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インタビュー時:55歳(2012年9月)
関係:妻(夫を介護)
診断時:夫61歳、妻53歳

膠原病を15年患った夫は、60歳前に夜中の異常行動や幻視が顕著となり、得意だった計算や縦列駐車もできなくなった。パーキンソン症状も出て、2010年4月レビー小体型認知症と診断される。夫婦2人暮らしで子どもはいない。2011年に要介護3、2012年に要介護4と認定。若年性認知症対応コースのあるデイホームに週1回とショートステイを活用し、自宅介護を続ける。

語りの内容

去年ですね、要介護3という認定を受けて、あの、介護のプロの力を借りる必要性が出て、出てきたんですね、いろんな症状が進んで。で、ケアマネジャーさんからの紹介で。若年性クラスの認知症の専門の所が、クラスとしてあったんですよ。毎週土曜日1回なんですけど、で、そこに見学に行ったら、えらく気に入りまして。同世代のお若い人たちが集ってたんですね。7、8人なんですけど。毎回、クラス会のように、土曜日は同じメンバーが顔合わせができ、で、朝ミーティングというか、メディカルチェックは当然あるんですけど、あの、自己紹介始まり、今日の気分はとか、今日はこういうことしたいとか、最近の近況はとか、そういう自分のことをシェアするところから始まり、今日何しようかって、ボードに今日のメニューはって、こう、書き出しをして、じゃあ、ランチも、あの、お弁当買ってみんなで食べようになのか、お散歩ついでにあそこのレストラン行って食べようになったり、そんなふうにミーティングで、みんなの同意を得て決めて、進むっていう。すごく、やりたいことがやれる環境。自分たちで生み出せるっていう。それぞれが持ってる得意技とか、残ってる残存能力の発揮の場所はあるっていう、その環境作りをしてくれてるところが、すごく入りやすかったなって。見学行ったけど、1日いて、楽しんで帰ってきましたから。家族も。で、本人も汗だくだくになりながら、ああ、また行く、みたいな、張り切っちゃって。目の輝きが違ってましたよね。
それまで何カ所か、あの、見学はしてたんですけど、やっぱり主人にとっては、なじみにくさというか。例えば、あのー、世代が違うお年寄りがたくさんいらっしゃる所で、自分よりも、あの、ケアの手が必要としている、車いすの方だったり、体がお1人では動かないような方だったり、高齢になればなるほど、人の手が必要になってくる状況ってあると思うんですけど、そういう状況を見ると、「僕のいる所じゃない」って。で、途中で電話かかってきたりするんで、「僕、帰る」って言うんですよ。行ってすぐですよ。「おれのいる所じゃない」って、スタッフみんな、若い人たち忙しそうで、僕には目もくれないし、邪魔だから、きっと僕はね、帰ったほうがいいと思うって。
で、もともとが、そこにいることで何かプラスの違いが起きるとか、そこにいて笑顔が広がるとか、自分がいることによって何かプラスの影響力が発揮できる所だったら、どんどん行けるけど、何かこう、行ったその日に疎外感、みたいな。そんな感じで、高齢者がたくさんいらっしゃる所だと、別のある所では歌を歌ってるんですけど、電話の向こうで、昔々の大昔の歌なんですよね。で、「僕が歌える歌じゃない」とか言うわけですよ(笑)。フォークソングだったり、グループサウンズの、あの、時代だったりとか、あのー、そんな世代の、まあ育ってる環境の中で、昔々の自分の父親か何かが聴く、聴いた時代の演歌だったりとか、古い曲の中で、一緒に歌えないとかですね。何かこう、ギャップを感じると、居場所がないっていう表現に、主人の場合はなってましたね。

私は: です。

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