※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。

インタビュー時の年齢:40歳(2021年8月)
関係:母
医療的ケアのある子:次女2歳
首都圏在住。夫と長女(7歳)、次女の4人家族。

次女は新生児仮死の状態で生まれ、NICU(新生児集中治療室)に入院。
腎機能にダメージを受けて尿が出ず、透析が必要な状態となった。
現在は自宅で腹膜透析と経鼻経管栄養の管理をしながら生活をしている。
小学校入学までには腎移植が必要であり、先の不安はあるが、現在保育園で充実した毎日を過ごしている。
子どもの入園を機に自分も復職した。

語りの内容

双子を出産したんですけども、1人が助からなくて、助かったほうの1人がそういう(危険な)状態だったので、どちらの事態も自分の中で整理ができなくて。
亡くなった娘に申し訳ない気持ちと、助かって頑張ってるけど予断を許さない、どうなるか分からないっていう状況の娘に対して不安な気持ちと、なんとか生き延びてほしいっていう気持ちとの全てが同時に押し寄せてきてる、そんな感じでした。

――その後、NICUに入られた娘さんは、治療を続けていく形になられたかと思いますが、そのときに、誰に、どのようにお子さんの状態について伝えられましたか。

一番最初は、入院して随分長いこと、家族ですね、主人と自分の両親と主人の両親とっていう範囲。
私自身は、姉と妹がいるんです。
特に妹は普段からいろいろ相談する関係なので、妹には日々話をしたり。
日々、コミュニケーション取ってたのは、自分自身の家族、夫と両親と妹がほとんどです。

――そのときの、ご家族のご様子といいますか、どのようにご家族でその状況を乗り越えられてこられたか教えてください。

自分自身の記憶がもやがかかったようになってる。
特に最初の、出産した病院から自分が退院するまでの1週間とか、その後の2〜3週間も、もやがかかったようになってしまっていて、細かいことはあんまり思い出せないんですけれど。

私の家族は私と同じように悲しんでたし、不安だったと思います。
あとは多分、私のことを心配してくれてたと思います。
なので、それをどう乗り越えていったかっていうのを、うまく言葉で説明はできないんですけど。

乗り越えるみたいな意識は、そのときの自分の中にはなくて、時間が過ぎるのを堪えるみたいな気持ちっていうのかな。
私のほうが(娘より)先に退院しましたけど、すぐに亡くなったほうの娘の葬儀もあって。
入院中から葬儀の準備はしてたんですけど、それをして。

それからずっと今度NICU通いが始まって。
一日一日を耐えて生き延びる、毎日サバイバルみたいな気分ですね。
乗り越えたっていうよりは、このサバイバルを、次の1分、1時間……1日が過ぎる。
それの積み重ねって感じですね。

私は: です。

(アンケート結果の扱いについては個人情報の取り扱いについてをご覧ください。)

認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。

ご支援
ご協力ください

モジュール一覧