インタビュー42

インタビュー時年齢:47歳(2015年9月)
移植後GVHD(移植片対宿主病)治療のための医療機器の治験に参加。
北海道地方在住。2005年ごろに悪性リンパ腫と診断され、造血幹細胞移植を受けてから慢性GVHDとなり、通院療養していた。2014年暮れに主治医から、うまくいけば長年服用しているステロイドの量が減らせるかもしれないと、医療機器の治験に誘われた。患者として役に立てる機会があることが嬉しく、承諾した。参加中、貧血で輸血が必要になることもあったが、半年間の治験スケジュールを完了した。

インタビュー40

インタビュー時年齢:71歳(2015年5月)
前立腺がんの免疫療法の臨床試験(第2相)に参加したが、効果が見られず、自ら中止を決断。
首都圏在住。健康診断でPSA(前立腺がんの腫瘍マーカー)値が高いことがわかり、精密検査を受けたところ前立腺がんという診断を受けた。テレビ番組で紹介されていた免疫療法を試したいと思い、臨床試験をしている大学病院に連絡して2012年6月頃から参加した。しかし、高額な費用に見合うだけの効果がみられず、3クール終わった時点で中止を申し出た。

インタビュー38

インタビュー時年齢:71歳(2015年4月)
直腸がんの術前化学放射線療法の臨床試験(詳細不明)に参加。
関西在住。2011年に直腸がんであることが判明。直ちに手術をするか、先に放射線治療と抗がん剤治療を行なってから手術をする臨床試験の二択があると説明された。何か協力できればという思いから、臨床試験に参加した。術後3年半経つが、いまも体調がすぐれず、放射線治療の影響ではないかと疑っている。しかし、自分で決めたことなので参加したことに後悔はない。

インタビュー37

インタビュー時年齢:46歳(2015年4月)・女性
尋常性乾癬の治療のための生物学的製剤の治験(第2相・プラセボ対照試験)に参加。
四国地方在住。尋常性乾癬という皮膚の病気でかかっていた大学病院の主治医から紹介され、2012年頃から参加し(第2相)、2015年現在も第3相に参加中。受けてみたいと思っていた薬で、途中でやめるのも自由だったのですぐに同意した。この薬が高額なのは知っていて、治験費用が無料なのは怖いとも思った。承認後もこの高額な薬を使い続けるために、何らかの公的支援が欲しい。

インタビュー36

インタビュー時年齢:58歳(2015年4月)
過活動膀胱の治療薬の治験(第何相かは不明・プラセボ対照試験)に2回参加。
中国地方在住。2004~5年ごろ、1度目は、過活動膀胱で通院していたときに新聞広告を見て電話で問い合わせた。指定の病院で治験コーディネーターが大変詳しく説明してくれたのでその場で同意した(【1】)。2度目は、院内掲示を見て参加した(【2】)。そのとき1度目の治験の薬が承認されたと聞き、とても嬉しく思った。

インタビュー35

インタビュー時年齢:39歳(2015年4月)
潰瘍性大腸炎の治療薬の用法・用量を変更するための治験(第3相・実薬対照試験)に参加。
北海道在住。1995年に潰瘍性大腸炎を発症。発病してから3年半後に再燃と寛解を繰り返すことになり、現在も専門病院で治療中。病院で治験参加者募集のポスターを目にし、主治医に自分が参加できるものがあれば参加すると伝えていた。2010年に主治医から治験があると声をかけられ、普段飲んでいる薬の用法用量を変えるものだったのでさほど抵抗なく引き受け、約1年間参加した。

インタビュー34

インタビュー時年齢:71歳(2015年4月)
大腿骨頸部骨折の手術後に服用する薬の治験(詳細不明)に参加。
北海道在住。2010年ごろ、大腿骨頸部骨折で入院する際に骨折患者で体が健康な人を対象とした治験に誘われた。骨折直後のことで何のための薬かも覚えていないが、人の役に立てると思って参加した。入院中に薬を1日2回飲み、エコー、心電図等の検査を受け、造影剤を入れてレントゲン撮影をした。撮影の際、今でもその跡が残るほど足首を締めつけられて痛かったが、誰かの役に立ててよかったと思う。

インタビュー33

インタビュー時年齢:52歳(2015年4月)
味覚障害の治療薬の治験(第何相かは不明・プラセボ対照試験)に参加
北海道在住。2010年ごろに友人に誘われ、治験の会社に登録し、健康な人を対象とした第1相の治験を2度経験。そのときに知り合ったCRCに2014年ごろ味覚障害の治療薬の治験に誘われ、治験ではどのようなことをおこなうのか興味もあり参加。第1相試験の経験があったので、不信感や不安などは全くなかった。第1相試験の報酬は高額で、味覚障害の治験は少額だが、報酬の差は治験参加の決め手ではなく、自分が条件に合うかどうかが参加の決め手だった。

