診断時:39歳
インタビュー時:44歳(2008年6月)

首都圏在住。2003年、産後8ヶ月で左乳がんを診断され、翌年1月に乳房切除術+リンパ節郭清術、術後は抗がん剤治療と放射線療法を受けた。術後10ヶ月で肝臓と骨に転移。その1年後、卵巣転移で子宮・卵巣摘出術。薬物療法をしながら、現在に至る。 夫とこども1人の3人暮らし。両親は健在。元会社員で妊娠を機に退職し、現在は無職。

プロフィール詳細

首都圏在住のKHさん(仮名)は20歳頃に左乳腺の良性腫瘍を切除した経験がある。その後、定期的にマンモグラフィやエコー検査を受けてきた。39歳で妊娠し、出産3ヶ月前に乳房の定期検査に行ったが、妊娠中で十分な検査ができず、出産を迎えた。産後3ヶ月位に乳腺炎となり、助産師にマッサージを受けたが、マッサージでは取れない左乳房の固い部分が気になっていた。

産後8ヶ月頃、定期検診のつもりで乳房の検査に行くと、検査中の医師の様子で異常を感じとった。検査結果を待つ1週間の間、非常に不安な日々を過ごし、そして、細胞診でクラス4という結果が出た。「あなたの場合は進行が早いからすぐに専門の病院を受診するように」と勧められた。その時に「がん」というだけでなく、「手遅れで助からない」と言われたようで、いきなり目の前が真っ暗となった。

紹介された病院での、再検査で左乳がんの確定診断がついた。こどもが1歳になる前、手術のために授乳をやめ、2004年1月左乳房切除術+リンパ節郭清を受けた。リンパ節にはレベル3(鎖骨下)まで転移があり、術後は抗がん剤治療(CEF6クール)の後に、放射線療法を行って一連の治療は終了した。抗がん剤治療中から、倦怠感が強く、精神的にも辛い状況となり、抗うつ剤の投与やカウンセリングを受けるなどした。また、わらをもすがる気持ちで数多くの民間療法を試したが、結局はストレスになり、効果も支えも得られなかったので、その後きっぱりと止めることにした。

やっと落ち着いてきたころ、術後10ヶ月目に腫瘍マーカー「CEA」が上昇。肝臓と骨への転移が見つかり、いつかは来ると覚悟していたが、ショックを受けて診察室で倒れてしまった。しかし、この頃にはセカンドオピニオンやがん情報サイトを活用して、上手に情報収集ができるようになっていたので、再発の治療について、医師と相談して納得のいくよう決めることができた。そしてハーセプチン、タキソール、アレディアによる薬物治療を始めることとなる。

再発して1年後の2006年、それまで経過は順調だったが、今度は卵巣への転移が見つかる。そのため、卵巣+子宮摘出術を受け、ハーセプチンとアレディア(その後、ゾメタに変更)はそのままでタキソールをナベルビンに変更した。以後、2年半、治療継続しながら、経過を見ている。

初期治療中は非常に落ち込んだが、体調の回復に伴い、気持ちも安定した。今は、生活の5本柱を立て、やりたいことは諦めずにやって、充実した生活を送っている。今後、どのような状況になろうとも、気持ちだけはがんに明け渡したくないと思っている。がんになって、こどもと過ごせるはずの将来を考えると耐えがたいが、そんな病気の自分を支えてくれるのも子どもの存在である。

私は: です。

(アンケート結果の扱いについては個人情報の取り扱いについてをご覧ください。)

認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。

ご支援
ご協力ください

モジュール一覧