。会社がね、1年しか休職期間、認めないと、1年たったら退職になるんですね。そうするとね、社員の身分を失ってしまうと健康保険でのね、その傷病手当というのが効かなくなるんですよ。うん。使いたくても使えなくなっちゃうっていうね。
だから、その辺のことは社会的なサポートとして、末期のがん患者で、まだ特に前立腺がんのように、えっと、ある程度長く闘病が続く場合はですね、考慮していただきたいことですね。まあ、大企業や特に公務員、まあとても恵まれていて、休職期間もっと長いですよね。だから、休職中は傷病手当が出て、まあ最低でも6割…収入のね、それまでもらっていた 6割までは出るんですね。大企業だったら、ちょっと自前の補充分があったりして、8割出たりします。それから、休職期間も大手の場合は3年ぐらいとかっていうところも多いです。民間の場合でもね、でも、自分のところは中小企業だったんで、1年でしたね。そこはもうサラリーマンの場合ですよ。まあ自営の場合はね、まあ体をこう、いたわりながらでもね、多少こう、うまく要領よくやればですね、仕事はご家族の支援なんかがあればできると思うので、続けることは可能ですし、まあそういう意味で無理のない範囲で頑張るということもとても大切なことなので、おやりになったらいいと思うんですけど。サラリーマンで休職した場合はね、そこでどうするかということは現実問題として出てきます

(※1)正しくは一年半
(※2)正しくは傷病手当

前立腺がんの語り

放射線治療では、入院すると治療以外の時間は何もすることがないのが辛くて、職場には迷惑をかけたが、通院で受けることに決めた

あの、入院してもいいんですけども、その、治療する以外のときは、ただ、何もしないでいなきゃならないんですよ。これもつらいじゃないですか、だって。うん。だから、それよりも、やっぱり、生活のリズム、少し、治療しなければならないっていうのもあるんですけども。だからその分、その点、あの…職場の皆さんには、多分迷惑かけたと思います。皆さん理解していただきましたけどね。ある意味これは、地方公務員だからできたようなものであって、普通の民間の人だったら、ひょっとしたらクビになったかもしれないし。厳しいところで、そんなに簡単には…。やっぱり、思い切って入院でもしてもらったほうがよかった(って思っている)かもしれないですけど。まあ、わたしのある意味わがままで、ええ。そうやって外来で、通ってやらせていただいた。

前立腺がんの語り

学校法人に勤めていた10年前、前立腺がんであることを話すと、理事長から「手術して元気で帰ってこい、代理を立てておくから」と言われた

で、あの、当時の理事長に、実はこういうことで前立腺がんと言われましたと。で、あとでお話しますけど、その選択した手術を受けて退院しますんで、よろしくお願いしますと言ったら、理事長は「わかった」と、「十分ちゃんと手術して元気で帰って来い」と。「君がいない間はまあ、君はちょっと休職のようにしといて、代理を立てて、また帰って来てたら、君にやってもらうから」というように話されましてね。で、その勢いでもって、理事会のところでいきなり、実はこういうことですって、こう言ったんですね。そうしたらみんなが 「えーっ!」とかいうふうなことで、びっくりして、まあなかなか会議が前へ進まなかったんですが、まあそれはそれで、みなさんにご迷惑をかけますがよろしくお願いしますと、いう形で話しまして。
また部下のほうには、当時20人ぐらいおりましたけれども、朝礼のときに実は前立腺がんになったと。手術をする、そしてまあ1カ月ぐらいは仕事は空けるから、みんな頼んだよと、こう話しました。そしたらね、みんなシーンとしちゃってね、もう固まっちゃたんです。で、朝礼はほかのこともあって、次の私の部下の部長あたりがなんかちょっといろいろなことを言って終わっても、もう私の部屋のあれはなんか空気が固まっちゃったような、凍っちゃったようなのがしばらく、続きましたですね。だからもう一切病気のことやなんかっていうのは、部下はもう、なんとも言ってこないんです。私は当時今、今よりも10何年も前、がんになったらなかなか治りにくいという、まあ当時はまだそんなことですわね。

前立腺がんの語り

職場にはがんであることを隠さず伝えた。社内の同病の人から色んなアドバイスをもらったし、全摘手術で入院する際にはサポートしてもらった

入院期間中は、そのうちで、ま、連休をちょっと使ったので、その分が、あとは電話、ですかね。携帯電話が掛けられる、あの、病棟内にあったんで、それで済ました。で、あとはもう引き継いでおりましたんで、それでみなさん、みんながやってくれてたんで、そんなに心配はしなかったですね。もう会社の人も心配しなくていいからということで、サポートしてくれてました ので、ありがたかったですね。

――会社の方には、じゃあその前立腺がんのことはお話になったんですか。

もちろん支店長のほうに、真っ先に自分はがんだと、手術を恐らくするだろうから長期欠勤になりますからというお話をしたんです。で、心配したんですけど、お前早期だろう、どうせって言うから、どうせって言い方だったかな(笑)、多分そうだと思いますって。あ、そんなら大丈夫だからって、逆に慰められました(笑)。

