これからのことについて言えば、どうなっていくのかまったくわかりません。1ヶ月後に、また病院に行って経過を見るための検査だけをしてもらうことになっています。骨に転移したがんは治りません。それはある意味では理解できます。がんはここにあるんですから。医師たちはコントロールして、これ以上広がらないようにするんだ、というんですが、(この先のことは)誰も私にはっきりとは言ってくれません。たぶん彼らにもわからないんでしょうね。私が再び、まったく普通に歩けるようになるのか、それとももっと悪いことになって、最終的にはがんで死ぬことになるのか。ある意味、私はとても前向きに考えています。アリミデックスは確かに効いてる感じがしてますから。自分では、楽になっている感じがします。歩くのも、椅子から立ち上がるのも楽になっています。自分の中ではいろんなことが楽になっています。みなそれぞれ違うと思うんですよね。がんの種類もできる場所も、治療に対する反応も人それぞれですよね。ひとりひとり違うんで、エンジンの歯車の歯を1つ抜き取って、また戻して付ける、というようなわけにはいかないでしょう? みんな違うんです。ですから、今は調子がいいいけど、これからどうなるのかはわからないのが不安ですね。
投稿者「dipex-j」のアーカイブ
手術を受けたあと家に戻り、半年後に転移の恐怖が襲ってきました。精神的にひどく落ち込み、憂鬱でした。まるで自分が癌にコントロールされているかのように感じました。結局、抗うつ剤を使うことになりました。だって座っていたと思ったら次の瞬間、突然泣き出していたのですから。
でもサポートグループとデイセンターの助けで私の人生は変わりました。
話し相手が必要なのです。誰かに話せば、乳癌と戦っているのは自分だけではないということが分かるからです。毎日何千人もの女性たちが戦っているのです。
この前私は、「乳癌を最高だと思っている」と言いました。ばかばかしく聞こえますが、でもこれこそが私に起きた最高の出来事なのです。なぜって、それがあったからこそ実際に今、みんなと出会い、社会生活を送っているのですから。
私の人生は以前とまったく変わりました。乳癌になる前と全く違っています。
私は他の女性たちから多くの助けを得ました。世の中には実にたくさんの勇敢でとても素晴らしい女性たちがいるのですね。本当に、乳がんは患者を成長させることになると思うの。そう言うのは本当はおかしいのかもしれないけれど、私は他の女性たちと姉妹のような絆をすごく感じたのです。
既に乳がんにかかったひと、いま乳がんになったひと、そんな女性たちの間に、こんなに良い感情が生まれ、お互いに連帯し、おたがいを気遣う、それはとても、とても素晴らしいことだと思いますよ。
たとえば、外出して乳がんにかかっている知り合いと会うとします。「お加減はいかが?」「私は元気よ。あなたはどう?」「元気よ」「次はいつ行くの?」「あら、もう行かなくちゃ。」 これは本当の仲間意識でとても快いものなの。素敵な親密感ね。(乳がんになったから知り合ったわけで)すごく良いことがご縁で生じたことじゃないのだけれど、でもやはりある種の親密感だわ。これで話はおしまい。
ある朝私は保健医療センターに行きました。一人の素敵な看護師さんが私の名前を「××さん」って呼んだの。彼女は私の傷に包帯を巻いただけではなくて、元気づけてくれたの。
彼女は私に何でも話してくれて、気持ちの持ち方や、私が落ち込んで疲れたと感じても気にしないことって言ってくれたの。だって、私は家事に疲れていたから。
そうしたら彼女はこう言ったの、“そうね、あなたはそれ(家事)をするつもりはないんだとだけ言えばいいのよ”って。そう、彼女はものすごく素晴らしい人だったの。そして今では私は彼女に会うたびに、そのときのことを思い出すの。だって、彼女は私を本当に助けて、励ましてくれたたった一人の人だったから。彼女に会うのがいつも嬉しかったわ。(結局は、家事をしてもらうために看護師にきてもらうことにしたのです)
1日中調子のいい日もあるんですよ。大丈夫だと思えて、自由で幸せな気分がするんです。ところが次の日には、気持ちが逆戻りしてしまって。「ああ私はがんなんだ」って。
「ああ神様、なぜ私のこのがんが消えてしまわないんでしょう」と思うんです。でも、これが人生なんですね。向き合って生きていかなければなりません。
――では、調子のよくない日はどのように乗り切ったのですか?
