月別アーカイブ: 2021年9月

新型コロナウイルス感染症の語り

療養中辛かったのは頭痛・体の痛みと睡眠障害。気分の波もあり普段気にならないような隣室の音が気になった。身体の痛みはインフルのときのようだった(テキストのみ)

嗅覚とか味覚障害とかはなかったんですけど、やっぱせきが少し出ましたね。それで、あとやっぱ睡眠障害があったりとか、あとは、集中力が持続しなくって。もう特に結構、その気分に、だから波があるふうになっちゃうんですね。多分、それは多分ストレスなのかなーとは思うんですけど、ささいなことが、だから、さっきの隣の療養者の方の音にしても、まあ普通のホテルですからそんなに、何て言うんですか、ベニヤ板1枚っていう感じじゃあないわけで、普通であればそんなに多分、気にするほどの大きさの音ではないはずなんだけれども、やっぱり聞こえてくるとなんかそれが気になっちゃうっていうか。

そういう、だからささいなことに結構、気になっちゃって。それがまあ、イライラの元になったりとか、うん。なんか頭が回らない感じみたいなのは、すごくあったりとかっていうことは、まあその辺はずっと続く感じなんですね。だから最初のその、本当にホテルに療養してたときで一番つらかったのは、頭痛とその体の痛みと眠れなかったこと、あと若干せきが出る。

――体の痛みってのはどんな感じの痛みですか。

あの、インフルエンザのときみたいな感じ。はい、そんな感じ。

――節々が痛いみたいな。

はい、はい。

新型コロナウイルス感染症の語り

療養先から戻ると、だるさや体の痛みは一旦落ち着き、仕事が出来るまでになったが、再開して数日で微熱、頭痛がひどくなり薬を飲まずにはいられなくなった(テキストのみ)

――退院された後のしんどさっていうのがあったと思うんですけれども、まずその流れで行くと先生は、火曜日までホテルにいらして、自宅で土曜日までいらっしゃったっていうことで。それから翌週からお仕事なんですけど、もうずーっとホテルにいるときから、何ですか、倦怠感とか、そのつらさっていうのがもう始まっていて。ずっとなのか、いったん治った感じで、それがまた来たって感じなのか。

あの、いったんその、だるさみたいのは、どうしようもないだるさとか、体の痛みとか、ま、頭痛とかその辺は、やっぱりうちに帰ってきてからは、まあ、眠れることも眠れるようになりましたし、だからいったん落ち着いて、普通に、まあ若干せきはあったんですけど、でもまあ別に普通に仕事ができるぐらいの、今までの体調とそんなに変わらない感じにまではなりました。はい。でも実際仕事を始めてみると、そうやって3日目ぐらいからもう、ちょっと微熱があって、で、頭痛はひどくて、それはもう毎日毎日、解熱鎮痛薬をマックス飲みながらっていう感じで。で、胃が荒れちゃうので胃薬も一緒に飲みながら、という感じで。だから口内炎とかもできちゃったりとかしながら。はい…っていう状況でした。

新型コロナウイルス感染症の語り

血中酸素濃度が低く救急車で呼吸器をつけられた。隊員が3時間かけて探してくれた病院に運ばれたときは自力で呼吸できなかった。自分が重症だったと後で知った(音声のみ)

とりあえず救急車が、1時間以内ぐらいで来てくれたんですね。それで、エントランスにもう寝かされて、まあ1人ではちょっと歩けなかったのですぐ、担架って言うんですかね。もうそちらに乗せられて、エントランスで症状を聞かれて、で、オキシメーターがありますね、指を入れて。で、それは私いつも98とか99とかなんですけど、その値が80もう幾つとかで、ほとんど動いてないような状態だったらしくて、自己呼吸ができない。それで「あ、これもう救急車に運んで、人工呼吸器付けなきゃ駄目だね」って言われて。で、そこで運ばれ、もう何となく頭でこう、周りで言ってるのを聞いているだけなので、あんまり覚えてはないんですけど、うろおぼえで、もうぼーっとしてたので。
で、救急車の中に入って、まあ症状とか聞かれて、その呼吸器着けて、それからはですね、あまりもう記憶があまり定かではありませんが、あのー、えーとですね、3名の救急隊員の方がいらっしゃって、3時間電話をされました。結局3時間かかって、1回断られた病院にようやく、そちらの病院に入院させていただくことになって。

