投稿者「dipex-j」のアーカイブ

前立腺がんの語り

今、座禅をやっている。座禅をしても病気は治らないぞと言われるが、生きていることへの感謝の行だと思っている

今、座禅にね、ここんとこ行き始まったんですよ。まあ、いろいろ、今まで仕事がね、結構あったんですよ。本当は見ていただきたいぐらいなんだけど。うーん、劇も、2年がかりで劇もやりましてね。あと、そのパンフレットだけ持ってきますけど、それも終わったので、座禅を始めたんですよ。で、坊さんに、もう坊さんももちろん知ってますからね、私の、このがんだっていうのは。で、「座禅、今度、やらしてください」、先生、「座禅なんてやったって、病気治んねえぞ」って言うんですよ。でも私は、「いや、病気、治んなくたっていいんだ。今はもう、生きてることだけで楽しいから、感謝の業行(ぎょう)だと思って来るんだから、やらせてくれ」「ああ、どうぞ」っていうんで、今、毎週日曜日ね、ここから40分ぐらい歩いて、お寺があるんで、そこへ行って、座禅をやってきてます。

前立腺がんの語り

死を笑って迎えられたらいいと思う。死を当たり前のこととして、淡々と使命に燃えて生きられればいいが、そこまでは行けず悩んでいる(音声のみ)

まあ、ちょっと夢なんですけど、死を笑って迎えられるっていうか。あるいはそれ、そのことを解き明かしたいっていうか、それを、何ていうかな。別に死ぬことを恐れないっていうことをできれば、すごくいいなっていうか。あるいは、そういうことを、うん。まあ非常に難しいことかとは思いますけどね。人類史上、最も傑出したと言われる釈迦ですら、有名な生老病死っていう四つの苦しみを言ったということは、多分、彼も死ぬことは苦しいことだということは知ってたっていうか。
「文藝春秋」がずーっとね、そういうがんで死ぬような人のこととかを特集してましたけども、やっぱりかなりそういう偉い人がいてですね、医学部の先生ですけども。公衆衛生の有名な先生ですけども、何か胃がんか何かって分かって、まあ、それから1年ぐらいで亡くなるんですけど、当たり前…別にそれは、ごく死は当たり前のことだと。誰もが通ることやということで、最後まで淡々と、全力で仕事された。そういう方は結構いらっしゃるんですけどね。なかなかそこまで、残った人生をとにかく使命に燃えて生きれるかっていうと、今ちょっとそこまでいけてなくて、うーん、むしろ自暴自棄になるとこまでいかないにしても、意欲という意味では、うーん、落ちているかなと。限られた時間しかないっていう中でどうしたらいいかっていうのを、ちょっと、うん。悩んでるかなってとこですかね。

前立腺がんの語り

若い頃巡り会ったメーテルリンク「青い鳥」という本が、今がんと向き合う心の支えになっているのかもしれない(テキストのみ)

