インタビュー時の年齢:40歳(2021年8月)
関係:母
医療的ケアのある子:次女2歳
首都圏在住。夫と長女(7歳)、次女の4人家族。

次女は新生児仮死の状態で生まれ、NICU(新生児集中治療室)に入院。
腎機能にダメージを受けて尿が出ず、透析が必要な状態となった。
現在は自宅で腹膜透析と経鼻経管栄養の管理をしながら生活をしている。
小学校入学までには腎移植が必要であり、先の不安はあるが、現在保育園で充実した毎日を過ごしている。
子どもの入園を機に自分も復職した。

プロフィール詳細

双子を妊娠し、34週の健診の数日後に胎動の異変を感じて受診をすると、心拍が一人しか確認できず、そのまま緊急帝王切開で出産した。
次女は、新生児仮死の状態で生まれ、生まれてそのままNICU(新生児集中治療室)に入院となり、三女は亡くなった。
次女は腎機能にダメージを受けて尿が出ない状態であり、生まれて2日後に専門病院に転院をして腹膜透析(注1)カテーテル挿入の手術を受けた。
その後も腎機能の回復はみられず、末期腎不全の診断を受け、それから現在まで、腹膜透析を続けている。

思いも寄らない壮絶な出産で、当時の記憶にはモヤがかかったようになっている。
当時5歳の長女の心のケアや三女の葬儀の準備のことは思い出すだけでも涙が出てくる。
子どもが退院できるまでの約3ヶ月半の間、毎日がサバイバルだったように思う。
その間、家事はほとんどできず、自宅でも泣いて過ごす日々であったが、実母や義母、姉妹が代わる代わる自宅に来て支えてくれたことは本当に有難く、家族の絆を再確認できる機会でもあった。
元気に過ごしてくれる長女の存在にも救われた。

次女が退院してからは、夫と協力して医療的ケアを行なっている。
腹膜透析では、その日の血圧や体重、むくみの状態から透析液の濃度の調整をしたり、子どものからだの向きによってカテーテルが塞がってしまうことに対応したり、命に関わる腹膜炎にならないよう感染対策に気をつけたりしている。

腎不全の影響から子どもは口からは全く食べることができず、鼻から胃に通したチューブから栄養をとっている(経鼻経管栄養)。
しかし、嘔吐しやすく、以前はほんの少量のミルクでも胃液とともにすぐ吐いてしまう状況で、子どもが不憫なのはもちろん、成長に必要な栄養がとれず、掃除に明け暮れ、毎日が灰色だった。
透析パターンの変更をきっかけに少し良くなり、緩やかではあるが体重もやっと増えてくるようになった。
今後、小学校入学までには必要な腎移植に向けて、身長と体重(10kg目標)の成長を見守っている。

子どもは2歳になる前の4月から保育園に入園し、同年代のお友達と充実した毎日を過ごしている。
まだ言葉は少ないが発せられる音が増えてきて、保育園の先生からもお友達と一緒に遊んだり、先生の言うことを周りの子どもたちと同じように理解したりしている様子を聞き、成長を感じる。
子どもの入園を機に自分も復職し、現在は主に在宅勤務をしている。
保育園で子どもが風邪をもらい体調を崩すことも多いが、職場の理解もあり、急な通院や入院にも家族で協力して過ごしている。

全てが未知の経験であり毎日手探りの生活の中で、気持ちを共感しあえる同じ境遇の家族の存在には常に助けられている。
同じ病院で知り合った家族や腎臓疾患をもつ子どもの家族のLINEグループが日頃の悩みの相談の場となっている。
失った命と今ある命の尊さを経験し、先の不安はたくさんあるが、一日一日命あることの有り難みを実感する日々である。
当初は、どうして自分の子なのかと不幸を感じることも多かったが、今そのような経験をしている家族には、毎日灰色でもそれが永遠に続くわけではないこと、心から笑える日はいつかくる、と伝えたい。

(注1) カテーテルを通しておなかの中(腹腔内)に透析液を入れ、血液中の老廃物や余分な水分などをからだの外へ出す。腎臓の機能を補う透析方法のひとつ。

私は: です。

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