それでその日から、人工呼吸器付けられたんですけど、人工呼吸器も普通の人工呼吸器*は、えーとですね、肺があまり働いていないので、ちょっと意味がないというのが半日ぐらいで分かりまして、で、もうあの、人工呼吸器は専用の物*を装着して、息、えーとですね空気、酸素ですかね。酸素を、押し込む感じの物ですね。通常の人工呼吸器は付けても、自分で息をして吸い込むんですけど、私が付けられたのは、もう自分で息ができないので、酸素こう押し込む感じの人工呼吸器でした。
*ここで話されている「普通(通常)の人工呼吸器」とはネイザルハイフローを言われるもので、鼻に差し込んだ管から、症状に合わせて濃度を調整した酸素を送り込むもので、そのあとに出てくる「専用の物を装着して…酸素を押し込む感じの物」というのは、おそらくマスクを装着して上気道に圧力をかけて肺の換気を促すタイプの(非侵襲的陽圧換気用の)人工呼吸器と推察されます。

ただ、私その頃、あのー、コロナの患者さんっていうのは、こう、みんな私みたいな症状なんだと思ってたんですね。で、皆さんおんなじ症状なんだと思ってたから、後でこれ私が重症だっていうのを聞いて、あ、そうなんだと。あのー…でも私は自分が重症だとか、そういうことを知らず、まあ、みんなとね、同じ症状だと思ってたので、あ、そうなんだなーと思ってたんですけど、どうもそうではなかったということを後で知りました。

新型コロナウイルス感染症の語り

感染疑いから6日で全身の痛みが始まった。身体の内側から無数の針で刺されているようで、横にもなれず、一番ひどい時にはよつんばいの姿勢でひたすら耐えていた

そいでPCRを受けたのが1日で、4月2日ぐらいから、まあ、日記ずーっとつけてたんですけど、日記というか、まあまあ、こういう仕事(新聞記者)をしていることもあるので、ま、普段の取材ノートにとりあえず、なんかこう書いていたんですけど。えっとー…その、それによると、その2日ぐらいから、全身の痛みが始まって。で、その痛みはですね、もう立っても痛い。こう体の内側から針でこう刺されている、もう無数の針がもう、外側に向かって刺してる感じで。そうとしか形容ができないんですけど、最初、筋肉痛のような、動くともうちょっとでも動くと痛い。ただ、後からほんとの筋肉痛を久しぶりに退院後に、なんかこう、ヨガとかやって、あ、筋肉痛だけど、あ、筋肉痛って。(コロナの時の痛みは)こんなもんじゃないな。筋肉痛なんてもんじゃないなって思ったんで。もうあの、とにかく体の節々が痛い。

とにかく市販の薬を飲まないでくれと言われたんです。で私、熱もなかったので、当時は。だからせきもなかったので、飲まなかった。飲まないで、だから我慢しちゃって、でまあ、その体の痛み、あとはその倦怠感で起きれない。で何となく、気持ち息切れが、息切れというか、するかなーっていうぐらいで、それでもやっぱり熱とせきは最後まで出なくて。で、その、今でもはっきり覚えてるのは、体が痛くてこう普通は寝て、横、横になって休みたいと思うんですけど、横になると背中が痛いんです、すごく。体重がかかる部分が、もう針で押されてるように痛いので、横にもなれなくて。一番ひどいときは、なんかもう四つんばいになって、手、床につけて、膝つけて、なるべく体の面積を、床につく面積を少なくして、痛みをひたすら耐え忍ぶって感じで。

新型コロナウイルス感染症の語り

インフルに比べれば発熱は大したことはなく、2日ほどで下がったが、とにかくへとへとで、歩くのもやっとなほどのものすごい倦怠感に襲われた(音声のみ)

熱はある感じでしたね。熱ある感じの後に、それこそあの、なんていうんですかね、その、熱が出て、苦しい感じでもないんですよ。うーんと、インフルと比較すると、インフルのほうが全然苦しいです。だから、なんかその、とにかくもうへとへとになった状態っていうか。へとへとなんです、とにかく(笑)。それがもう、歩くのも手すり…もう、そうですね、1階から2階まで遅いエレベーターがあって、そのエレベーターに乗った後も、手すりにつかまったぐらいなんで。それだけもう、すごいしんどいっていう感じ。あの、倦怠感どころじゃないんですね。なんていうんだろう。もうとにかくすごく疲れてる感じの倦怠感っていうんでしょうか(笑)。ひどい倦怠感っていうのか…な感じですね。

