インタビュー時年齢:50歳 (2021年1月)
感染時期:2020年3月
背景:関西圏在住の男性、医師。妻、娘2名(当時高校生・中学生)と同居。

喉の痛みと発熱があり、PCR検査を受け感染が判明。入院後も発熱は続き、味覚・嗅覚障害のほか、せきも出ていた。症状が軽快してもなかなかPCR検査が2回連続陰性にならず、2週間の入院後、宿泊療養施設へ移って3日後にようやく隔離解除となった。しかし、家族にうつすのが心配で、1週間ほど近隣のホテルに滞在し、自宅に戻った後も、数日はベランダに張ったテントで過ごしたりもした。

プロフィール詳細

2020年3月、38℃を超える発熱と喉の痛みが現れた。解熱剤を使っていたが翌日も熱は下がらなかったので保健所に連絡をしてPCR検査を希望した。しかし、当時は、37.5℃以上の発熱が4日以上続かないとコロナウイルス感染疑いとはならなかったので、もう少し自宅で様子をみるようにと言われた。その後も38℃を超えて発熱していたので、勤務先の病院でインフルエンザの検査をしたが、陰性であった。仕事で関わっていたスポーツチームで、少し前にコロナウイルス感染者が出たという話を聞いており、自分は濃厚接触者にはならなかったが、もしかしたら自分もコロナ感染しているかもと思った。

知り合いの医師の病院で検査ができると聞き、発熱してから4日目の朝にPCR検査を受け、夜には陽性が判明した。覚悟はできていた。その翌日、保健所から自宅訪問があり、フェイスシールド、ガウン、帽子などで感染予防をした職員2名から行動履歴について詳細な聞き取り調査を受けた。しかし、感染経路は不明とのことであった。療養場所については、家族への感染を避けるため入院を希望し、その日のうちに入院することになった。指定の病院までは自分で車を運転して向かった。

息苦しさはなかったが、入院時のCTで軽度の肺炎が起きていることがわかった。2日くらい経つと、ゴホンゴホンとせきが出始め、夜になると熱が38℃台まで上がった。酸素吸入などはしなかったが、保険適応外であったオルベスコという喘息の吸入薬を少しでも効く可能性があるのなら、という気持ちで試してみることにした。薬を使ってよくなったという実感はなかった。また、味覚・嗅覚がなくなり、何を食べても味がわからない状態になったので、1つ1つ味を思い浮かべながら食事をした。入院してから10日程度でこれらの症状は改善したが、PCR検査ではその後も陽性が続いた。入院15日目のPCR検査の結果が出る前に、症状が軽快していたため、宿泊療養施設へ移動となった。その日の晩にPCR検査でようやく1回目の陰性が確認されたことを知った。

療養施設は軽症者が多く、個室で隔離されていたもののゴミ捨てや食事の準備などで廊下に出た際に、他の入所者と顔を合わせることはあった。体温や体調などを紙に記録し医療者に報告していた。入所して2日目に再びPCR検査を行い、陰性が確認されたため、翌日に退所となった。*
*2020年5月以前は症状が軽快してからPCR検査を24時間の間を置いて2回行ない、連続して陰性が確認されることが新型コロナウイルス感染症の退院・基準となっていました。

保健師から退所後1週間は自宅待機との説明を受けたが、それでも家族にうつしてしまうのが心配で、1週間ほど近隣のホテルで自主隔離をした。自宅に戻ってからも、さらに数日はベランダに張ったテントで過ごしたり、リビングで寝たりしていた。そして、感染から1ヶ月後の5月に仕事に復帰して、同僚からは労いの言葉をたくさんもらった。

家族への感染について、自分が入院している間に娘が熱を出し、入院している病院の外来に受診をしたが、PCR検査の対象にはならず、胸のCTだけ撮って肺炎の所見がないのでそのまま返されたことを後から知った。保健所や担当医が判断したことなので、仕方ないと思う一方で、白黒つけてほしいという気持ちもあった。そのため、自分で抗体検査の簡易キットを購入し、家族の抗体を調べたが確認はできなかった。

コロナウイルス感染を経験して、自分の働き方や家族との時間について考える機会が増えたように思う。

私は: です。

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