お祈りをしたり聖書を読んだりしました。私はカトリックで、教会からもらう小さな本が何冊かあるんです。それを読んで、ロザリオのお祈りを唱えます。ロザリオのお祈りを病院の行き帰りに唱えることもありました。お祈りをすると心が安らかになります。他の方はどうかわかりませんが、私の場合は、お祈りをすると緊張がほぐれてリラックスできるんですよ。
手術の前には、前日に、聖餐をいただきました。それで心の準備ができたんです。どんなことが起こっても大丈夫と、覚悟がきまりました。うまくいって、神に感謝しています。
私は根っからのクリスチャンだから、もちろんお祈りをしたわ。だけど、治りますように、とかそういうことを祈りはしなかったわ。ただ、これを乗り越えられるように、神の安らぎを願ったわ。ただ安らぎがほしかったの。正直どんな宗教であれ、信仰がないと、こんなこと乗り越えられないんじゃないかと思うのよ。私自身は熱心なクリスチャンだけど。
人生最悪の時でも神様はそこにいてくれたわ。だから話しかけることができた。神様に頼ることができたの。聖書を読んでいた時、その中の言葉が私の目に止まったの。何百回も読んだはずの聖書の言葉が、初めて読んだかのように私の胸に飛び込んできたのよ、神の約束の言葉が。「我、汝を去らず、汝を捨てず。汝には明日あり。汝に計画を与えん。」他にもいろいろな言葉がね。私を励まし続けてくれたのは信仰であり、みんなのお祈りのおかげよ。化学療法に行くときは、みんなそのことを知っていたから。それはもう、身体的な感覚と言ってもいいくらいよ。祈りを捧げているとき、気持ちが高まるわ。
間違いなく、誰が本当の友達かわかるようになる。ええ、少なくとも私は確かに自分の友だちが誰だかわかったわね。
中には病気のおかげで、より親しくなった人もいる。特にずっとそばにいてくれた友人とは絆が深まったわ。彼女は私にとってぴったりの人で、大騒ぎすることもなかったし、私を病人扱いすることもなく、かといって元気を出すよう無理強いすることもなかったの。
そして私たちは、外出したり一緒にいろんなことをしたわ。つらいこともほとんどは、いいえ、すべて一緒に乗り越えてくれた。
友達の中には,私に起こった現実を受け入れることができず,いろいろ相談しようと尋ねる前に,私から離れていってしまいました.それはとても悲しく,屈辱的な出来事でした.しかし,息子や家族はとても親切でした.義理の娘(息子の嫁)は2冊の素晴らしい本を買って私にプレゼントしてくれたのですが,それらの本は実に役にたつ本でした.息子はインターネットの使い方を分かりやすく説明してくれました.PCを持っていなかった生活から一転,乳がん発症という出来事を機にインターネットを使えるようになりました。また,彼は私をインターネットカフェに連れて行って、ビデオの閲覧できるサイトを見せてくれました。私は術中放射線治療について言われていたので、そのことを調べてみたかったのですけど、沢山の情報がありましたし、「タモキシフェン」についても大量の情報が載っていて、知りたいことは何でも見つけることができました。
そうですね、私が乗り越えられたのも、私の家族がとてもすばらしく、すばらしい仲間だったからだと思います。母とはずっと仲が良く、父とだってもちろん仲は良かったですが、突然、いつも両親と一緒にいるようになったんです。それで、私はまた子どもに戻ったみたいに、家族に100パーセント頼り切った状態でした。特に一番具合が悪かった何週間かは。
そう、10代の頃は、何だっていつも友達の所へ飛んで行ってました。それが突然、いつも家にいるようになって、家族が傍にいてくれることに本当に感謝する気持ちが生まれました。夜に家族と一緒に座ってテレビを観たりなんて、今まで全くやらなかった事です。でもそういった事が本当に楽しかったし、今では両親と一緒にいることが大好きになりました。
昼や晩にテーブルを囲んで話したりすることを本当に幸せに感じます。それに父と一緒に外出するのは本当に楽しい。今までそんなの一度もした事なかったんですが、本当に楽しかったですよ。
私が癌である話をすると、娘は非常によく受けとめて、「きっとよくなるわよ」と言ってくれました。私は彼女から闘う勇気をもらいました。ええ、彼女は本当によくやってくれました。彼女は大きく成長しました。学校へ行く日は朝早く起きます。私はベッドで眠りながら、彼女が学校へ行く支度をしているな、と思っていればよいのです。彼女は起きて入浴し、戻ってきて私のために朝食を作り、ベッドまで運んでくれます。それに、私が洗濯をしなければならないときにも、彼女はそばにいて、私と一緒に何もかもやってくれるのです。ある日、寝ていた私が目を覚ますと、彼女がマッシュポテトと何種類もの野菜とソースを準備してくれていました。私は驚きました。だって、それまで彼女はそんなことをしなかったのですから。彼女は早起きなので、私が起きる前に家の掃除をしたり、本当に驚かされました。