診断時:12歳
インタビュー時:48歳(2017年12月)

九州地方在住の女性。夫と娘一人。10歳の頃発症し2年後にクローン病と診断された。その後しばらくは落ち着いていたが看護学校へ入学してから腹痛と下痢が悪化。また出産後育児に追われて自分の栄養管理ができず再度悪化し、小腸を三分の二と大腸を半分切除し人工肛門を造った。その後クローン病はレミケードで安定したが、術後1年ほどで末期の腎不全になり血液透析を開始。毎晩経管栄養補給(鼻から管で栄養剤を胃に流し込むもの)をしながらも現在は医療事務の仕事をし、さらに患者会の活動も活発にするなど、常に前向きに活動している。

プロフィール詳細

 10歳のころに微熱が続いて、病院で膠原病を疑われてステロイド(*1)を2年間使ったが改善せず、その頃痔ろうの手術のために造ったストーマ (人工肛門)を閉じるときに、血液検査で炎症反応がでたのがきっかけでクローン病の診断がついた。診断後は絶食と高カロリー輸液とエレンタール(成分栄養剤)で一旦寛解になり、中学、高校時代は大きな再燃はなく過ごしたが、看護学校に入ってから再燃を繰り返し、それでも主治医の後押しもあって、看護師として就職することができた。しかし、仕事をしている時も度々調子が悪くなり、夜勤を免除してもらったり突然の欠勤に対応してもらったりと、職場や同僚に助けてもらいながらの勤務となった。

 看護師としてその病院で4年働いた後結婚して退職し、5年後に娘を出産したが、年1~2回再燃し在宅IVH療法(中心静脈栄養)を行いながらコントロールしていた。出産後しばらくしてから今度は訪問看護師として働きだしてからまたひどい再燃を繰り返すようになり、最終的には腸閉塞と癒着による瘻孔(*2)を起こし、小腸を三分の二と大腸の半分を切除する手術をした。訪問看護師の仕事はやりがいのある仕事で、無理を重ねてしまったのが悪化の原因だったかもしれない。その時にも一時的にストーマ(人工肛門)を造ったが、最初は残った大腸と繋いでストーマを閉鎖する予定だった。しかし、12歳で痔ろうの手術をして以降、肛門機能が低下していたうえに、この手術で小腸、大腸が短くなっているので、どうしても水様便になり、トイレのコントロールが難しくなると予想されたので、自分から頼んで、ストーマは閉鎖しないことにして、今でもそのままになっている。お陰でQOLは大分よくなった。

 しかし、その手術の後急速に腎臓が悪くなり、1年くらいで末期の腎不全という状態になったため血液透析を始め、現在まで10年ほど続いている。主治医によると、低栄養が続いたことと、手術の時の麻酔と術後の痛み止めの薬剤がきっかけではないかということだった。クローン病の方は、手術の後レミケード(*3)を使い始めたら、とてもよく効いてその後再燃はなく過ごしていたが、2年前にレミケードの副作用と思われる肺炎をおこした。それ以来レミケードを止めているが、体調は安定している。

 現在、週に3回の透析(1回5時間)とストーマの貼り換え(毎日30分くらい)そして夜にはエレンタールを鼻から管を通して入れる経管栄養をやっているので、毎日が大変な状態だが、透析に慣れてきたころから、医療事務の仕事を始めて今も続けている。その他にも、出産の時にお世話になった患者会の世話人もやっており、毎日忙しくしている。

*1 ステロイド:副腎皮質ホルモンの1つで体の中の炎症を抑えたり、体の免疫力を抑制したりする作用があり、さまざまな疾患の治療に使われている。副作用も多いため、IBDでは一般的には寛解導入に使われるが寛解維持には使わない。
*2 瘻孔:腸管と腸管あるいは腸管と皮膚などに孔(あな)があいて、トンネル状につながった状態)
*3 レミケード:(一般名:インフリキシマブ)生物学的製剤(抗ヒトTNFαモノクローナル抗体製剤)

私は: です。

(アンケート結果の扱いについては個人情報の取り扱いについてをご覧ください。)

認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。

ご支援
ご協力ください

モジュール一覧