――じゃあ職場の方には、わりと積極的に、ご自身ががんだってことはお伝えになってたんですか。

言いましたよ、生検の結果が出たとき、ちょっと今日結果聞きに言ってくるからっつって、行って、帰ってきてどうだった?って言うから「がんだった」って。会社の子が「きゃー」とか言って(笑)。却ってそのほうがいいからですね、本当は隠したほうがいいよっていう人もいるんですけど、もう私自身、隠すとかえってあれだからって、がんだがんだって言いふらしはしないですけど、聞かれたらがんだよって。そして、そしたらたまたま支店長か、そういえば会社の、あ、まあ本社の人ですけれども、彼も前立腺がんだった、もう退院してきたばっかりだぞって、そしたらすぐ彼に連絡取って、そしたらやっぱいろんなアドバイスしてくれましたよ。それはありがたかったです。

前立腺がんの語り

がんになってから、仕事で神経を使って帰っても、夜中に目が覚めてしまったり、逆に職場にいるときに眠くなったりすることがある(音声のみ)

2時半とか3時半、ま、1時半ころに覚めるときがある、あるんだけど、5時半とか6時ごろになると急に眠くなるの。そうなるとね、今度、朝起きれなくなるんだよ。ほんで、起きて無理やり起きて仕事行かなきゃならないでしょう。これがね、しんどいのね。だから、できることなら、少なくとも4時半ころに、あの、起きれるようにして、そこからずっと起きれるように、するようにするんだけど。そんでもね、6時ごろになってくると眠くなってくる。もう変だね、こう人の、あの睡眠のサイクルっていうのは、不思議なもんでさ。だから、うまくいかねえかなあって思ってね。だから、それだけ、あの、職、職場でいるときも眠くなるときがある。あと、仕事から帰ってきて、神経使って帰ってきても、で、そういう睡眠のサイクルになるっていうのは、つまり体全体が、あの、元気なときよりも、今、がんにかかっているときのほうが、疲れる頻度がね、あの、多分、どうなんだろう、多いような気がするなあ。こんなことなかったもの、だって。うん。

――だいぶ、こう、消耗しているっていう感じが強くなったんでしょうね。

うん、神経も消耗しているぶんっていうのもそうだと思うけども。体力よりも、神経が消耗しているような気がする。両方かな。

前立腺がんの語り

治療への不安と通院、新しい仕事が重なりパニック状態に。上司に相談したものの、特別扱いという訳にはいかず、段々うつ状態になってしまった

5~6年前になりますけども、 職場の、おー、元上司が、65でやっぱり前立腺がんで亡くなったということで、まあ、そのイメージがこう全部重なってきましてね、もう完全、もうパニックの状態。そういいながら、病院に通わないかんというようなこと。で、それに併せて、まあ、新しい……。新しい職場っちゅうか、まあ、あのー、組織は同じなんですが、再雇用で、そこで仕事もせないかん。それもさばいていかないかん。まあ、つ、そのー、職場の周りの方も、それなりにすぐ上司に報告したら、えー、まあ、それの、あのー、話は聞いていただいたんですけども、まあ、「あんただけ特別よ」っちゅうわけにはいきませんしね、当たり前の仕事は当たり前にやってかないかんということ。ほれで、だんだんだんだん、もう完全に、あのー、うつの状態というか、そっちのほうが、えー、現れてきまして。

前立腺がんの語り

リタイヤの直前で、現場の仕事はほとんどやっていなかったので、仕事には影響はなかった

もうその頃(診断時)は、現場の仕事はほとんどやってませんでしたからね。それから1年、71で、この病気とは関係なしにね、あの、リタイヤしたんですけど、リタイヤのちょっと前ですからね。そういう意味では仕事に、私の場合はね、影響なかったですけど。まあ、60代でなった人はやはり…何かいろいろ出てくるでしょうね。じゃなかったら自営業で、まだ70でも80でもやってる人なんかにとったら、やはり負担かもしれませんけど。

前立腺がんの語り

自分が知らないうちに、妻ががん保険の加入手続きをしていた。ホルモン療法は高額なので入っていて良かったと思う

幸い、そのがん保険、ちょうど入ってましたから。あの、うちのやつが管理してるから、幾ら入って、どこまで使って残(ざん)がいくらあるのかとかって、全く分からないですけどね、私はね。その出掛けるときに、あのう、(ホルモン療法の)注射のお金と薬のお金と、ていうことで、じゃあ、って渡してくれますからね、その保険の中からね。だから、私の小遣いからとかじゃなくて、治療に関しては行く時々にもらっていきますから。だからそれは、まだまだ保険の中で対応してんじゃないかな。うん。

――ご自身はね、がんなんかあんまり自分に縁がないと思ってらっしゃったと思うんですけど、その入るという決断はご自身でなさったんですか?

知らないうちに入ってたもの、彼女が。で、引き落としは私の通帳からですけどね(笑)。うん。友達が結構保険屋さんとかいますから、うちのやつも、私、もともと親の商売継いだ仕事もあったんですよ。で、ここ20年前にオープンして、ずっと役員で来たっていうのがあって、それで、うちの商売は女房にもう任せっきりなんですよ。で、そういうお客さんの中でね、保険屋さんとか、いろんな人がいて、それで加入したんじゃないですか。うん。良かったですね、入っていてね。

――賢明な奥さまで。

(笑)、そうそう。入ったのを言わないでね、引き落とすだけ引き落とさせといてさ。でも・・・何があるか分からないっていうのか、こんな良いことはなかったですね、良かったですね。