インタビュー31

インタビュー時年齢:60代(2015年4月)・男性
通年性アレルギー性鼻炎の治療薬の治験(第3相・プラセボ対照盲検試験)に参加。
首都圏在住。新薬の研究開発に携わった後、知り合いから治験を紹介され、被験者の立場を経験したいと治験に参加。概要を知っている薬剤の治験だったので、快諾した。治験に参加して金銭的なメリットも感じた一方、もっと詳しい情報と、実薬だったか、プラセボだったかは知らされてもよいのではないかとも思った。医師が過剰な負担なく治験ができるようになるとよいと思っている。

インタビュー27

インタビュー時年齢:42歳(2015年3月)・女性
乳がんの免疫療法の臨床試験(【1】)に参加を希望したが参加不可。代諾者として、小学生の息子を近視の視力回復治療の臨床試験に参加させた(【2】)。
関西地方在住。自身は2009年に乳がんを発症。当時は治験コーディネーター(CRC)として働いており、術前化学療法をおこなっている最中にがん免疫療法の臨床試験【1】を見つけ、応募して検査を受けたが、「条件に合わず参加不可」という結果が届いた。2012年に学童対象のオルソケラトロジーの臨床試験【2】が近くの大学病院で行われていることを知り、近視が進んで眼鏡を使用するようになった小学生の息子を参加させた。

インタビュー26

インタビュー時年齢:47歳(2015年2月)・女性
がんのワクチン療法の有償治験*(比較対照試験ではない)に2010年から参加中。
東北地方在住。2010年に乳がんが見つかり、抗がん剤治療を受けていたが、それだけでは納得できず、ワクチンの治験に参加。がんを治したいと強く思っており、経済的な面で苦しかったときもあったが、ワクチンを打った方が調子がよいと感じているので続けている。これだけ実績あるワクチンがなぜ国に認められないのか疑問に感じている。将来的にはこの治験が無償で行われるようになればよいと思う。

*これは特定の治験薬(丸山ワクチン)だけを対象とした仕組みで、1997年に定められた「医薬品の臨床試験の実施の基準(新GCP)」に基づく、今日の一般的な治験の枠組みから外れた例外的な試験です。

インタビュー25

インタビュー時年齢:77歳(2015年2月)
【1】心筋梗塞のあとの抗凝血薬の治験(詳細不明)に参加、【2】脂質代謝異常改善薬の治験(第3相・プラセボ対照試験)に参加
北関東地方在住。2005年に心筋梗塞を発症し、地域の基幹病院で手術を受けた。その後、その病院で2回治験に参加(2005年ごろと2013-14年)。その病院を信頼していたので、お礼の意味も込めて協力した。普段から薬を複数飲んでいるので、治験の薬が増えても負担にはならなかった。偽薬が含まれる治験にも参加したが、偽薬かどうかは気にならなかった。

インタビュー19

インタビュー時年齢:77歳(2014年6月)
慢性リンパ性白血病の治療薬の治験(第何相かは不明・実薬対照試験)に参加。
首都圏在住。2010年にリンパ性白血病と診断され、経過観察をしていたところ白血球数が増えてきたため治療が必要になった。主治医から、治療法の提示とともに治験を提案され、この年齢でもう一度人の役に立てるのであればと快諾した。2013年8月から点滴薬と服用薬の併用で、約10日間入院し、その後は通院に切り替わって、約1年半参加した。

インタビュー14

インタビュー時年齢: 79歳(2014年2月)/女性
慢性骨髄性白血病の経口薬(第3相試験/実薬対照)の治験に参加。
首都圏在住。慢性骨髄性白血病で当時飲んでいた薬でなかなか良い結果が出なかったところ、主治医から治験を紹介された。新薬と既存薬のランダム化比較試験だったので、新薬を服用するかもしれないことや、通院の負担など参加への迷いもあったが、息子の勧めもあり参加を決意。2008年から1年間参加した。

インタビュー12

インタビュー時年齢:49歳(2013年12月)・女性
肺高血圧症の【1】経口薬の治験に参加した後、【2】吸入薬の治験(いずれも詳細不明)に参加したが途中で中止
首都圏在住。2008年ごろ主治医から経口薬の治験【1】を紹介され、約半年間参加。副作用や補償体制が心配だったが、既に海外で発売されている薬で安全性がある程度確立されていて、辛くなったらいつでも止められると説明されたので安心した。記録などが少し面倒であったが、最後まで続けられた。つい最近(2013年)受けた二回目の治験【2】は吸入薬で機器を扱うので大変だった。途中、適格基準から外れていることが判明し、参加中止。

インタビュー11

インタビュー時年齢:70歳(2012年11月)
慢性骨髄性白血病の治療薬の治験(第1/2相から継続投与・プラセボ対照ではない)に参加。
首都圏在住。2006年に慢性骨髄性白血病を発症。標準薬で治療中に副作用が出てしまい、入院待ちをしていたところ、主治医より治験を勧められた。治験のことは自分には関係ないことと思っていたが、信頼する主治医が「自分なら参加する」と言ったので参加を決めた。治験は3年間続き、製造販売後臨床試験にも参加した。