あの、もう一つ、そうですね、加えるとすれば、うーん、まあ、早期診断・早期発見というのはこれはどこの世界、どの医学の世界でも大事なことですが、ただ、がんのできる場所によって運もありますから、前にも申しましたように、不運があったらこれはもうしようがないんだと、半分あきらめて、残りの半分は、じゃ、この運命をどう切り開こうかという方法論を自分なりに探すということが必要じゃないんでしょうかね。それは非常に難しいことですけれども、自分なりにどう判断するか。
私が昔、高等学校のときに考えたのは、メーテルリンクの「青い鳥」、メーテルリンクは生物学者でもありますが、私はむしろ「青い鳥」を読んだときから彼は哲学者だと思っているんです。チルチル、ミチルが、青い鳥を探していくときに、未来の国という所へ行ったんですね。そうするとそこでたくさん命(生まれていない子供たち)があるんですけれども、肉体の数が少ないんで地上に降りて行く順番を待っている。で、命が、順番が回ってきたときに肉体をもらって地上へ降りていくんですが、その生まれていない子供が持っている袋は何かと聞くと、天使が、「生まれていく時持って行くもので、中に猩紅熱と百日咳とはしかが入っていて、それで死ぬ」という。「生まれる意味がない」というと、だってしかたがないんでしょうと(つまり、運命だと)。これを読んだ時非常に恐怖にとらわれた。たまたま夜、寮で読んでたせいもあるんですが、こうやっているのを、上から誰か偉い人が見てるんだと思ったら身動きできないくらい怖くなって、それで便所へも行けないんですね。で、大便に行くときは、同級生、もう亡くなった、ある大学の教授になった人ですけど、同級生に、おまえ、便所までついていってくれといって便所までついていってもらって、で、その臭い前で待った。ほんとに臭い仲だなと言いながら、まあ、後で言ったジョークですけど、そのときはそんなジョークは言えませんが、その友達が便所までついていってくれて、それで部屋へ帰って。で、排尿は寮の窓からすりゃいいんですから、寮の窓というのは、寮の雨と称して寮雨、寮雨と言いますから、それは楽なんです。ですから、窓の下はアンモニアが強くてだんだん苔が生えなくなったということもありました(笑)。そういうことで、怖かったんです。で、ご飯も食べれません。怖くて。だから、食堂行かずに、賄いから、病人食というか、食事だけ運んでもらって、それで2日ぐらい学校を休みました。自分で診断書、じゃなくて、欠席届を出すんですね、昔の高等学校、旧制の高等学校ですから。で、扁桃腺か何か書いたんですかね、何か欠席届を友達に出してもらって休みました。
で、2日目の日、ふっと気が付いたら、なるほど天使は生まれたときと死ぬことは言ってるけども、地上についてのことは何も言ってないと。地上については、そういう誰か偉い人はわれわれを支配してないんだと。ふっと気が付いたら、それから急に明るくなって、「おれは自由だあ」って、寮の廊下じゅう怒鳴り回って歩いて、みんなが出てきて、「ああ、良かった良かった」ってみんなが一緒にストームやってくれたりして、そういうことがありました。だから、「青い鳥」は、私にとっては、今でも人生を考えるための、本当のバイブルなんですね。

前立腺がんの語り

生と死を対決したものとして見ると、悩み、苦しみが出てくる。生死は道連れで当たり前のものだと思えば、そんなに悩まないのでは

がんになったら自分は、の人生が短いとかね、あと何年しか生きられない、そういう思いは持ってません。それはもう全然別問題ですね。あの、がんになろうとなるまいとね、人間ていうのはやっぱりいつか死ぬわけですし、生と死という考え方は私、持たないんですよ。あの、「生死(しょうじ)」という仏教ではよく使いますけどね、生と死、生死(しょうじ)という。結局生まれたときから生と死は道連れだろうと。やっぱり生きていくっていうのは死に近づくわけですしね、そこんところがね、生と死という対決したもので見ていくと悩みが出てくるし、苦しみが出てくると思うんです。やっぱりそういうもんだと思っていけばね、そこに死が身近にあろうと先にあろうとね、それはもう避けて通れないっていうのかな、それは当たり前のことだと思えばね、そんなに悩むこともないのかな、と私は思いますね。
あのー、日本人、あんまり死ということを考えませんからね。いつまでも生きて、生きられるんじゃないかっていうような感覚持ってますけどね、やはりそういうもんでもないですからね。だから、割と私は、あの、いろんな人に相談されたり、身内の人にもよく言われますけども、うちで死にたいってよく言いますよね、患者さん、友達でもね。僕はいっつも言うんですけどね、うちで死にたけりゃね、自分であきらめる。そんなとことんまでいい医療受けてね、スパゲティみたくはっ付けてね。家族が介護できないようなね、ものをやって、しかもそれで苦しんで1年も2年もね、治るって分かればいいんだけどね、そろそろうちで死にたけりゃあきらめると言うんですよ。冷たいって言いますけどね、僕は、そう思いますしね。
自分ががんになって、つくづく最近よく、余計に思いますしね。私もがんになってるから、そういう意味じゃ、若干説得力あるんだと思いますけどね。すべてをぜいたくに、すべてを満足させて、…ていうことはなかなか不可能なことでね。なかなか、がんになって死というものを考えたときに、死っていうのは難しいな、と。それをどう自分自身も理解し、人にもどう理解してもらえるのかなってこと考えますね。あの、宗教的な言葉を使ったりなんかすることも簡単なんでしょうけども、まあ、あんまり私も信心深いほうじゃないですからね、なかなかそういうときにいい言葉出ませんけどもね。

前立腺がんの語り

15歳で肺結核になり死について考えた。死は怖いが金子みすゞの詩にあるように何万匹もイワシを食べた人間として、この辺でやめてもいいかと思う(テキストのみ)