――その発熱はいつぐらいまで続いたんですか。

発熱はですね、あの、実はそんなに長く続いてないんですよね。なので入院して、まあ18…日(2日目)ぐらいにはもう下がってたかなって思います。だから、全然発熱自体は大したことなかったです。はい。

新型コロナウイルス感染症の語り

ぜんそく持ちだが、コロナのせきはぜんそくのものとは違って、痛くてどこかにつかまっていないとつらいほどだった(音声のみ)

――そうすると、ぜんそくのほうなんですけど、元々ぜんそくは持病でおありになって、で、この発症してた間っていうのは、熱がすごく大変だった話と、あとは息苦しいっていうお話をされてたんですけど、そう、せきとかはあったんですか。

ああ、もうありました。えっとね…コロナのせきって、あのー…痛いんですよ。はい、もうつかま、どこかにつかまっていないとつらいぐらい、あの、痛いですね、せきが。私は、ですね。私の場合はそうでした。だから、退院して、会社のほうから「せきはどうですか」って聞かれるんですけど、ま、ぜんそくですからあるんですが、「せきはありますけど、大丈夫です」って言いましたら、「いやクライアントさんから、そういうせきがある人は出てこないように言われてる」って言われたので、いやそうではなくて、これはぜんそくのせきなので違いますと。コロナのせきではないので、「えー、じゃあコロナのせきってどういうせきなんですか」ってその方にも言われるんですけど、でも…そのー、詳しく言ってもあんまり分からないので、まあ「コロナのせきはとにかく痛くて、もうつらいんですよ」っていうことを伝えましたけどね。

新型コロナウイルス感染症の語り

入院して1週間38~9度の熱が続いた。もうろうとしていたが呼吸困難はなく、夢うつつで黄金の麦畑を見た。なるほど、死ぬなら肺炎が一番いいと思った

ま、そして、入院してですね、えっと、感染症病棟に入院したら、今度入院したらですね、また熱が出始めてね。38度から9度にもね、熱発がずっと続いて。大体そうですね、あのー1週間ぐらい続きましたかね。入院してから続きましたね。だから考えてみたらいいタイミングで入院したんでしょうね。あのまま入院しなかったら、えー、そのまま自宅でもってね、ぽっくりいってたかもしれませんね。あの今よくね、自宅待機で亡くなる方がいろいろいますけどね。

本当にこれね、あれですよ、僕、呼吸困難もあんまりなかったしね、あのね、まあただ熱発が続いて、1週間ほど熱が出たときは、さすがに食欲もないしね、それから、もうやっぱりなんだろうね、もうろう、意識もうろうとしててね。それで、ベッドの上にこう起き上がることもできないぐらいでしたね。だけどそれでもね、呼吸困難ないんですよね。で、後からね聞いたところ、担当医が言ってましたけどね、「いやよくね、呼吸困難がなくてそのままぽっくりね、亡くなる人が多いんですよ」なんていって言ってましたからね。だからあの、この間もほら、あの議員さんがね、お亡くなりになったでしょ。あれもね急にね、呼吸困難もなく、急に肺炎が進行して、そのまま急死されるっていうこと、よく分かりましたね。「あ、こういうもんだな」とね。

でね、熱発してるときにね、えっとね、夢うつつでもってなんかね、きれいなね、麦畑のね、黄金の色のね、夕日に輝く黄金の麦畑がね、浮かんできてね。あ、素晴らしいところだな。あれは多分天国だったんでしょうね。で、そのうちにね、また引き返したりしましてね、あの、つかの間の天国でしたけども(笑)、その風景、消えちゃいましたね。