インタビュー10

インタビュー時年齢:72歳(2014年8月)・女性
むずむず脚症候群の治療薬の治験(第何相試験かは不明・プラセボ対照試験)に参加。
首都圏在住。子どもの頃から、足がむずむず、びくびくする症状に悩まされていた。寝ているときも足が動いて布団が落ちるくらいだった。成人後、あるときテレビで似たような症状の人を見て、自分も絶対に同じ病気だと感じた。2007年ごろ、むずむず脚症候群の治験募集の新聞広告をみて、参加を決めた。半年くらい毎日薬を内服した。

インタビュー09

インタビュー時年齢:52歳(2013年10月)
気管支喘息患者のための加工寝具の臨床試験(プラセボ対照試験)に参加
関西地方在住。5~10年ほど前に、気管支喘息の治療で通っていた病院の主治医に紹介され、イエダニ・ハウスダスト対策の加工ふとんのプラセボ比較臨床試験に参加。試験期間は9か月で、試験中は毎日喘息日記に喘息症状の有無などを記入した。臨床試験前、5か月目、試験終了時に呼吸機能検査、血液検査、生活の質(QOL)調査、ふとんについたちりの調査をした。

インタビュー06

インタビュー時年齢:50歳(2013年3月)
潰瘍性大腸炎の治療薬の治験(第2/3相・実薬対照試験)に参加。
首都圏在住。2010年に院内掲示板にあった潰瘍性大腸炎の治験の募集チラシを見て、主治医に参加を相談。既存の標準薬との比較試験だったこと、新薬がそれまで服用していた薬と似たような成分を含む薬だったこと、病状が寛解状態で安定していたことなどから参加を決意。治験薬の服用は8週間で、週1の血液検査に加え、日々の症状等を記録するノートをつけた。治験前後には内視鏡検査を受けた。

インタビュー05

インタビュー時年齢:59歳(2013年2月)・男性
鼠径ヘルニアの腹腔鏡下手術の局所麻酔薬の治験(第2相・プラセボ対照試験)に参加。
首都圏在住。2012年、鼠径ヘルニアの腹腔鏡手術を行うことになった際、主治医より海外で用いられている局所麻酔薬の新しい用法、用量に関する治験を紹介された。家族に治験経験者がいたので抵抗なく参加した。治験参加ということで個室を利用でき、定期的に医療スタッフが訪れてくれたのはよかった。治験に参加したことにより、医療についての理解が深まった。

インタビュー04

インタビュー時年齢:63歳(2013年2月9日)・女性
気管支喘息(ぜんそく)の治療薬の治験(第3相・プラセボ対照試験)に参加。
首都圏在住。もともと気管支喘息を患っていたが、別の疾患の手術をする際にそれまでの喘息治療をやめたところ症状が悪化し、吸入薬で改善した。その後主治医から別の吸入薬の治験があるがどうかと誘われたので、参加することにした。2002年10月から1年ほど参加したが、隅から隅まで診てもらえているという安心感があり、CRCとも信頼関係を築くことができてよかったと思う。

インタビュー03

インタビュー時年齢:75歳(2012年12月)
常用薬の副作用(胃潰瘍)の予防薬の治験(第3相・プラセボ対照試験)に参加。
首都圏在住。長年通院している病院で、狭心症治療薬(バイアスピリン)の長期服用中で胃潰瘍になったことがある患者を対象とする治験のポスターを見て、自分が役に立つことがあればと思い、参加を決意。2010年から約1年間参加した。薬が増えることに苦痛を感じることもあったが、治験に参加していることの責任感もあり、やめたいと思うことはなかった。

インタビュー02

インタビュー時年齢:80歳(2012年11月)
骨粗鬆(しょう)症の治療薬の治験(第何相試験かは不明・プラセボ対照試験)に参加。
首都圏在住。もともとひざの痛みがあり、整形外科に通院していた時に骨粗鬆症だといわれたが、母親の介護のため通院を中断し、特に治療は受けていなかった。その後、2007年に骨粗鬆症治療薬の治験参加者募集の新聞広告を見て、ひざの痛みが少しでも良くなればと考えて応募。治験は薬を毎日1回自己注射するもので、当初1年の予定であったが、さらに1年延長された。

インタビュー01

インタビュー時年齢:76歳(2012年11月)
関節リウマチ治療薬の治験(第何相試験かは不明・プラセボ対照ではない)に参加。
北関東在住。1987年に関節リウマチと診断され対症療法を受けていたが、次第に悪化。1997年、夫が見つけてきた新薬開発の新聞記事を頼りに、大阪の大学病院を受診。1年半待って1999年に大阪の総合病院で新薬の治験に参加。最初は入院して点滴を受けたが、1か月ほどで痛みや浮腫が消えた。その後は4週間に1回、大阪まで新幹線で通院した。2008年4月に薬が承認され、地元の病院でも治療を受けられるようになった。