15歳のときに肺結核になって、1年間、療養所に、入ったんですけど、周りに重病の人が多く、次々と死んでいっちゃうんですね。それで、そういう人たちの死んでいくのを見ましてね、まだ15歳なのに、死っていうことを考えざるを得なくなっちゃってね。
1人の方なんかもう悲惨でしたよ。個室病棟にいまして、危篤だっていうことで、看護師さんが僕らに言いに来たんですよ。で、僕らが走って、その病室行きましてね。もう亡くなってたんですけど――おじいさんが、抱いてね、親1人子1人だったの。「この子は、特攻隊崩れで生きて帰ってきたんだ。この子を亡くしたらおれは生きていけねえ。今晩一晩だけでいいから、この子を抱いて、寝かせてくれ」、そう言ったんです。看護婦さんは、「私たちは仕事としてね、亡くなられたら、病室には置いとけません。霊安室に運びますから、そちらへ行ってください」と言ったわけです。そしたら、「おれは、このベッドでね、息子と抱き合って一晩寝たい」って、うわーっと泣いちゃってね、見ておれなかったですよ。「特攻隊から、やっと生き延びて帰ってきて、こんなになっちゃって」ってね。まあそういうこともありました。
僕は75になりますから、覚悟を決めていいんじゃないかなという気持ちがするんです。しつこく、あがくのは、みっともない。
それで、私、何も悪いことをしていないのに何で、とかいう気持ちが出てくるんでしょうけど、何も悪いことをしてなくたって何万匹もイワシ食べたし。牛肉も豚肉も食べて、もうこの辺で、やめてもいいんじゃないかっていう気持ちはありますよ。
 金子みすゞさんみたいに「大漁だ、大漁だ」って喜んで言っているだけじゃ。もちろん、われわれ生活していくためにはうれしいんだけど。やっぱり、食われる生き物のことも考えてみなきゃならんなあと思うんです。「人間は神の形に似せてつくられて、ほかの動植物、鉱物は、人間のためにつくられた」というのは、傲慢じゃないかな。
うん。一般的な…誰だって死ぬのは怖いし、あのう、天国がある、極楽があるという信念も全然持てないしね。そういう点でね、不安ですよ。
今、墓なんか造ってないです。宇宙を司る僕だけの神に従順になり、できれば古里の山のふもとで眠りたい。今、南の島に、たくさん白骨になっている兵隊さんがいらっしゃるんだから。その人たちをほったらかし、自分だけいい墓に入ろうなんて、僕は反対です。土の一部になれば、例え、どぶ川の底にいようがね、山の上にいようがね、同じですよ。

前立腺がんの語り

残された時間を全力で生きれば、後悔せずに死ねるというけれど、そこまで行かない。今は希望や意欲が失われていると思う(音声のみ)

今、そういう非常に限られてるだろうなっていうことが分かってる状況っていうのは、じゃあ、残された時間をめいっぱい、全力で生きよう、よりよく生きれば、あのー、あきらめが…何ていうかな。後悔せずに死ねるとはよく言いますけども、どうもそこまでもいかないし。うーん、普通はやっぱり、ずっと生きてるだろうと、いつまでも生きてるだろうっていうぐらいの気持ちやから、まあ、未来に希望を持ったり、それは幻想であっても、いろんな意欲を持ったりできるんだろうかなっていうふうに思ってて、やっぱり、まあ、薬の問題とか、手術のこととかも影響してるかもしれませんが、もともと持ってた、非常に、そのー、生きることへの希望とかいう意味では、やっぱりちょっと、失われてるようなとこは否定できないような気がしますね。これは、まあ、カウンセラーの少し話をしたり、何回かしてますけども、有効な答えはないと思いますね。

