感情と身体的反応の変化

外傷死(事故死)による死別を体験すると、人々は、多くの場合深い衝撃を受け、その事実を信じることができなくなる。その死を受けて号泣するのも理解できるし、悲観して、自殺まで考える人もいる。パットは、息子の死が自分の人生を根底からくつがえしたと話している。このような死別に遭遇した人々は、きわめて深い悲しみ、孤立、怒り、孤独感に襲われ、そのかき乱された感情を語っている。

ウィリアムは、娘のローレンが死んだ朝、もっといっしょの時間を過ごせばよかったと後悔し、娘に怒ってばかりいたことについて自分を責めた。

多くの人が長年ずっと、この苦しみと怒りを感じ続けてきた。ある女性は「苦痛が無くなっていくのではなく、ただ痛みに慣れてしまうだけ」と言った。シンシアは、最初のころは自分自身に腹を立てていたが、次第に、娘の死は自分のせいではないと自覚するようになり、その怒りを別のところに向け、これ以上交通事故の死者を出さないようにしようと決心した。友人に美術展にでも行くよう薦められ、そのおかげで、自分だけでなく、みんなも同じ思いをしているのだと気づくことができた。

私達が話をした人々の多くは、一部の例外をのぞき、衝撃的な死が起こった後、怒りを感じ、愛する人の死を他の誰かのせいだと感じていた。イアンは、まったく怒りを感じなかったと言う。エリカは、弟が射殺された直後は怒りを感じていたが、今はもう怒りを感じていないと語った。エリザベスは、娘が自動車事故で亡くなったことに、深い悲しみを感じ、その悲しみは決して消えないけれど、誰かのせいにするつもりはないと言う。それは事故だったに違いないからと。

自分自身が人生を楽しんだり、亡くなった人以外のことに気をとられたりすると、罪悪感を感じると話す人もいた。リンダは、いつまでもずっと息子のことを考えてばかりはいられないと気づくのに何カ月もかかった。息子がいないことはひどく寂しかったが、息子を思って泣くのは一日30分だけにした方が精神衛生上も良いと決心し、そのことが彼女の助けとなった。

スザンナは、バリ島の爆破テロ事件で弟を失ってから、よく眠れなくなり、悪い夢ばかり見るようになった。数か月もの間、彼女は精神的に落ち込み、どうしていいか分からなくなった。これまでと違う状況にどう合わせていけばいいのか、自分の気持ちを見直さなければならなかったし、さらにまた、彼女は生き残った者の罪悪感も感じていた。

衝撃的な死ののち、身体的反応とともに感情の変化を経験した人々もいた。睡眠に関する悩みは、非常によくみられる。ドロレスは、何か月も眠れなかったが、あるセラピスト(cranial therapist: 英国の代替医療の一種)に会ってから、よく眠れるようになった。エリザベスは眠れるように疲れ果てるまで働いた。キャロルにはやり場のない怒りがたくさんあり、ランニングを始めたところ、そのおかげで、怒りを忘れることができ、同時に身体を疲れさせることもできた。アンも眠れなかったが、薬物依存症になりたくなかったので睡眠薬は飲まないようにしていた。

数週間後に仕事を再開することで助けられる人もいれば、当分の間仕事はできないと思った人もいた。たとえば、ドロレスは6カ月間仕事を中断せざるをえなかったが、やがて少しずつまた仕事に復帰するようになった。

ものが食べられなくなったり、悪夢にさいなまれたり、気分が悪くなったり、気持ちを抑制できなくなった人達もいる。中には、煙草やお酒の量をいつもより増やさなければ対処できない人達もいて、飲み過ぎは承知のうえで飲むこともあるという人もいた。また、胃痛などの体調不良はストレスが原因で起きたのだと確信している人もいる。ディーンは、自分の心臓病と妻の脳卒中が悪化したのは、突然の死別があったからかもしれないと思っている。

突然の衝撃的な死没後、少なくともしばらくのあいだ、近親者がより不安を感じたり、この世は恐ろしいところだと思うようになることは、不自然ではない。しかし、衝撃的な死によって友人や身内を失って、より深刻な心の病に陥ってしまう人達もいる。リサは、友人2人が殺害されてから、何年もの間ずっと体調を悪くしていた。ニーナも、夫の死後2年以上も心身衰弱のような状態だったと語っている。

※2002年5月10日、イングランド中部のポターズ・バーという町の駅で列車起きた脱線事故。死者7名、負傷者76名