インタビュー時の年齢:37歳(2021年5月)
関係:母
医療的ケアのある子:長男7歳
首都圏在住。夫、長男(7歳)、長女(5歳)、義父と暮らしている。

長男は、妊娠中に異常が指摘され、染色体異常が分かった。
現在、気管切開、痰の吸引、人工呼吸器、経鼻経管栄養の医療的ケアが必要である。
特別支援学校に通っており、いたずらをして家族を困らせることが得意で、豊かな表情で気持ちを表現してくれる。
障害がわかった時から、悩みは尽きないが、子どもを大事にしてくれる周りに助けられて楽しく生活している。

プロフィール詳細

妊娠8ヶ月の妊婦健診で胎児の脳と心臓の異常を指摘され、個人の産院から大学病院を紹介された。
それまで順調に過ごしていた妊婦生活から、一転、何かの罰なのではないか、と絶望的になった。
夫とともに「とにかく迎えてあげよう」という気持ちでいるなか、健診で子どもの心拍の低下があり緊急入院となった。

約3日間の絶対安静の末に帝王切開で出産した。
子どもはそのままNICU(新生児集中治療室)に入院となり、その後に左耳、膝、足首の身体的な奇形がわかり、ただただショックで、生まれた子、夫や親に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
たくさんの管につながれる長男を痛々しく思う一方、想像以上の可愛さと、私が守らないと、という強い思いから、時間があればNICUに会いに行っていた。

夫や親に障害のある子どもを受け入れてもらえないかもしれないという不安があったが、可愛い子どもを早く家に連れて帰りたいという共通の思いで夫がいてくれたことに当時は心が救われた。
自分の親も夫の親も、受け入れるのに時間はかかったが、長男の頑張る姿や笑顔を見て、今はとても可愛がってくれている。

NICUに入院中に染色体異常と心臓疾患の診断を受けた長男は、大きな手術を乗り越えてくれて、小児病棟で自分と夫が医療的ケアの手技を練習した後、退院した。
入院中からピリピリとした精神状態で気が張り詰めており、人に頼って自分が休むことにも罪悪感があった。
退院後、約半年して自分が身体を壊して限界を思い知り、初めて子どものケアを周りに頼ることができるようになった。

気管切開、痰の吸引、人工呼吸器、経鼻経管栄養(鼻から胃に通したチューブから栄養をとる)の医療的ケアが必要な長男は7歳となった。
豊かな表情で気持ちを表現し、注目を引くために経管栄養のチューブを引っ張っていたずらしたり、大好きな抱っこをされてニコニコ喜んだりしている。
満1歳まで生きられる確率は10%と言われていたので、いつ逝ってしまうかわからない恐怖が付きまとう中、それを忘れさせてくれるほどの元気な姿を見せてくれ、毎日可愛く幸せを感じる。

2歳下の長女は、お兄ちゃんと一緒にDVDを観ることや、お兄ちゃんがいたずらをした話を幼稚園のお友達や先生に話すことが好きで、お互いに好きな様子が伝わってくる。1歳の命の壁を越え、まさかの就学を迎えた長男、そして長女にも「元気でいてくれて、ありがとう」と思う。

仕事をしたい気持ちはあるが、いつでも連絡がついて子どものことで対応できる状況でいるためには働くことができない。
学校へは家族の送迎が必須であり、教育委員会の方針で支援学校入学後1年間は子どもに付き添って医療的ケアを担った。
就学前、学校に関する情報は、通っていたデイサービスの先輩ママやSNSでつながる同じ病気の子どもをもつ家族から得られる情報のみで、公的な行政機関から就学に関する案内はなかった。
現在は様々な公的サービスの恩恵を受けてとても感謝しているが、その利用申請手続きには多くの書類の準備が必要だ。
申請窓口も一元化されていないことから、医療的ケアのある子どもを世話しながらの申請は非常に負担が大きかった。

医療的ケアは、眼鏡と同じように子どもをサポートするものであり、決してかわいそうなものではないと思っている。
確かに悩みや苦労や負担は多いが、かわいそうかどうかを決めるのは周りではないということを子どもが教えてくれた。
子どもとの生活に悩みは尽きず楽ではないけれど、不幸ではなく、関係する周りの皆さんが子どものことを大事にしてくれて、自分も幸せに感じている。
なるべく普通の子どもたちと同じように接して「頑張ってるね」などと声をかけてもらえると家族の励みにもなる。
同じような経験をしているお母さんにはどうか笑顔でいてほしい。

私は: です。

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