インタビュー時年齢:50 歳 (2021年5月)
感染時期:2020年3月
背景:首都圏在住の女性。息子2人(当時7歳と10歳)と3人暮らし。

罹患当時は接客メインのサービス業。自分の症状は1日の発熱と味覚障害だけで軽かったが、同じマンションの別の階に住んでいた父(80歳)が高熱を出したため2人でPCR検査を受けどち らも陽性が判明。認知症の母と子どもたちも検査を受け、母(78歳)と次男が陽性とわかり家族全員が入院。父は重症化しICUで治療を受けたが他界。退院後は母が老人ホームに入居するまで兄(インタビュー06)夫婦と協力して面倒を見た。父の一周忌のあと仕事に復帰したが、先行きが見えないので転職を考えている。

プロフィール詳細

2020年3月23日に37.8度の発熱。近くの医者に行ったが、発熱患者は受け入れてもらえなかった。熱は翌日には下がったが、味覚障害が出た。この頃は味覚障害の報道がなく、なんだろうと思っていた。

その翌日、同じマンションの父が訪ねてきたが、具合が悪かったので「入ってこないで」とすぐに帰ってもらった。その数日後に、父が体調を崩した。認知症の母の介護疲れもあって相当抵抗力が落ちていたのだろう。かかりつけの医者に行ったが、すぐにPCR検査の予約が取れず、風邪薬の処方だけで翌週まで自宅療養となった。その間に父は高熱を出したので、紹介された私立病院でのPCR検査に付き添って行き、自分も一緒に検査を受けた。父も自分もレントゲンでコロナ特有の所見がみられるといわれ、父はそのまま入院となった。自分もそのまま入院するよう言われたが、濃厚接触者である認知症の母と小学生の子ども二人を自宅に置き去りにはできない。任意なら一度帰らせてほしいというと、帰宅後は家から出ないように言われた。自宅に戻って入院が決まった自分と父、そして濃厚接触で検査を受ける、子どもたちと母の荷物の準備に取り掛かった。 その夕方に保健所からPCR検査で陽性反応が出たという連絡があり、車を手配すると案内された。

深夜、ストレスからか過呼吸発作が起きた。発作自体は初めてではなかったが、コロナ感染で不安になって兄に電話をし、救急車を呼んだ。到着した救急隊は、保健所の許可が下りるまで1時間近く入ってこれなかった。ようやく防御服を着て入ってきた隊員に呼吸が止まる恐怖で「すぐ入院したい」とつげると、「お子さんもいらっしゃる。明日には一緒に病院に入れるから一晩待ちませんか」と説得され、「コロナでも過呼吸で死ぬことはない。何かあったらすぐ受け入れる」と救急隊に電話でつないでもらった医師にも言葉もらい 、どうにか落ち着いてその晩は眠ることができた。

翌日、保健所から手配された車が来て、子どもと母を連れて父が入院している病院に向かった。検査の結果、陰性だった長男*、 陽性の次男と自分はそこへ入院となったが、同じく陽性だった母は認知症の対応可能な区立病院での受け入れとなり、いったん自宅に戻された。一人でいる母にお弁当の差し入れなど、友人や兄がサポートしてくれた。自分、父、息子たちはそれぞれ別に個室に入ったので、携帯でのやり取りだった。自分は身体は元気だったので、父母や子どもたちの対応、関係者に感染を伝えたり調べものをしたりなど、毎日忙しかった。自分たちが病院にとって初めてコロナ感染者受け入れケースで、何をするにも対応に時間がかかった覚えがある。
*東京都では子どもが陰性と判定されても、親が入院する医療機関に一緒に入院できるよう対応しています。万が一、子どもが体調を崩しても迅速に対応でき、感染を広げるリスクも避けられるからとのことです。

父の容体は次第に悪化し、ICUで人工呼吸器をつけるといわれた。今後麻酔で喋れなくなると言われ、電話で父と話をした。父は介護に、自分は子育てに疲れていて、よくぶつかっていた。心残りはたくさんあった。アビガンを投与してもらったが、申請から投与まで時間がかかり、末期の父には効果はなかったようで、4月9日多臓器不全、心肺停止で亡くなった。どうしても霊安室で直接お別れをしたかったが、許可が下りなかった。同じ院内にいるし、自分もすでに感染している。問題ないのではと思い厚労省に電話してまで交渉したが、聞いてもらえなかった。ただどうしても、とお願いして手紙だけは棺に入れてもらった。

その後、1度は陰性となったが、2回目は陽性で、1週間後にようやく自分と子どもがともに2回連続陰性(※2020年3月時点での退院基準)になり、4月15日に退院となった。退院後は2週間の自宅待機(※2020年3月時点での退院後措置) となった。入院中に注文した消毒剤で、保健所に聞いた方法で、家の除菌を徹底的に行った。遅れて退院した母には父が亡くなったことをすぐには言えず、兄夫婦同席の家族会議で伝えた。

一人になった母はいったん自分の家で引き取った。母の介護に加え、実家の整理や子どもの不登校が重なり、疲れ果ててベランダを見下ろし「死のうかな」と思ったときさえあった。感染経路はわからないのに、「お父様はあなたからうつされたのね」と身近な人に言われたこともショックだった。だが母が老人ホームに入居し、自治体の支援センターで相談したり、親戚や父母の親友から、父の思い出話を聞いたりしているうち1年くらいですっと楽になった。誰かと話をするのは、大事だと思った。

同じ年の7月まで職場に籍は置いていたものの、 再感染が心配で、買い物や美容室に行く以外はほぼ1年間ほとんど外出しなかった。父の一周忌を迎え、その後一度仕事に復帰したが、コロナ禍で職場の状況は大きく変わってしまい退職した。今はネットビジネスなど、新しい仕事を考えている。

コロナを経験して、前より自分は弱くなったと感じる。これまでシングルマザーとして強く生きてきたのに、病気と父の死が重くのしかかって、なかなか這い上がっていくことができない。でも、つぶれないよう楽しいことをできるだけ見つけたい。まずは子どもたちが健やかに育ってくれるのが一番。棺に納めた父への手紙には「人間は強い生き物。必ず勝ち抜くからね」としたためた。

私は: です。

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