あのねこれ、よく言うんですけどね、われわれの業界っていうかね、医療関係者がよく言うのはね、「肺炎は老人の友である」*ってね。これ、カナダの医学者の、あれですね…何だっけ、オスラー先生っていうのがね、言った言葉なんですけどね。どういうことかというとね、みんな肺炎になってね、呼吸困難になってね、はい、苦しい思いして死ぬんだろうと思うでしょう。実はそうではないんですよね。神さまは大変ね、慈悲深くてですね、肺炎になった老人はそのままね、肺炎になると、あれでしょう、酸素がね、低酸素になってくるしね、それから二酸化炭素も蓄積してくるとね、二酸化炭素、特にね、麻酔作用があるんですよ。だからね、なんてかしらね、そういう麻酔作用でね、何か甘美なね、死の誘いでもってね、そのまますっと亡くなってく。だから死ぬのはね、肺炎が一番いいよ。最後にそういうね、天国を見て死ねるというんです(笑)。いやだからね、「肺炎は老人の友」ってね、要するにそうした苦しみから逃れるためのね、最上の手段であるって言ってるくらいなんですよね。だから本当にそれ、そう思いましたね。あ、なるほど、「肺炎は老人の友」かと思いましたけどね。
*1898年に内科医のウィリアム・オスラーが述べた言葉とされます。

新型コロナウイルス感染症の語り

発症3日あたりで、どんどん匂いがしなくなった。カレーのような強い匂いもわからず、好きなワインも飲むのをやめた。嗅覚のなくなり方がどこか人工的な感じがした

やはりあの、嗅覚が一番問題があったかなと思います。嗅覚は本当に、1日目、2日目辺りは大丈夫だったんですが、3日目辺りからですかね、えー、もうどんどん何の匂いもしなくなっていく感じで。どれがっていう感じではなく、もう本当に全くしないぐらいまでひどい状態になりました。もうコーヒーとかカレーのような、匂いの強いものでも匂いがしないぐらいです。なので、普段はワインを飲むのがすごく好きなんですが、ワインの香りも全く分からないので、ワインも飲むこともやめてしまいました。

で、まあ、嗅覚がなくなるってこんなにつらいことなんだなっていうことは、強く感じました。それと今回の嗅覚のなくなり方が、少し人工的っていうとちょっと大げさなんですが、ほかの、例えば花粉症とか風邪とかの鼻詰まりとまたちょっと違った感覚で、初めての体験だったような気がしました。

――人工的っていうところ、ちょっと、もうちょっと。

うーん、なんとも言えないんですけれど、何でしょうね、こう、無理やりそうさせられてるみたいな気がするぐらい、鼻が詰まってるというか、はい。

――その、詰まってる感覚なんですか。息が吸えないようなそういう感覚、鼻詰まりってそういう感じだと思うんですけど。

何でしょうね、鼻水が出るというよりは、なんか、急に鼻が利かなくなるみたいなイメージです。

――じゃ、鼻呼吸ができないってことではないんですね。

ではないですね、うん。

10日間、自宅療養期間が終わっても、鼻だけはまだあまりよくなっていなかったので、とても心配になりましたし、治るのかどうかっていうのも本当に心配しました。というのも、あの、芸能人の方などでもコロナにかかってその後嗅覚がもう1カ月ぐらい戻らないとか、SNSでも半年ぐらい戻らない人もいるなんていう情報も見たりしたので、自分はいつ戻るんだろう、戻るんだろうかっていう心配はありましたが、まあ、コロナの影響だろうということは分かっていたので、特に耳鼻科に行こうということは思いませんでした。

そうですね、もう1月の終わりには、かなり。あの、コーヒーの匂いが感じられたときに、あ、かなり戻ってきたなというふうに思いました。

――今ワインおいしく飲めますか。

ええ、今はワインも本当に、あの、もともと感じていた香りも、100%感じることができていると思います。

新型コロナウイルス感染症の語り

処方された解熱剤は効かなかった。発熱から2週間、ようやく熱が下がり始めた。回復する人は「最初の発熱から2週間ほどで下がり始める」と医師に言われた(音声のみ)

その日の夜からもう38度とか9度超えるぐらいの、あのー、熱が出て、それでその次の日が、確か土曜日だったと思うんです。うーん…かな。それで近くの病院に、あの、ぜんそくでかかっている病院があるので、そちらの病院のほうに行きまして。それで「解熱剤と、じゃ、風邪薬を出しましょう」と言われて、その日は、何とか歩いて家に戻ったんですね。

ところが、また夕方になると、そのー、熱が上がってきまして。で、頂いた解熱剤を、カロナールという薬なんですが「カロナールは私、効かないので」って申し上げたら、カロナールの「普段の250じゃなくて500というのを、出しましょう」と言われて、その500を飲んだんですけど、熱が下がらないんです。それで、あのー…もうしょうがないので、とりあえずそれで寝て、で、もう熱下がらなくて朝になってもしんどくて、そのうち、こう、食べ物はもう欲しくなくなってたので、そのときには。で、まあ、でもとりあえず、レトルトのおかゆさんとかがたまたまあったので、それを食べ、何とか食べて。その次の日は、それでその次の日から、もうこれは駄目だと思って保健所に電話をしました。

