インタビュー時:46歳(2022年5月)
関係:父
医療的ケアのある子:長女5歳
九州・沖縄地方在住。妻と娘5歳の3人家族。

娘が生まれる前に2人の子どもを授かったがいずれも生後すぐに亡くなった。
同じことは起こるまいと信じて3人目を授かったが妊娠中に上の子たち同様、肺の形成不全と知らされた。
出生後、肺を広げる手術や、胃ろう、気管切開などいくつかの手術を乗り越え、現在も気管カニューレを入れており、夜間の人工呼吸器は必要なものの、元気に走り、おしゃべりする子に育っている。
来年度、地元の小学校入学を控え、今後気管カニューレを卒業できるのでは、と親子で次の希望に向かっている。

語りの内容

児童デイ(児童発達支援)でも十分、社会と接する機会があるし、いいかなと思ってたら、身近に一緒にいた家族のお父さんが保育園の話をしてたんですよね。
最初、保育園に行かせるなんて全くイメージが湧かなかったんですよね。
だけど、ものすごい働きかけてるって話を会うたびにしてて。

そこの家族の住む市町村は、よく言えば慎重だけど、少し、積極性に欠けるような感じとは聞いていたんですけど、そのお父さん、お母さんが対立ではなく、一緒につくっていきましょうって働きかけて、実際、入園できたっていうのを見てて、あっ、行けるんだって初めて自分たちも意識した。

まず妻が、市役所の人に相談するような形で行くと、その時点で市から何かできることはないかっていうような感じだったと記憶してます。
たまたま僕の知り合いが市議会議員をしてて、彼のお子さんが障害があって、福祉に力を入れてる方だったんですね。
保育園に行きたいと彼に相談したら、何かあったら、もう、すぐ協力するからって。

本当に、彼がいい意味で何かする場面もなくスムーズに行ったので、そういった市議さんが、何年にもわたって福祉に力を入れてたっていうのも背景としてあるのかなとは思いました。

議員さんにもお話ししたときに、直接、娘にも会いたいし、妻とも会って話したいってことですぐに自宅に来てくれて、その後に、保育園の担当の部署に相談したらいいと思いますよと。で、行って相談したら本当にその後は割とスムーズで。
そのときの心理士さんと、結局、後々、娘が通うことになる市の保育所の所長さんと、市の保育園課の担当の人だったかな、3名ぐらいが、割と早い段階で自宅にすぐ来てくれたんです。

そのときに、保育所の所長さんが、結構、具体的に受け入れることを想定したような質問をされてたんですね。
相談から1年もかからないで割とスムーズに決まって、あとは看護師さん探さなきゃいけないっていうことで。
これもまたご縁で、娘の訪問のPT(理学療法士)さんがいて、その方に妻が相談したら、その方のお知り合いの方が手を挙げてくださった。

――保育園に入っても母子入園とか付き添いはどうだったんでしょう?

それも結構少なかったですね。
本当に1週間ぐらいだったんじゃないかな。

――保育園に行き始めてから、お子さんの変化は感じましたか?

結構、大きい保育所だったので、上のお姉ちゃんたちもいれば下の子もいる。
一堂に会すと何十人といるので、本人にしてみたら一気に情報量が増えるというか。
他の子には事前に看護師さんや先生がこういう子が来るよというお話をしてたので、子どもたちにしてみたら、いよいよあの子が来るみたいな感じで、受け入れ態勢はばっちりだったんですけど、逆に、注目を浴びることで、割と長い間、緊張してる感じはあったんです。

ただ、2年目ぐらいになって、徐々に慣れてきて。
保育園では、話すことも難しくてなかなかできなかったんですけど、おうち帰ってきたらこんなことして楽しかったとかあんなことして楽しかったってことを話してたので、慣れるまでに1年以上はかかったけど、いろんな刺激もらってきてる。
走るとか、何かに登るとか、身体的なところだったり、大勢の中で自分がどういうふうにして振る舞うかっていうのが徐々に変わっていくのを感じました。

私は: です。

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