インタビュー時:67歳(2011年9月)
関係:夫(妻を介護)
診断時:妻62歳、介護者63歳
2007年に妻が若年性アルツハイマー型認知症と診断される。妻・長女の3人暮らし。独立した子が別に5人いる。介護者はコンビニ経営していたが、妻に認知症の症状が出始め、レジを任すことができなくなり、閉店。認知症全国本人交流会への参加は、妻にとっても介護者にとっても転機になった。現在、妻はガイドヘルパーを利用。自立支援医療を申請したので、医療費負担が減り、助かっている。

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プロフィール詳細

近畿地方在住のS.H.さんは23歳で独立して食料品店を興す際に、縁あって見合いをし、伴侶を得た。店は後にコンビニに変更。6人の子どもに恵まれたが、息子の一人が自立できず、妻は仕事と子育てで大変厳しい状況のなか頑張ってくれた。2005年頃、妻は体調を崩すようになった。真夏に冬服を着て外出しようとすることがあったが、今にして思えばそれも認知症の症状だったのかもしれない。その後、レジの仕事を一人で任すことができなくなり、S.H.さんはこれ以上コンビニを続けることは無理と判断し、2006年春に閉店した。永年の疲れが出たのだと心配はしていたが、妻が病気とは思っていなかった。

その後、義母がお世話になった施設から誘われ、妻は介護ボランティアをするようになる。施設からは、コンロを点けたこと自体を覚えていないことなどを告げられ、受診を勧められた。2007年、店を閉めてから1年後に診断を受け、CTだけの検査結果から、妻を前に、「進行性の認知症でもう治らない」と告知を受けた。「独立以来、苦労をかけ続けた妻とこれから旅をし、楽しみながら暮らしたい」と思っていた矢先のことに、S.H.さんは大変なショックを受けた。その年の誕生日会でみせた妻の精一杯の笑顔はもう本来のものではなく、それが更なるショックとなった。

コンビニを併設した住居は部屋数も多く、電気の消し忘れや水道の出し放しがあると、ついS.H.さんは妻を責めた。生活環境を変えるため2009年10月にコンパクトな団地に引越をし、妻も自分も落ち着いて暮らせるようになった。

2010年に市の広報誌で認知症交流会の募集を見つけ、S.H.さんは地域包括支援センターに連絡を取った。以来、担当者からさまざまな情報や、妻も参加できる催しの案内を得られるようになった。なかでも、2泊3日の全国本人交流会への参加は一つの転機になった。これまで、「あの人おかしい」と思われていることを視線で感じ、話すことを臆していた妻が、交流会では同じ仲間がいることで自信を得、3日目には「どんなことでも話せるようになり楽しいです」と話していた。2011年から始めた音楽療法も妻にとって喜びの場となっている。初日から先生の伴奏で童謡から演歌、民謡まで「なんかしらんけど出てくる」と言って歌い続け、3カ月通っているうちに「私、歌えるから大丈夫やな」というほどに元気が出た。以前より長く話せるようになったように感じる。音楽の力に感心し多くの人に広めていきたいと思う。

S.H.さんは最初は一方的な告知に抵抗を感じたが、今は早く言ってもらう方がよいと思っている。家の中で隠し事をしなくてすむし、外から色々な情報も入ってくるし、何よりS.H.さん自身が変わることができる。S.H.さんたちが病気を表に出すのを嫌がれば、みんなも嫌がる。今や認知症は高齢者の病気だけではなく、若い人の病気でもある。公表すべきだと思うと、子どもたちにも話している。

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