インタビュー時:46歳(2022年5月)
関係:父
医療的ケアのある子:長女5歳
九州・沖縄地方在住。妻と娘5歳の3人家族。

娘が生まれる前に2人の子どもを授かったがいずれも生後すぐに亡くなった。
同じことは起こるまいと信じて3人目を授かったが妊娠中に上の子たち同様、肺の形成不全と知らされた。
出生後、肺を広げる手術や、胃ろう、気管切開などいくつかの手術を乗り越え、現在も気管カニューレを入れており、夜間の人工呼吸器は必要なものの、元気に走り、おしゃべりする子に育っている。
来年度、地元の小学校入学を控え、今後気管カニューレを卒業できるのでは、と親子で次の希望に向かっている。

プロフィール詳細

娘が生まれる前に2人の子どもを授かったがいずれも生後すぐに亡くなった。
同じことは起こるまいと信じて3人目を授かったが、妊娠6か月くらいで上の子たち同様、肺がうまく育っていないと言われた。

聞いたときには夫婦とも涙が止まらなかったが、担当医は「生まれてきたときのことを一緒に考えましょう」と言ってくれ、出産後の手術に向けて心を切り替えた。

帝王切開で出産後、すぐに気管挿管をし、ECMO(心臓と呼吸の補助をする人工肺)に繋げ、それがうまくいけば肺が拡がるように手術をするという話だった。
生後初めて娘の顔を見たときは血色が悪く、本当に大丈夫なのかと思ったことを今でも強く覚えている。
ECMOに繋げられた後、NICU(新生児集中治療室)に入室を許されたとき、娘の血色が良くなっており、本当にほっとした。

初日の経過が良かったようで、翌日に肺を拡げるための手術をするなど次のステップに入った。
思い返せば、この数日間の気持ちが一番苦しかったくらいで、当時想像していた以上に娘は順調に成長している。
現在も気管切開をしており体調不良のときの吸引や、夜間の呼吸器装着は必要だが、日中は小学校就学前のプレスクール(地域の慣習で就学前に通う幼稚園)に元気に通っている。

娘が1,2か月の頃、医師から気管切開を勧められたが、切るという言葉のイメージが強く夫婦とも受け入れられなかった。
上2人の声は聞けず、3人目の声まで聞けなくなるものと思い込み、CPAP(機械で圧力をかけた空気を鼻から肺に送り込む装置)などでなんとかできないかとこだわっていた。

しかし、その後CPAPだけでは苦しそうな日が増えてきた。
主治医の勧めで気管切開をしているお子さんのご家族と会ってみるとその子が大きな声でおしゃべりして元気に走り回っており、これまでの気管切開へのイメージが払拭された。
娘が7か月頃に気管切開をし、生まれてからトータルで約1年の入院を経て自宅療養となった。

在宅に移行するとき、娘はまだ経鼻経管栄養も必要だった。
胃に管を入れる際に間違えて肺に入れてしまうと危険なため、管が抜ければ、病院で入れ直してもらう必要があった。
しかし、我が家は病院と距離があり、抜けるたびに病院に通うのは大変だと想像できた。
自分たち夫婦で確実に胃への管を入れ直すことができるよう指導してもらって自宅に帰った。

自分は家族経営の会社で働いており、入院や手術の付き添いのスケジュールを空けてもらうなど融通が利く職場環境で、その点では本当にありがたかった。

長い入院生活で同じ境遇のパパやママとも知り合い、お互い励ましあえる関係に支えられた。
その中で娘と同じ年の女の子で、保育園入園に向けて活動しているパパがいた。
保育園の話を聞くうちに自分たちも娘がより成長できる機会を作ってあげたいと刺激を受けた。
妻が行政に相談に行くと、行政の担当者も娘の保育園受け入れに積極的になってくれ、思った以上にスムーズに娘の保育園入園が実現した。

これまで在宅療養に向けて家の環境を整えたり、用具をそろえたり、訪問看護の手配などは妻に任せきりだった。
妻は同じ境遇のお母さんとLINE等でやりとりして情報を集めていたようだ。
保育園入園に向けた行政とのやりとりも妻任せで、自分はちゃんと妻を支えてこられたのだろうかと、反省の気持ちもある。

娘は自分が小さな頃から病気と闘ってきており、医療的ケアが必要だということは理解しているようだ。
来年度春から地元の普通小学校に入学する予定である。
最近は「これ(気管カニューレ)取りたい」と言うようになってきた。
順調に成長すれば、小学校高学年で外せるのでは、と医師から言われている。親子共々その日を心待ちにしている。

私は: です。

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