前立腺がんの語り

かつて座禅を組み、耐えがたい猛烈な痛みが「どうとでもなれ」と思った瞬間、耐えられる痛みに変わるという、人生の大きな洞察を得る経験をした

あの、1つ体験で面白いのがあるんですが、座禅だったんですけども。うん、僕はその腰痛があって、50ちょっとのときですけども、腰痛があってね、座禅がこういうふうに組めなくなったんですね。で、日本座っていう、普通の正座でやるようにしたんですが。で、新しいお師匠さんになったときに、これでもって、あ、それは、新しいお師匠さんが、えー、12月の31日から1月の6日まで、奥多摩でやるからということで行ったんですね。だけども、うちで2時間も座ると、もう耐えられなくなるんですよ。そのときは、まだひざが痛んでませんでしたから。まあどうともなれってんで、あの、何とか行かせてもらったんですね。で、やっていたら、あの、痛みっていうのは、で、もう猛烈に痛むわけですね。(一日8時間)で、もう痛んじゃって、まあ吐き気はするし、夜は寝られないし、もう食欲はなくなっちゃうし、もうもう3日、4日でもって、うちへ帰りたくなっちゃったんですけども。
そしたらですね、あのう、禅堂の中でこう座っているんですけども、直日(じきじつ)っていうのは、こうやって棒(警策)持って歩くんですよね。で、歩いて、私の後ろをこう通って、ずっと行くでしょう。と、僕はつらくてしょうがないから、こう足をずらすわけですよ。うん。ところがね、1分たちゃまた、同じように痛いでしょう。うーん、それでもうやめようか、帰ろうかなとか、何とか、そんなことを。誰も止めやしないんだから、帰りゃいいのさ、なんて思ったんです。
ところがですね、ひょっと気が付いたんですねえ。何でね、おまえさんは、その、あの人が、直日がこっち通ったときに足ずらすのよって思ったわけですよ、自分でね。ずるいじゃないかってんで、ずるっこしいじゃないかってね、そんなことをするなら帰っちゃやいいじゃないかって、自分でね、思ったわけですよ。そう思った途端にね、どうとでもなれって思ったんですよ。なので、だから、足切った…、そのおかげでね、足切らなきゃなんなくなったということは、そんなことは、そんな話は聞かないから大丈夫だろうっていうんでね。よし、もう40分間、動かないぞと思って動かなかったんですよ。これも一つの神秘体験かもしれないんだけども。
そしたらですね、動かないでしょう。痛いんですよ。そしたらね、どういうことだか分かんないけど、吐き気が止まったんですよ。それでね、ある線があって、どうしても我慢できないと思ってたんですよ。そしたら、どうとでもなれって思ったらですね、吐き気が止まってね、これは、我慢できるとこに戻っちゃったんですよ。いくらも違わないんだけど、歴然と違うんですよ。で、40分間。そして、僕は前のお師匠さんにもね、「痛みっていうのは抱えるようにして、痛みを抱えて座れ」とか何とか教わったんですね。何を言っているんだろう。何にも分かってなかったんだと思ったんですよ。その、そしたら、大丈夫なんですね。痛みっていうのはね、耐えられないと思うとね、後ろから追っ掛けてきてね、後ろ髪をつかまれちゃうんだけども、どうとでもなれっていうとね、どうってこともないんですね。痛いんですけどね、耐えられるっていうことが分かったんですよ。そうしたら、そら、非常に大きな洞察を引き起こして、私の人生、それまで、50までですね、いっつもごまかして生きてたことに気付いたんですね。うーん、てなこと言ったって、70でうつになるんですよ(笑)。それで、もう本当どうしようもないんですけども。

前立腺がんの語り

がんは一つの恵みである。痛みがなければ自分を再発見することなど絶対に出来ない。レールを乗り換えるチャンスになる

どうしてもやっぱりこう、うつ、うつから抜けるのは、どうしてもこう、あの、レールを何かこう、あの、死生観といいますか、死生観のこうレールを乗り換える必要がありますね。うーん。だから、そのレールを乗り換えるということはどういうことかな。やっぱり人生観が変わるっていうか。何か、あの、今までやっぱり自、自己中心っていうか。現代的自我とでもいうか。その周辺で物を考えていたものをポイッとそれを捨てるというか。捨てる必要はないんでしょうけども、あの、そういうことにやっぱりなるんじゃないか。
がん患者は、あの素晴らしいことは、あれは一つの恵みだと思っているんですね、がんは。
で、それはなぜかっていうと、さっきのレールを乗り換えることができるチャンスですね。だから、危機はチャンスで。あのう、ちょっと最初に申し上げました痛みは、あの、うーんと、じ、自分を再発見するためには痛みがなかったら絶対できないって、思っていますが。だから、行者たちは、みんな痛みの中に入っていくわけですね。なので、断食だってそうだし。それで、あのう、痛みっていうものの中で、まあ一番すざましいのは、千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)みたいなの、あるでしょう。特に大峰山のほうの、ものすごいものらしいですけども。うーん、実際に死ぬか生きるかのところで行をやる人は、みんな、もう痛みの中で発見する。
私もささいな体験では幾つかありますね。やっぱり、痛みの中で発見する。まあさっきのも、だいぶそういう話をしておりましたけども、まあさっきの、まあうつ状態も一つの痛みなもんですから、やっぱり痛みは痛みの中に入っていくよりしょうがないと思いますね。

