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診断時:64歳
インタビュー時:75歳(2008年5月)

東海地方在住。学校法人の理事をしていた1995年に診断を受けた。その5年ほど前から残尿感があり、前立腺炎の診断で投薬を受けていたが、改善したので自分から通院を中止した。1995年10月、再び残尿感が出てきたので受診したところ、PSA値が22で、生検の結果、前立腺がんと診断された。翌年1月に根治的前立腺摘除術を受けたが、術後10年を経て少しずつPSAの値が上がってきたので、再治療を検討している。

語りの内容

そこで次は、手術に先立ってはもう大腸とかなんかみんな止めてしまってますよね、ものも入れてないし、点滴だけでしてますので、次はそれを動かすということで、いわゆる手術の後のガスが出るというのを待ったんですが、なかなか出ない。それで出たのは手術してから5日ぐらいですか、だからその間はおなかを温めると、いうふうなようなことを致しました。で、その手術で最後、あれですね、ガスが5日目ぐらいで出たとき、私も他に手術なんて今まで受けたことなんて何もありませんし、話には聞いてましたけど、ガスを、特に盲腸なんかやった時にガスが出ないで困ったとかなんとか言ってましたけど、私も困ったなあと思っておったんですが、俄かにやっぱり大腸っていうものは動き出す時はゴロゴロっていうような、えらい勢いでガスが動き出して、そしたらあれで大腸が動くんですね。そしてゴロゴロ、ゴロゴロ、ガスが出る。そうしているうちに、排便もあったですかね、しばらくしてね。そうして落ち着いたらもうお水を飲ましていただけるし、それからおもゆからおかゆというものに食べ物がこう変わってきまして。そして、1日か2日しましたらね、今度はあれは自分の人生の中であんなに、これも高揚するっていうか、元気がこう出てくるっていうか、あんなに食べ物を食べたら、生きる力が出来てくるというか、そんな気持ちになったのは初めてでした。で、体重はね、4kg落ちてました。それがご飯をずっと食べられるようになった時には、本当にこう力がもりもりというか、気力がこう回復してくるっていうか、すごい力ですね。そうして1週間も経ちましたら、食堂は、普通はまあそういう時は、食事をこう配ってくれるんですけど、食堂がありまして、そう大きな病院ではありませんので、そこでなかなかいいご飯を作ってくれるんですよ。そこで私は3階におりましたけど、もう1週間もすれば階段を下りてね、3階分下りて、でご飯を食べに行くというぐらいのことができるようになりました。

私は: です。

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