で、保健所は、あのー、ま、その頃はほんとに(新型コロナ対応が)始まったばかりだったので、とにかくつながらなくて。でもしょうがないので、1日2回ぐらい電話をかけて、で、えーとですね…うーんと、6日…6日(発熱して4日目)ですかね。2回ずつぐらい、2回から3回ぐらい電話してたんですね。4月の6日ぐらいに、あの、「分かりました」と。で、「至急(PCR検査の予約を)とにかく取ります」ということで、私が普段かかっている病院に4月の8日の朝、行くように言われました。で、私その間、カロナールは効かなかったんですが、歯の治療をしてたので、歯科医で以前もらった、あのー、ロキソニンが何錠か残ってたので、それを飲んだら熱が下がったんですね。それで少し楽だったので、そういう感じで6時間おきぐらいに、解熱剤を何とか飲んでました。

2日に発熱したので、はい、14日を足すと、16日頃ですかねえ。多分16日頃に、えー、15日とか16日頃に、熱があんまり上がらなくなりました。はい。でー、少し楽に、自分でも楽に、少し楽になったかなーと。ま、自分でですけどね、そう思いまして、まあ、病院のほうに「熱も前ほど、上がらなくなったような気がします」と、というお話をしましたら、「正常に熱が下がっていくかたの例で、大体いいかたは2週間ぐらいで熱が下がる、下がり始めると言われてるので、多分そうだと思う」と。

新型コロナウイルス感染症の語り

どうにかたどり着いたかかりつけ医で、肺炎を起こしているといわれた。すぐ入院先を見つけてもらうようにと言われたが見つからず、耐えきれずに救急車を呼んだ(音声のみ)

で、8日(発症から6日め)の日に、あのー、病院のほうに行きまして、もうそれは、あの、普段、私がかかっている病院だったんですけど、もう入り口の状態だとか、そういったのが全部がらっと変わっていて、ま、コロナ対応になってたんですね。それでもう私、歩いていけなくてそのときは、もう普段は歩くんですけれども、歩くこともできない状態だったので、もうあの、タクシーをつかまえて、で、何とか行きました。

それで、そちらに行ったときには、もう座っていられないっていうか、普通に話すのも、もうしんどくて…もう、何て言うんでしょう。息をするのもつらいという状態だったんですけど。で、もう肺がおかしくなっていて、そのとき。レントゲンとそれからCTと、あのー、CTスキャンと、ですかね。もう撮ったときにはもう肺に異常が出てて、肺炎になっていて。で私も、息もできないしという状態だったんですね。

それで、そのときはすぐに(結果が)出ないんです、PCR検査でも。今と違ってすぐには出なくて、あの、2~3日後に…保健所のほうから連絡が行くというふうに言われました。それで、「ただあなたの場合、もうこのまま帰ってくれとは言えないので、ちょっとこのままここで点滴打って、で一応、呼吸困難の状態なので、吸入とかをして、それで、それからほんとはもう、あのコロナの担当の病院のほうに入院してほしいんですけど、うちはそれができないから、救急車を呼んで、すぐにでも、とにかく早く入院してほしい」と、そこで言われました。

それで、えー、とりあえずその病院で3時間ぐらい点滴と吸入を受けて、あとまたタクシーで自宅に戻りました、はい。で、状況を保健所に何とかお電話をして説明をして、それで、「とにかくすぐ入院するようにと言われたので、早く探してほしい、病院を」って伝えたんですけど、もう8日中にも見つからず、9日も、毎日もう3回も4回も電話しましたが、見つからず、もう10日の時点で耐えきれなくなったので、えー、もうあとですね、解熱剤もあと1錠しかなくなってたんですね。なので、もうこれ以上は耐えられないなということで、水とかも飲めない状態だったので、それで、私がその10日の夜に、救急車を…に電話をしました。でも電話つながっても、自分が話せない、話ができない状態だったので、これはもうまずいと思って、いったんそこを切って、次の日の朝、とりあえず朝、電話をしました。