前立腺がんの語り

前立腺がんは、現実的に自分の命を考えるきっかけになった。キャンサー・ジャーニーというが、がんは人生経験としてマイナスばかりではないと思う

まあ、やっぱり全体的に見ればね、やっぱりがんにならずにそのまま来てた形と、なって今ここにこうしておる形とでは、随分やっぱり多分、違ってただろうなと思いますね。まあ、私の場合はたまたまですけれども、まあ、自分でネットも調べた挙げ句、あと、自分の話までネットにアップしたりしてますから、えー、そういうような関係もあっていろいろ、がん関係の分野にも、ちょこちょこちょこちょこ首を突っ込むような形になってきてますし、こういうことはまあ、ずっと元気だったら、まるっきり関わってなかった、と思いますんでね。あの、やはり、あと命というのは実際どれぐらいあるいうのはこれは誰にも分からないわけですけれども、うーん、まあ、ある意味ではそういう自分の先の命を現実に考えるきっかけにはなりましたよね。まあ、前立腺がんごときでそんなことは言うのはおかしいんだけれども、それでも、あの、やはり分からないなりに、5年生存率2割や言われてだいぶ何週間かずっと悩んでたころいうのは、ああ、どうなるんだろう、あともう数年しかないとしたら、私は何をしたらいいんだろうとかですね、やっぱりそういうことまでずっと頭巡らして、あれやこれや思いますから。まあ、うーん、まあ、やっぱり、考えようによったらそれなりにいい体験させていただいたということだと思うんですけれどもね。
アメリカのほうでは、何かこれ、がんになった人は、どない言いましたかな、これ、キャンサー・ジャーニー言うんですかね、みんなそれぞれ自分で人生を旅に例えたら、がんもやっぱり、これ貴重な旅、がんの旅を経験することになるんだ言うんですよね。だから、がんになった人は、やっぱり自分ががんになって、そのときどう思って、それから後の人生がどう変わって。それがみんなジャーニーや言うんですよね。これ、なかなか日本でこんな言い方するのはあんまりないと思うんですけれども。まあ、それ、そういう話ちょっと耳にしてから、ああ、そうなんだな。まあ、そういう意味では、私もがんになってから後、いろいろ自分の方向性も変わってきてるし、ああ、これもみんなジャーニーなんだなと。まあ、でも、がんになってみればなっただけ、それなりに別の体験が味わえるんで、だからといって皆さんにがんになるのをお勧めするわけじゃないけれども(笑)、うーん、やっぱりそれはそれで、ちょっと、人生の体験としては、いい体験かもしれませんね。何もマイナスの面ばっかり、強調して考える必要はないと思いますんで。

前立腺がんの語り

漫然と長生きするより病気と並行して生きることで、設計図が描ける。自分では10年大丈夫と思って後悔のない生き様を描きたい

やっぱり不安っていうのは絶対これはぬぐえないわけだよね。でも、考え方で、人間、いつ何があるかわからないというのはね、もともとずうっと思ってきたことだし、それこそ、追われて背負って苦しんでっていうのもね、病気じゃないにしても、人生の中で非常に苦痛でありね、何でありっていうようなこともあるわけだから。でも、なったから、ああ、こいつと仲良くしてね、えー、むしろそういう付きまとったものと並行して生きるっていうことがね、うーん、何ていうんだろう。設計描けるっていうか、えー、その中で目いっぱい動けばね、全うっていうかね、生きざま、それは何ていうんだろう、動きやすいかなっていう気はしますね。ただ、漠然と長生きするばっかりがね、まあいいのかなっていうのも感じるし、まあ病気になったことによって、えー、まあ10年と思ったんですよ。向こう10年かなと、思った部分がありますから。うん、まあそれを先生が言ったわけでもないし、10年は生きるよって言われたわけじゃないし、10年は自分で大丈夫かなって思ってるだけの話ですけどね。まあそのときまでやっぱり後悔のない生き様を描きたいなと思ったこと自体がもう違いますからね。何でもなければ、何でもないで漫然とっていう部分があるのかなって気はしましたね。