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インタビュー時年齢:38歳(2021年1月)
感染時期:2020年3月
背景:首都圏在住の女性。新聞記者。夫と長男(当時3歳)と次男(1歳)の子どもの4人暮らし。
勤務先の新聞社で仕事中に嗅覚障害に気づいた。PCR検査を希望したものの発熱がなかったため受けられず、発症から4日目にようやく検査を受け陽性だとわかり、入院できたのは10日目だった。入院後まもなく軽症ということで宿泊療養施設に移ったものの、その日のうちに発熱して病院に戻された。その後は毎日37度台の発熱があり、PCR検査を受けて1度は陰性になったものの再び陽性になってしまい、2回連続陰性になって退院できたのは、入院から2週間後のことだった。
語りの内容
そいでPCRを受けたのが1日で、4月2日ぐらいから、まあ、日記ずーっとつけてたんですけど、日記というか、まあまあ、こういう仕事(新聞記者)をしていることもあるので、ま、普段の取材ノートにとりあえず、なんかこう書いていたんですけど。えっとー…その、それによると、その2日ぐらいから、全身の痛みが始まって。で、その痛みはですね、もう立っても痛い。こう体の内側から針でこう刺されている、もう無数の針がもう、外側に向かって刺してる感じで。そうとしか形容ができないんですけど、最初、筋肉痛のような、動くともうちょっとでも動くと痛い。ただ、後からほんとの筋肉痛を久しぶりに退院後に、なんかこう、ヨガとかやって、あ、筋肉痛だけど、あ、筋肉痛って。(コロナの時の痛みは)こんなもんじゃないな。筋肉痛なんてもんじゃないなって思ったんで。もうあの、とにかく体の節々が痛い。
とにかく市販の薬を飲まないでくれと言われたんです。で私、熱もなかったので、当時は。だからせきもなかったので、飲まなかった。飲まないで、だから我慢しちゃって、でまあ、その体の痛み、あとはその倦怠感で起きれない。で何となく、気持ち息切れが、息切れというか、するかなーっていうぐらいで、それでもやっぱり熱とせきは最後まで出なくて。で、その、今でもはっきり覚えてるのは、体が痛くてこう普通は寝て、横、横になって休みたいと思うんですけど、横になると背中が痛いんです、すごく。体重がかかる部分が、もう針で押されてるように痛いので、横にもなれなくて。一番ひどいときは、なんかもう四つんばいになって、手、床につけて、膝つけて、なるべく体の面積を、床につく面積を少なくして、痛みをひたすら耐え忍ぶって感じで。
インタビュー01
- 私がなるわけないという気持ちがあった。可能な限り在宅勤務していたし、通勤ラッシュや人込みは避けるようにして、マスクもしていたので、感染経路が全くわからない
- 自分の入院中、自宅で待つ夫は子どもをずっと閉じ込めておくわけにもいかず、時間を選び買い物ついでに原っぱで運動させていた。夫も相当追い詰められていたと思う
- かかる時にはどんなに対策をとっていてもかかる。子どもがいる人は、家族内で役割をシミュレーションしておくと家庭内感染を防ぎ、最低限の被害で済むと思う
- 嗅覚障害だけではPCR検査が受けられなかったが、絶対コロナだと確信して、鋼(はがね)の意思で家族に寄り付かないことにした。それを貫いたおかげで家庭内感染は防げた
- 「ママ病気なんだよ」と説明しても子どもには分からない。「汚いから来ちゃダメ」と、子どもも自分も泣きながらの毎日が繰り返された
- その後3カ月くらい下の子は親の姿がみえないと大泣きし、上の子もチック症が出た。小児科で「不安の表れ」といわれたので、叱るのをやめ、いっぱい抱きしめてあげた
- 前日までぴんぴんしていたのにいきなり倦怠感を感じて、食欲もなく、起き上がることもできなくなった。二日酔いや徹夜の時とかとは全く違う、生まれて初めての経験だった
- 発症に気づいたのはアロマオイルを入れた消毒液をひと吹きしてもラベンダーの香りがしなかったから。新聞記者として取材を通して嗅覚・味覚障害が症状の一つと知っていた
- 医師、保健所には否定されたが、取材経験からこの嗅覚異常は間違いなくコロナだと思った。上司に相談して取材活動を控え、自主隔離して経過を見ることにした
- 感染疑いから6日で全身の痛みが始まった。身体の内側から無数の針で刺されているようで、横にもなれず、一番ひどい時にはよつんばいの姿勢でひたすら耐えていた
- 子どものうんちの臭いが分からないというと夫は言葉を失った。鼻をすぐそばに近づけてもわからなかった。嗅覚が戻り子どものおむつの臭いが分かった時は嬉しかった
- 嗅覚障害の専門医にかかり、ドイツで生み出されたスメルトレーニングを受けた。半年~1年かければ多くの人が治るというので、焦らずにやっていきましょうと言われた
- 自分の体験を実名で記事にした。誹謗中傷を心配する人もいたが、匿名にしたら感染は隠すべきものと受け止められると思い、家族や保育園の先生の賛同を得た上で記事を書いた