インタビュー時:51歳(2011年10月)
関係:妻・嫁(夫と義母を介護)
診断時:義母82歳、夫54歳(インタビュー本人07)で診断されたのは妻(嫁)46~48歳の頃

2007年に同居の義母が認知症となり、義弟と介護していたところ、大学教員の夫が2009年に若年性アルツハイマー型認知症と判明。当時、夫・義母・義弟の4人暮らし。妻(嫁)は保険薬局で医療事務フルタイムの仕事の傍ら認知症の2人(義母と夫)を自宅で介護。2011年義弟は再就職して独立し、義母はグループホームに入所。夫婦2人暮らしとなる。夫は精神障害2級認定を受け、1年半の休職中。家族会での情報交換が役立っている。

プロフィール詳細

近畿地方在住のR.M.さんは10数年来、保険薬局で医療事務員として働いている。2008年4月、息子の関東での就職が決まった直後に、大学教員であった夫がメールの送信法がわからないと言い出した。以降、学校に行くのも嫌がるようになり、5月には心療内科でうつと診断された。夫は認知症の母の介護を理由に休職し、抗うつ薬を服用するも、頭が重い、疲れる、朝起きられないと改善しなかった。秋には復職し、授業数を減らしてもらい、つらいなりにこなしていたようだった。

R.M.さんは仕事柄、うつではないと考え始め、09年5月に脳神経外科への受診を勧め、9月に脳の精密検査の結果、若年性アルツハイマー型認知症と診断された。ショックではあったが納得できた。夫もネットでずいぶん調べており、予期はしていたようだった。当初から、この病気を疑っていれば、と1年半の歳月が悔やまれた。義母の認知症も進んでおり、二人の介護を働きながら続けられるのか、仕事を辞めて経済的にやっていけるのかと、様々な思いが交錯し悩んだ。復職から1年、大学から退職を迫られたが、家族会のパンフレットの記事を思い出し、電話で助言を得、1年半の休職扱いを勝ち取った。家族会での情報交換は、先々に起こることを予め知ることができ、気持ちの整理に役立っている。

夫は診断後数カ月から時計の文字盤が読めなくなり、その後、お金の計算ができなくなった。大学に行かなくなってからは目に見えて言葉が出にくくなり、主語が抜け、強く印象に残ったことや漠然と記憶に残っていることを口にするので最近は特に会話が成り立たない。さびしい思いをさせていると思うが、忙しいと夫の話を最後まで待つことができない。この1~2カ月は、服やカバンや持ち物にすごくこだわり確認作業を繰り返すようになり、症状が進んでいると思う。診断1カ月後からアリセプトを服用し、2010年の春から心療内科医から紹介されたアリセプトと併用可能な点滴静注薬の治験に参加している。

夫はサポートセンターでの作業や、家族会での短い英語のレッスン、母の見舞いや教会の人々との外出など、出かけることも多いが、R.M.さんの携帯に頻繁に電話をかけてくる。社会と関わり合っていたいのに、それが一つずつ削られて行く状況がつらいに違いない。リストラにあって自宅で一緒に義母をみていた義弟も2011年7月には再就職、4年前から認知症になった義母も8月にグループホームに入所し、夫婦2人暮らしになって、肉体的には楽になった。今は夫をよく見なくてはという意識が強く、英語や日曜の教会に一緒に出かける時間がかけがいのない時間と思える。

夫は精神障害2級の認定を受けた。自分なりに病気を受けとめているようだが、近隣の人や親戚には未だ病気のことを話せずにいる。保険薬局での仕事は好きで、介護を行っている自分にとっては気分転換にもなっているが、フルタイムでの勤務がいつまでできるのか、経済的な面もあり、いつ見切りをつけるかを考えている。

私は: です。

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