インタビュー38

インタビュー時:50歳(2022年3月)
関係:父
医療的ケアのある子:次男21歳
首都圏在住。妻と長男24歳、次男21歳、三男19歳の5人家族。

次男は1歳頃から定期的に40度ほどの高熱を出し、3歳頃には発熱と同時に口内炎や陰部の潰瘍が見られるようになった。10歳頃にベーチェット病と診断され、2週に1回の自己注射が必要になった。その後、薬が効かなくなり20歳のとき7週に1回の病院での薬剤の点滴投与に変更した。突然の体調不良から長期入院や休養が必要になることもあるが、見た目は普通の子と変わらず、周囲からさぼっていると誤解されることもある。病気と付き合いながらも息子が自立していくことを親として見守るしかない。

インタビュー23

インタビュー時(2021年6月)の年齢:54歳
関係:母
医療的ケアのある子:次女17歳
首都圏在住。夫、長女(大学2年生)、次女(17歳、医療的ケア児)、実母と暮らしている。

次女は気管切開があるが自立呼吸。ほぼ全盲で外出時は白杖を使っている。現在は盲学校高等部卒業後の進路を検討中、18歳を目前に医療・福祉の移行期を迎えている。家族の雰囲気を察して「大丈夫」と盛り上げてくれるムードメーカー。長女がガイドとなり、次女は東京オリンピックの聖火ランナーを務める。次女のがん再発を機に常勤職を退職したが、生命力の強い娘の様子から「娘を諦めない、でも私も諦めない」と考え、フリーランスの仕事を再開した。

インタビュー20

インタビュー時:52歳(2021年4月)
関係:母
医療的ケアのある子:長女18歳
九州地方在住。長男(26歳)、次男(23歳)、長女の母親。実母は同居。

長女は出生直後にNICU(新生児集中治療室)に入室。生後1ヶ月で再入院し、1歳5ヶ月頃に筋病(先天性ミオパチー:乳児重症型)と分かった。
人工呼吸器、気管切開、胃ろうが必要な状態で2歳3ヶ月で退院後は、自宅で生活している。
長女は高校を卒業して自立支援センターに通い、1人暮らしをしたいと希望している。
自分の仕事は着物リメイクの自営業で、親の会の活動もしている。

インタビュー19

インタビュー時:43歳(2021年4月)
関係:母
医療的ケアのある子:次男17歳
首都圏在住。子どもは長男と次男の2人。

次男は妊娠34週に仮死状態で生まれた。
看護師として小児病棟での勤務経験もあったため、顔つきからなにか他の子とは違うと感じた。
次男は生後半年で気管切開と人工呼吸器を装着し、現在も胃ろうなどの医療的ケアがある。
重度の知的障害もあるが、将来は家族と離れ、他の人の助けを得て過ごすことが自立と考えている。
自身は次男が7歳のとき、正規雇用の看護職として復職している。

インタビュー18

インタビュー時:57歳(2021年4月)
関係:母
医療的ケアのある子:長男17歳
首都圏在住。夫、長男の3人家族。

長男は1歳2ヶ月頃まで元気だったが、感染症を繰り返すごとに状態が悪くなり、1歳6ヶ月でミトコンドリア脳筋症(Leigh脳症、ピルビン酸脱水素酵素欠損症)と診断された。
言葉での意思疎通は難しく、人工呼吸器、気管切開、吸引、胃ろうからの経管栄養がある。
自身は障害のある子どもを支援するNPO法人で活動している。
長男の特別支援学校に付き添いながら、卒業後に社会に出る準備を大切に過ごしている。

インタビュー17

インタビュー時:51歳(2021年4月1日)
関係:母親
医療的ケアのある子:次男17歳
関東在住。夫と長男(22歳)、次男(17歳)、長女(13歳)の5人家族。

次男が出産時のトラブルにより脳性麻痺となったことをきっかけに看護師を退職。
次男は口腔・鼻腔吸引および胃瘻からの経管栄養が必要である。
自分で体を動かすことが難しいが、母親の声には目を動かすことがある。
最終的には小児慢性特定疾病医療制度の助成を受けられたが経済的負担を感じてきた。
医療的ケアが必要な子どもとの生活に不自由さはあっても我が子と触れあえる生活には幸せを感じている。

インタビュー01

インタビュー時:49歳(2019年11月)
関係:母
医療的ケアのある子:長女16歳(逝去時)
首都圏在住。夫、長男、長女の4人家族。

長女は生後まもなく、ぐにゃりと反り返る姿勢をとるなど、2つ上の長男とは異なる様子があった。
検査しても原因はわからず、1歳頃にたん吸引、4歳頃に胃ろうと経管栄養が必要になった。
24時間続くケアで安心して眠ることができず心身ともに限界だったが、当時は子どもを見るのは母親の仕事として、ヘルパーや訪問看護の利用がなかなか認められなかった。
あきらめずに説得し、制度利用を少しずつ認めてもらうようになった。