診断時:63歳
インタビュー時:66歳(2008年6月)

近畿地方在住の会社役員。人間ドックでPSA値の上昇を指摘され、2005年1月に初期の前立腺がんと診断された。手術を勧められたが、自分で情報を収集し、同年夏、陽子線治療を受けた。1年後にPSAの再上昇が認められ、検査をしたところ骨転移が見つかった。免疫細胞療法、温熱療法、漢方なども試したが、2008年に入ってPSAが100を超えたため、カソデックスの服用を始め、再び10以下に下がっている。

語りの内容

えー、去年の1月ですかね。そのときにはね、15ぐらいだったんです、PSAが。○先生は、その、「まあ、○さん、20か30になったら、まあね、もうホルモンしかないですな」と。「あきらめてホルモンやりなさいよ」と言われて帰ってきたわけですよ。もうとっくに過ぎてますね。
ほんじゃもう、D大(近畿地方の別の国立大学)も診てもらいたなと。D大も非常にいいからと。まずD大の派閥のね、××病院の泌尿器科の部長に、また紹介状ね、その町医者の先生に書いてもらって、ほんで診てもらった。やっぱり同じこと言われたですね。「もうあなた、ホルモン打ちなさい。その時期に来てます」と言われて。で、えー、今度、またしばらくたって、D大の本体のほうへ紹介状書いてもらって、D大の本体に行った。
その先生も、「まあ、やっぱり、カソデックスとリュープリンですな」と言うでしょう。で、A大もそうですね。「カソデックスとリュープリン」。まあ、あの、金時飴で、その紹介の先生がね。「まあ、日本の泌尿器科、全部金時飴やな」と。「全部、リュープリンとカソデックスやな」と。だけど、あの、プロのね、ゴルフのプロの杉原さんなんか、彼は最初、あれ、打たなかったんちゃうかな。あの、私の記憶ではね、それやると女性化するから、ゴルフの飛距離がね、落ちるということで、やらなかったんじゃないのかなあ、というふうにいつも言ってる。私も延ばし延ばし延ばししてたわけです。
まあ、ですけどね、そのー、ところが、「あなたね、えー、100を超えたら、やっぱりホルモン考えましょうや」と、いうことで、続けてたわけなんです。それがもう今年の初めに120を2回(笑)。1回ではちょっとね、信用できないとことで。で、もう1回やったら、また123ぐらいだった。いやあ、もうこれはしゃあないなと。これはもう引導渡されたなと。まあ、やりましょうと。

私は: です。

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