インタビュー時年齢:71歳 (2021年1月)
感染時期:2020年3月
背景:首都圏在住の男性。医師。妻と2人暮らし。子どもは独立している。

発熱とせき、鼻水に気がついた時点でコロナ感染を疑い、翌日外来受診。レントゲン検査では異常がなく医師の勧めで自宅療養した。37度台の発熱が続き7日後再受診、CT検査で肺炎と診断され入院した。一時的に容態が芳しくない時もあり、回復後もなかなかPCR検査が2回連続陰性にならず、約1カ月入院していた。退院後は強い倦怠感に悩まされ、大学を辞職するに至ったが、1カ月ほど自宅療養して次第に快復し、医師として病院勤務に復帰した。

プロフィール詳細

医師として長年病院に勤務したのち、都心部にある医療系の大学で医療経営について教鞭をとっていた2020年3月、発熱と咳、鼻水に気づいた。新型コロナウイルス感染症が心配だったが、当時はまだPCR検査が盛んではなかったので、肺炎だったらすぐにわかるだろうと思ってレントゲンを撮った。肺に異常はなかったが、医師に自宅待機を勧められ、妻とも別室で過ごしていた。1週間経っても37度台の発熱が治まらないため、再受診すると、酸素飽和度が94%になっており、CT検査で肺炎がわかり、入院後のPCR検査で陽性が確定した。

入院後は38~39度台の発熱が続き、食欲がなく、一時は意識ももうろうとしてベッドから起き上がれなかった。酸素吸入と抗生剤、ステロイド剤の治療を行っても、酸素飽和度は94%より上がらず、担当医もいつ人工呼吸器になるかわからない状態だったと話していた。中等度以上の肺炎だったのではないかと思うが、全く呼吸困難を感じることはなかった。二酸化炭素が蓄積すると一種の麻酔作用があるというが、熱発しているときに夢うつつで黄金の麦畑が見えたこともあり、肺炎は急性に進行し苦しむことのない病気だという意味の「肺炎は老人の友」という言葉を思い出した。

入院後1週間ほどすると熱が下がり、食欲が戻ってきた。そこからは時間を持て余すようになり、本の原稿を書いたり、インターネットで知人とやり取りしたり、診療ガイドラインを見て自分の病状を確認したりしていた。退院のためのPCR検査は陰性後再度陽性になることを繰り返したが、入院してから1カ月ほどで2回連続陰性が出て*、4月中旬に退院した。
*2020年5月以前は症状が軽快してからPCR検査を24時間の間を置いて2回行ない、連続して陰性が確認されることが新型コロナウイルス感染症の退院基準となっていました。

入院前に自宅にいた1週間の間、妻とは、食事やトイレを分け、消毒を心がけていたが、濃厚接触者にあたる妻にうつらなくてよかった(但し、妻はPCR検査は受けていない)。離れて住んでいる子どもは電話で心配をしてくれ、退院後は差し入れをしてくれるなど絆が深まったように思う。

退院後、最初は調子が良かったが、2、3日経つと徐々に倦怠感が強くなった。入院生活で足腰が弱ったかと思っていたが、だんだん気力を失い、部屋にこもりきりになった。大学の仕事はちょうどオンライン授業になっていたが、自宅で仕事をする気にもなれず、年齢からも潮時かと思い、5月に退職した。徐々に近所の散歩ができるようになり、スイミングに行けるようになるなど、身体が動かせるようになるとともに全身が回復していった。このままずっと自宅で過ごすのも退屈だと思い、7月から郊外の病院で勤務するようになった。

仕事柄いろんな人と会わなければならず、夜の外出も多かったので、誰から感染したかはわからない。風評被害を恐れた妻や職場からSNSなどに自分の感染について書くことを止められていたが、退院後インターネット上の記事で自ら感染したことを公表した。それでも医師である自分が感染したことを非難されるようなことはなかった。

今回の体験で、妻からお酒を飲み歩くことや大変な仕事はもうやめてほしいと言われ、ライフスタイルを見直した。大学教員から病院医師に戻り、通勤も楽になった。体重が5kg減り血圧も下がるなど健康状態も改善し、新しい人生をもらった気がする。流行と終息を繰り返すコロナ感染は、医療者にとっては大変な試練だと思うが、今回のことで大きく医療のシステムが変わるだろうと思う。

私は: です。

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